九話 願いが明確となり、巣立ちの日が訪れようとしている
翡翠は語る。
淡々と無表情で。
「この姿は先ほど話した通り、女を喰らい手に入れたものです。まずは、どのようにして手に入れたかをお話しなければなりません」
翡翠が持っている指輪をアレイスターはすっと手に取り、観察し値踏みしている。
「ほう。高価な指輪ではなさそうだ。どこかの観光地の土産物だろうね。こういう指輪はだいたい東部の土産物屋でよく見かけるものだ。」
「私にはわかりませんが、アレイスターさまがそうおっしゃるのであればそうなのでしょう。話を続けても構いませんか?」
「当然だとも」
アレイスターが宙に放り投げた指輪は翡翠の手元に戻っていった。
「では続けます。この姿と同じ姿をした女。私がその女と出会ったのは数年前、満月の日、赤い月の夜なのです。
「翡翠さん、その女の名前はわからないのか?」
最近、赤い月の夜の話を一つ聞いたばかりだ。
娼館で聞いた悲恋譚。
直感めいていたがその悲恋譚が連想される。
「名前はわからないのです。その記憶が私の中で欠損しています。わかるのはその女の髪が本来は金糸のように輝いている髪をしているということぐらいで」
確か、話に出てくる女はそんな髪を持っていたはずだ。
だが、確定ではない。
金髪を持った女なぞ探せばそれなりにいるだろう。
赤い月の夜の犠牲者は多い。
その時期の行方不明となっている人物を探せば当りにたどり着くだろうか。
「他にわかることは無いのか?例えば、その女の特徴や彼女の想い人の特徴とかわからないものだろうか」
「その、黒猫さまは何かお心当たりがおありでしょうか?」
翡翠が黒猫の顔を眺めてみると複雑そうな表情だ。
推測はできるが確証がない。
「翡翠嬢、私は一つ気になることが出来た。よろしいかな?」
割って入り返事を待たず話し続ける。
「どうして、翡翠嬢はその女を喰い殺したのか。殺すことに至った経緯を知りたい。ただの女なのだろう?それも死にかけていた。このあたりがどうにも理解できないのだよ」
魔法使いアレイスターは大陸で最も優秀と言われている。そして、異端視すらされている。それでも、幻想種の考えていることは理解できない範疇であった。
「出会った当初、女を私のコレクションに加えたかったのです。ヒトを……生きているものをコレクションに加えたいと思ったのは初めての事でした。コレクション、つまりは黄金の財宝であり、私の守るべきもの。その女を私の財宝の一部にしたいと強く望んでしまった。それほどまでに美しく輝いているように見えたのです。まるで黄金の財宝のように」
女のことを話す翡翠はどこか恋焦がれているようにも、寂しそうも見える。
だが、それは気のせいかもしれない。
今も彼女は抑揚のない声で淡々と語っているだけなのだから。
表情も変わっていない。
それでも、思うところはあったのだろうと、二人の魔法使いは判断していた。
「女は魔物に襲われ、男と逸れ傷を負いながらも必死に逃げていた。魔物に追いつかれ命尽きかけるその時、私が魔物を追い払いその女を助けたのです。しかし、毒の魔物から毒を浴びていたようで、徐々に女は弱っていきました。
少しの時間、静寂が訪れる。
沈黙。
改めて思い知らされる。
ヒトとそうでない者の差を。
特に魔法使いはヒトと世界の為に存在している。
困っているものを助けるのは当たり前としているも者が多い。
可能な限り、ヒトの命も救うだろう。
幻想種は違う。ヒトとは別の価値観を思っている。
悪びれることもなく災害を起こすもの、命を奪うもの。
それらを自分の役割として行っている。
それを咎めることはできないだろう。
もっとも神にに近い存在を咎めるものはこの世界にはいないのだから。
「それからどうなった?喰って終わりというわけではないのだろう?」
「黒猫さま、その通りです。一瞬で喰い終えた後、私に女の想いが流れてきて、何かが溶けて混ざり合った。そして、私はヒトの……いえ、喰い殺した女の姿を得ました。ただ、それからが大変でした。本来、私は本来四本足で歩く竜です。二足歩行を身につけるのにそれなりの時間を使いましたし、手先の使い方、文字、言葉、他にもいろいろなことを学ぶ必要がありました。女が死ぬ前に願った。想い人である男に会いたいという思い。私はその願いを引き継ごうとしております。死んだ事実を伝え、形見の指輪を返すことが女への弔いとなると信じているのです」
翡翠は息を吐く。
話は終えた。
これでだいたいの事情がわかる。
幻想種の女。
『宝を守護する欲深き竜』と呼ばれていた幻想種。
現在は、黒猫によって翡翠と名付けれた竜の乙女。
彼女の願いは自身の現身の女が死ぬ間際に願った想いを果たすことなのだろう。
そのうえで魔法使い黒猫は問う。
「貴女は、その男に会った後どうするつもりだ?」
黒猫としては一番気がかりなことだ。
この幻想種は願いを叶えて欲しいと言った。
願いを叶えた後、元の住みかに変えるのか。それとも―
「わからないのです。ただ、元の住みかに帰るつもりはなくて。新しい生きる道を探していこうかと」
「なら、俺も一緒に探そう。その為に翡翠さんの願いを叶えようか」
「はい」
黒猫と翡翠、二人のやりとりを微笑ましく、見ている者がいる。
黒猫の師匠はどこか名残惜しい思いがあった。
アレイスターが黒猫と出会ったのはいつだっただろうか。100年ぐらい前、孤児院で見つけた半獣人の子供。それが黒猫だ。
魔法使いの才能があると判断し、手元に置いた。
砂が水を吸い取るように彼は魔法使いとして必要な知識と技術を習得していく。出会ってから数年後、彼が15歳の時に魔法使いとなった。と言っても背はあまり伸びなかったが。今でも、背は低いまま。少々、あどけなさすら残っている。
それから、黒猫が魔導管理局で働きだして数十年の時が経っている。
魔導管理局に勤めている魔法使いの大半は自分の生き方に迷いがある者が多い。
黒猫もその一人だ。
その黒猫が自分の生き方を見つけようとしているのだ。
これは、巣立ちの時期が迫っているのだろう。
そうアレイスターは感じている。
魔法使いは長い年月を生きる。ヒトから半歩ズレた者。そんな彼らは通常なヒトより成長すら遅くなる。それでも、いつかはどんなものにも終わりがある。
師匠であるならば、弟子の成長は喜ぶべきだろう。
巣立つ日は近い。
「まったく、巣立ちが遅すぎるんじゃないか」
小さなその呟きは誰にも聞こえることなくかき消えていった。
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