第6話 ドキドキ! 初めての夜♡

 ボフッ、と柔らかい場所に落ちて目が覚めた。状況を確認する間もなく、続いて柔らかい布がバサリと降ってきて視界が覆われてしまう。どうやら、少しの間気を失ってしまっていたらしい。


(え〜と……)


 ボケた頭から、なんとか記憶を引き出そうとする。『フレンド』を脱出し、榛名さんのスカートにしがみついたままバスに乗ったことは覚えている。車内が混んでいたのかどうかは分からないが、榛名さんはずっと立ったままだった。僕としては歩いている時よりは格段に揺れが小さかったので少しは楽だったのだが……と、いうところまでは覚えている。

 しかし、いくら思い出そうとしてもその後の記憶がプッツリと途絶えているということはその辺りで意識を失ってしまったのだろう。そんな状態でよくぞそのまましがみついていることができたものだ。もし何処かで転落してしまっていたら今頃は……そう考えると背筋がヒヤリとした。もしかしたら、今こうやって生きていることは奇跡なのかもしれない。


(よかったぁ〜)


 安堵の吐息が漏れる。とりあえず僕の大脱出計画は一応成功を見た、ということで良いだろう。

 さて、安心したところで次の問題だ。頭上から降ってきたこの紺色の布なのだが……


(もしかして制服のスカート……なのかな?)


 次の瞬間、僕は走りだしていた。考えるより先に身体が動いたのは、そろそろ僕にも小動物としての自覚というか、勘が芽生え始めたということだろうか。そんなの芽生えたところで正直嬉しくはないのだが、少なくとも今、必要な能力であることに間違いはない。

 必死で走って、目についた暗がりへと飛び込んだ。とにかく姿を隠すことだけを考えて動いたのでよくは確認していなかったのだが、どうやらこれはベッドのようだ。間違いない。

 ベッドの脚の裏に隠れて、顔だけを出して外の様子を伺うと、床の上に落ちた先ほどのスカートの上に、今は白いブラウスらしきものが落ちていた。そして。見上げれば……


(うおっ!)


 思わず、変な声が出そうになった。もちろんそこにいたのは榛名さんなのだが、問題なのは彼女が上は水色のキャミソール、下はピンクのパンティ……さっきまで至近距離で見ていたヤツだ……というあられもない姿を晒していたことだ。自分の部屋であるということでリラックスしているのだろうが、これはあまりに刺激的すぎる。


(あわわわわ)


 僕は焦った。見てはいけないとは分かってはいたのだが、どうしても目を離すことができないのだ。

 色白でスラリとした細身の肢体はこの上なく美しい。まぁ、そんなスタイルなのでバストサイズ辺りはお察しなのだが。

 スカートを拾い上げて、皺を伸ばしてハンガーに掛けた榛名さんがこっちにやってきた。まだ見つかっていないことは分かっているが、一応頭を引っ込める。

 頭上で、ギシっとベッドが軋む音がした。榛名さんが寝転んだのだろう……その程度でベッドが壊れるはずがないことは分かっているが、それでもすぐ真上から降ってくるこの音は心臓に良くない。


「はぁ……」


 ため息が聞こえた。ここからではその姿を見ることはできないが、すぐ上で下着姿の榛名さんが横たわっていると思うと、なんだかそのため息までエロティックに聞こえるから不思議だ。見てはいけない物を見て、聞いてはいけないものを聞いているという背徳感に胸の中がひどくざわついている。

 だけど彼女の次の一言で、僕は冷水を浴びせられる気持ちを味わうこととなった。


「……どこ行っちゃったんだろうな……芦屋くん」


 ドクン、と心臓が高鳴った。榛名さんが心配してくれている……それは確かに嬉しいことであったが、事はそんなに単純ではない。

 僕が失踪する前に、最後に姿を見たのは榛名さんだ。たまたま僕と出会って一緒に『フレンド』へ買い物に行っただけの彼女にとってその事実は何ら不都合なものではない。情報提供を募られれば、彼女の性格からして真っ先にその事実を提供したことだろう。

 だが、彼女以外の人間にとってはどうだろう? 失踪直前まで行動を共にしていた異性ということで余計に勘繰られたり、邪推の対象となっている可能性は充分にある。よほど鈍感な人間でもない限り、表向きは普通に接している人間からでもそういう気配というものは自然と伝わるものだ。

 針の筵…….というほどではないが、少なからず居心地の悪い思いをしているはずの彼女が、それでも僕のことを心配してくれている……


(だというのに……なんなんだよ、僕は)


 今度はこっちが自己嫌悪のため息をつく番だった。

 ……彼女の裸を見てウハウハ言ってる自分が酷く情け無い。僕にはやらなければならないことがあって、それはまだ道半ばにも達していないのだ。脱出に成功したからといって緩んでいるヒマはない。


(よし!)


 僕は気合いを入れ直した。まずはなんとか榛名さんとコンタクトを取る方法を探すことだ。一つ心当たりがなくもないが、成功の可能性は低い。だが、試してみる価値はあるだろう。

 だが、何をするにしても行動を起こすのは彼女が寝ている夜の間だ。それまでは失った体力の回復に努める必要がある。

 注意深く姿を隠せる場所を選んだ僕は、そこで丸くなって目を閉じた。


 パチリ、と目が覚めた。見れば、室内はオレンジ色の常夜灯に照らされている。耳をすませば、聞こえてくるのは規則正しい榛名さんの寝息……どうやらすでに真夜中のようだ。


(よし)


 ベッドの下から這い出した僕は、改めて綺麗に整理された榛名さんの部屋を確認した。広さは……今の僕には途轍もなく広大な空間に見えるが六畳ほどだろう。ベッドに学習机、壁際には本棚代わりのカラーボックス。洋服を収納するタンスの類いが見当たらない代わりにベッドの奥の壁にクローゼットの扉がある。その扉の取っ手にハンガーで制服がかけられていた。

 どちらかといえば飾り気のない、シンプルな作りだ。特徴があるとすれば、二つ並んだカラーボックスの上に、これも二つ並んだアクリルのケージだろう。中にいるのは当然、彼女が飼育しているレオパたちなのだが、基本的に吠えたり暴れたりすることのない彼らのことだ。近づかなければ何の問題もないだろう

 異常がないことを確認して、僕は窓に近づいていった。部屋から直接のベランダに出ることのできる部屋だ。当然カーテンは床近くまでの長いものを使っている。これなら簡単によじ登ることができるだろう。多少は揺れるだろうが、布の揺れに対する対応は昼間にイヤというほど練習済みだ。しかも、落ちたところで安全なカーペットの上ときている。これなら楽勝。

 カーテンに爪を引っ掛けてよじ登り、適当なところで横移動してから学習机の上にダイブすると目的のものはもう目の前にあった。充電中のスマートフォンだ。

 本体横のスイッチを入れ待機画面を表示させる。スマートフォンのタッチパネルはセンサーが表面に流れる静電気に伝導体が触れたことを感知して操作が出来る仕組みになっている。飼い猫が肉球で踏んで意味のないメッセージが勝手に送信されていた! というような話を耳にしたこともあるが、それならトカゲでも操作はできるはずだ。

 恐る恐るタッチパネルに触って見る。反応して、画面が切り替わった! 成功だ!

 だけど、同時にその成功は計画の失敗を意味していた。確かに操作はできた。だが、当然のごとくスマートフォンは指紋認証とパスワードでロックされていたのだ。


(……だよな、やっぱし)


 しかしこんなことで諦めている場合ではない。スマートフォンを使うという方向性は悪くないだろう。もしかしたらこの部屋で我慢強く待っていれば、なんとか榛名さんがロックを外した状態でスマートフォンを置きっ放しにしているタイミングに遭遇できるのではないか。あるいは、なんとかして寝ている榛名さんの手元にスマートフォンを運んでロックを解除する方法も……


「えい」


 僕の思考を中断したのは気の抜けた掛け声と、被せられた白いネットだった。しまった……思考に集中するあまりに彼女が目を覚ました気配に気づかなかったとは!


 恐る恐る振り返ると、驚愕の表情を浮かべる榛名さんと目が合った。




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