2
どのくらい経った頃だろうか。
唐突に、すぐ耳許で風の音が聞こえた。
振り向いて窓と部屋の扉を確かめてみたが、どちらもしっかりと閉まっている。
「気のせい、だったのかな……」
不思議に思いながらピアノに向き直るも、再び風の音を感じた。低く渦巻くような音。今度は先ほどよりも強く、それも外から。耳を澄ますと、音は少しずつ近付いてくるようだった。
「何だろう」
音の正体を確かめようと、立ち上がり窓に手を掛ける。外開きの窓をゆっくりと両手で開いた途端、突風が吹き付けた。
と、ピアノの上に開いて置いていたいくつもの楽譜が舞い上がり、部屋の中を円を描いてくるくる飛び回り始めた。そしてそのうちの一枚がまるで何かに導かれるように外へ向かって行く。
「あ、待って!」
呼び掛けても当然待ってくれる事はなく、窓から身を乗り出し伸ばした指先でぎりぎり掴まえたと同時、よくある突風程度だった風がたちまち威力を増した。
目の前には天にまで届くほどの大きな風の渦。
やばい、と思った時には時既に遅し。一瞬の浮遊感のあと、強い力で渦の中に引き込まれた。
息も出来ない。目も開けていられない。周りの音全てを掻き消すほどの轟音。怖くなって自分の体を抱き締める。
(もしかしたら私、このまま死んじゃうのかな……)
ぎゅっと目を閉じた暗闇の中、ぐるぐると回る感覚に身を任せるしかなかった。
実際の時間にしたらあっという間の事だったのかもしれない。けれどとても長く、果てしなく思えた時間の中で、ふっと風が弱まる気配がした。
様子を窺おうとそっと目を開けた途端、またも一瞬の浮遊感があり、直後に今度は下へ引っ張られるのを感じる。否、落ちている。
「えっ、うそ、これ落ちてるっ!?いやっ、きゃーーーーーーー!!」
内蔵が浮いてヒヤリとする感覚。遊園地の絶叫系のアトラクションはわりと好きな方だけれど、あんなの全然比較にならない。ただひたすらに怖くて、ぎゅっと強く目を閉じ叫んでいる途中、何かが腕に触れ、ぐっと引っ張られた気がした。でも今はそんなことに構っている余裕はない。ただ落ちて、落ちて、落ちてゆく。
(あれ?この感じ、前にもどこかであったようなーー)
落ちている中でどことなく既視感を覚えた時、下からふわりと優しい風に包まれて、直後に足が地面に着く感触がした。
確かに落ちたはずなのに、思っていた衝撃がない。けれど、激しく鼓動を打つ心臓が、ついさっきまでの出来事が現実だと教えてくれる。
だだっ広い空間。星明かりはあるが、街灯の類いが何もなく、遠くの様子は窺えない。
見回す限りでは辺り一面何もなく、見覚えのない景色が広がっている。
「おい、大丈夫か」
声が聞こえて振り向くと、いつの間にそこにいたのか、夕焼けのような赤い髪の青年がこちらをじっと見つめていた。
「えっ、と……」
「巻き込んで悪い。怪我はないか」
言われて体を確認する。着ていた服こそ縒れたり多少乱れたりしていたものの、体に痛みを感じるところはない。
「大丈夫みたいです。あの、今のは一体何だったんでしょう?それにここもどこなのか……」
「あー……、言っても信じられないかもしれないが、ここは」
「おーい!」
彼が口を開いたと同時、遠くから呼び掛ける声と共に一陣の風が吹いた。後ろへ蹌踉ける晴の腕を、先ほどの青年が掴んで支え、そのままさりげなく自分の後ろへ誘導してくれる。
(もしかして、庇ってくれたのかな……?)
彼の背中から少し顔を出して前を見れば、点のようだった人影はあっという間に大きくなり、すぐ目の前で急停止した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます