三話 女難の相が出ているぞと言われても仕方ないのだ

 結局のところ、黒猫くろねこは店主の好意に甘えることにした。

 かなり高い金を払うことになるのは確かだ。

 だが、これから外に出て宿を探すのはとても億劫で、宿が見つかる保証もないのなら行為に甘えることに決めた。

 店主に黒猫は紹介をしてくれと頼んだら、店主は酒場のおそらくは店員用の扉から2階にある宿の方に向かっていった。少しの時が経ち店主が戻ってきたのだ。


「坊ちゃん、許可が下りた。泊まれるぜ」

「何から何まですまないな」

「良いってことよ。坊ちゃんはお客さまだからな。ほれ、よく読んでくれ」

 店主は一枚の紙を黒猫に手渡した。


 それは契約書だった。宿泊料金、前払いであること、娼館の中での禁止行為などが書かれている。別段、驚くようなことは書かれてはいない。

 それでも、料金はそれなりに高い価格が書かれている。

 黒猫は思い出す。店長は高級店だと言っていたなと。確かにこの価格であれば高級店だろう。平均的な勤め人の一か月分の給与ぐらいはあった。一夜を共にできるのだからそれくらいするのだろうか。娼館を普段使わない黒猫に相場はわからない。


 ただ、その額を惜しみなくポンと出せるところが浮世離れした魔法使いらしさとも言えるのだろうか。

 契約書にサインをし、金と共に店主に渡した。


「で、ここからなんだが、今部屋は3部屋開いてるわけだ。どの娘がいい?」

 店主は三枚のモノクロの写真を見せる。どの娘も非常に美人に思えた。

 黒猫としては誰でもよかった。シャワーを浴びて、睡眠さえ取れるなら。

「任せるよ」

「いいんだな?坊ちゃん」

「構わん」

「ならこのアウラちゃんな。俺のオススメ、いい娘なんだよ。ほれ、これが部屋の鍵な。他の客が間違えないように鍵が閉まってるからこれで開けてくれ」


 店主に案内された部屋に入ると、小さい部屋にベッドが一つ。

 ベッドの上にはランジェリー姿の赤毛の女が一人。

 愛嬌良く座っている。


「ムジカから聞いてる。あなたが坊ちゃん?さぁ座って座って」

 ムジカとは店主のことだろうか。

 黒猫は瞬く間にアウラと呼ばれる娼婦の膝の上に座らされ、後ろから抱きしめられる形になっていた。

 挙句に頬ずりもされている。


 それから少しの時が経つ。

「坊ちゃん、お風呂入ろっか」

「生憎なのだが、坊ちゃんと呼ばれるの気恥ずかしい。黒猫と呼んでくれてかまわない。それと風呂は一人で入りたい」

「えー、あたしは、坊ちゃんのほうがいいな。黒猫って名前なの?そっちもかわいいけどさ。あとここ、娼館だよ?女の人とお風呂入ってそのあと同衾するところ」


 それはわかっている。わかったうえで言っているのだ」

「だめでーす。これがお仕事だし。それに坊ちゃん、弟を思い出して洗いたいなって」

「どうしてもなのか?」

 観念したような表情を黒猫は見せた。

 娼婦は悪戯めいた表情をする。

「どうしてもです」

 手を引っ張られ脱衣室に連れられて行く。

 そして、服を脱がされていく。

 風景としては外から戻った子供の服を脱がして風呂に入れる姉に見える。


 そのまま、浴槽につけられ体をすべて洗われていった。

「おい、尻尾と耳は触るな」

「かしこまり」

 恋人同士というより、これでは犬猫と同じ扱いじゃないかと黒猫は思いはしたが、あまり気恥ずかしさを感じなかったことに安堵もしていた。


 それからまた、今度は裸のままアウラの膝の上に座っている。黒猫としてはこれはとても気恥ずかしいものだった。風呂を出た後、同衾しますとアウラに言われ心の準備をしたいと言ったらこうなったのだ。直接、背中に豊満でやわらかなものが当たる感触、相手の体温がわかる感覚。それが余計に心拍数を上げる。

?」

 そう問われても困るものがあった。

 黒猫としてはどれだけ高かろうとただ風呂に入って睡眠を貪れたらいい。女と同衾するつもりは無いのだ。


 ただ、問題もある。魔法使いは結んだ契約を重視する生き物だ。

 金だけ払いその対価を受け取らないのはよろしくはない。

 それはつまり同衾をするということで。


「楽な仕事に当たったと思えばいい」

「それはあたしが嫌だなって」

 それから、話し合った妥協点としてアウラの胸に埋まりながら黒猫が睡眠をとるということで話が落ち着いた。ただ、話し合ってるうちに眠気が冷めてしまっていた。

「なにか話をしないか」

「いいよ。そういえば、坊ちゃんは魔法使いって聞いたけど何歳なの?ムジカは自分より年上って言ってたけど」

「アウラ殿もか。年齢に興味深々だな。100歳ぐらいだよ」

「わー、おじいちゃんだ。それまでに愛する人はいなかったの?」

 黒猫はアウラを強く抱きしめ、豊満な胸により顔を埋める。


「魔法使いの恋愛は大抵悲恋で終わる。寿命の違いや価値観の違い。恋愛譚は多く残っているがハッピーエンドは少ない」

「同じ魔法使い同士でも難しいの?」

「ああ、難しいな。そういうものだった」

「そうなの」

 アウラは優しく黒猫の頭を撫でた。

 やりとりの中にどこか悲しみが含まれている。

 お互いに悲恋を体験したような。


「あたしも悲恋の話なら一つ知ってる。娼婦の間じゃ有名なやつ」

「むしろ娼婦の悲恋も多いのではないか?」

「多いと思うけど、新人だからさ」

「いつから働いてるんだ?」

「半年前からだよ。弟の学費稼ぐためにここで働いてるの」

「学費?寄宿学校のか?」

「普通の寄宿学校じゃないの。魔術学院なのよ」

 アウラはどこか困った顔をした。

「それは学費が高いな」


 大国エアリスでは、10歳になると学校に入学する権利を得る。一般的に寄宿学校が多く6年制となっている。卒業し本人が望むのであれば高等教育を受けることが出来るカレッジが存在している。魔術学院は一般的な学校と違い9年制の学校であり高等教育を学ぶことまでを義務付けられている。国が支援する奨学金制度もあるがそれでも学費が一般的な寄宿学校の数倍は高いとされる。上流階級、少なくても中流階級以上でなければ払うことが厳しい額だ。


「あたし、農村の生まれでね。弟が魔術の才能があるってわかってなんとか学院に行って欲しくてさ」

 魔術を学ぶ。それはこの国ではエリートとして出世することが出来る可能性を秘めていた。魔術とは魔法から派生した技術だ。魔法はヒトの身では使うことが出来ない。使うことが出来るのは魔法使いのみだ。その力をヒトが使える技術に落とし込んだものと言える。魔術を扱う者を広義では魔術師と読んだ。しかし、魔術は才能がなければ扱うことができないものだ。

 それゆえに、魔術師になればその力は重宝される。魔術はどのような職で働くにしても役に立ち、学ぶことができるのであれば食うに困らない技術であった。さらに場合によっては宮仕えとして国のエリートになれる可能性もある。


「良い魔術師になれるといいな」

「うん。なってほしいのよ。お姉ちゃんはその為に働いてるから」

「……いつまでここで働くつもりなんだ?」

「予定は三年ぐらい。あたし、器量だけが取り柄でお客様それなりにいるし。弟も奨学金借りられてるから学費全額稼ぐ必要ないしね」

「…チップを弾もう」

「えー、坊ちゃん好き好きー」

 アウラの柔らかな唇が黒猫の頬に触れる。


 ふと、アウラは思い出したような顔をした。

「あーそうだった。有名な悲恋の話。興味ある?」

「実は少し興味がある。魔法使いや妖精や精霊、亜人の悲恋譚ならよく聞くがヒトのそういう話はからきしでな」

「じゃあ、してあげる」


 アウラは歌を歌うように語りだした。

 それは一つの悲恋譚。

 今から数年前の出来事。

 ある町の高級娼館での起こった悲恋。

 月と呼ばれる太陽。

 ルーナ。

 そう呼ばれる、娼婦がいたと。

 金糸を思わせる髪に空より蒼い瞳。

 肌艶はまるで陶器のようだと。絶賛される美女だった。

 一目見ればため息を漏らし、魅了されてしまうほどの娼婦だと。

 その娼婦はあるとき一人の靴職人に恋をした。

 その靴職人はまだ若く、彼女がいた娼館に出向き娼婦や館主のための靴を作っていたという。

 二人は一目で惹かれあった。

 しかし、靴職人の給金では一晩を買うことも、多額の借金があるルーナを身請けすることも出来ず。

 そして二人は満月、赤い月の日に夜逃げを決行する。

 手配していた馬車に乗り辺境の地に逃げようとした。

 その時、馬車が魔物に襲われ二人は離れ離れに。

 靴職人は生き延びれたがルーナは行方知れずに。

 生きているのか死んでいるのかそれは今もわからない。


「どう?何か知ってる?」

「数年前の赤い月の日か。あの日は覚えている。数多くの魔物が騒ぎ出した。地下世界ラビリンス・タルタロスからも多くの魔物が湧き出た。その討伐に駆り出されたのを覚えているな。東部の被害も酷く、多くの死傷者に出たと聞いた。その二人のことは聞いたことなかったが」

「そうなんだ。ルーナさん生きてるといいな」

「知り合いなのか?」

「違うけど、生きててほしいじゃない」

「そうだな。ところでアウラ殿自身で何か困っていることはあったりしないか?」

「んー?あー、そういえば最近よく眠れないのよ。お客さんは寝てるのにあたしは眠れないってことがよくある。あたし以外でもあるみたいで困ってるのよ。もしかして、解決できたりするの?」

「どうだろうな」


 ベッドから降りた黒猫は自分の四角いトランクを開き。その中から一つ小瓶を取り出した。中には茶葉が入っている。

 それをアウラに渡した。

「なにこれ?茶葉に見えるけど」

「ブレンドハーブティーだ。睡眠の魔法が薄くかかっている。眠る前に飲むと睡眠を補助する。夢見草と呼ばれる薬草をハーブと混ぜている。いい夢が見られるはずだ」

「ありがと。ねぇ、やっぱり?」

「せんよ。もう今日は寝るといい」

「……はーい」

 どこか名残惜しそうな返事だ。


 アウラは黒猫の腕をつかみ引き寄せ抱きしめる。

 そして深い眠りについた。


 朝日が昇る前、黒猫は起きて服を着る。

 「ノワール、出てこい。仕事だ」

 漆黒の狼が黒猫の陰から現れる。

「これはこれは主殿、昨夜はお楽しみだっただろうに。もう仕事とは。精が出ることよ」

 からかい口調の狼の言うことは気にせず続ける。


「なぜこの宿をと思う?この宿は何かが巣くっているだろうが。宿の中に入るまで気配が薄くわかりにくかったが中からは一目でわかる。さっさと退治するぞ」

「働き者よなぁ。主殿は」


 銀の杖が虚空から現れ、黒猫はその杖を廻す。

「廻れや廻れ、銀の杖。正体現せ、異なる世界の者共よ」

 魔法の詠唱し、床を銀の杖の穂先で叩く。同じタイミングでノワールの一尾が床を叩いた。

 そして姿を隠していた異界の獣が現れる。


 小さいが豚のような姿に少し長い鼻を持っている獣だ。

 背中に飛べるかどうかわからないが小さい羽根が生えている。

「主殿や。なんぞ?これは」

「バクの一種だ」


「ほう。これがか。初めて見るわ。しかし、バクとは悪い夢を食べるものではないのか?」

「一般的には。しかし、コイツは女の睡眠欲を貪り衰弱死させる。コイツはまだ成長初期だよ。成長すればするほど食べる欲が大きくなる異界の獣だ。臆病なやつだよ。妖精などを見ることが出来るをもってしても見えないよう姿を隠している」


「それで、こやつらはどうする?正体が露わになり匂ってきおる。まだ無数におるようだが。」

「喰って構わんぞ。館内にいるの全て」

 黒猫はまだ眠たそうな表情をしている。寝足りないのだろうか。

「承知した」


 漆黒の狼はまず目前の一匹を丸のみにしたあと、流星のごとく速さで館を巡る。

 一匹、一匹、丸のみにし喰い尽くす。

 そして全てを喰い尽くし黒猫の元へと還った。

「美味かったか?」

「不味いわ阿呆。口直しを要求したいところよ」

「後で、どこかの店で朝食を食べる。何か分けるよ」


「頼むぞ。それにしても、主殿や。魔法使いとして3流みたいな真似をするでないわ」

「何のことだ。ノワール」

「同衾のことよ。わかっておろうが。あれだけの金を払っておいてせぬのは仕事の報酬を受け取らぬのと同じよ。魔法使いとしては下策よ下策」

 黒猫は気まずそうな渋い顔になる。

「そうはいうがな。女は苦手だ」

「わかっておるわ。魔法使いの大半は異性に難を抱えておる。主殿もそうであろうが。しかし、主殿の苦手というのは少し違うであろう。ここで払拭せよと言っておるのだ」

 なにか思うところがあったのか黒猫はしばし考え、呟いた。

「保留させてくれ。このことは考えておく」

「頼むぞ。主殿」

 ノワールはそう言って姿を消した。


 どうしたものかと黒猫は考える。

 もうこの娼館には用が無いのだ。祓うものは祓った。

 ここにいる娼婦たちが眠れず困ることはないだろう。

 さっさと立ち去っていくべきか。

 気持ちよく寝ているアウラを起こさず行くのも礼儀に欠ける。

 一言だけ言って去ることにしよう。


 黒猫は優しくアウラを起こした。

「おはよー。ねぇ、あたしね、一晩よーく考えたの。やっぱりなって」

「いったいなにを」

 アウラは黒猫をベッドに引きずり込み、押し倒す。

「あれだけお金貰って、何もしないのやっぱり悪いなって思うの。大丈夫。ここお昼まではいていいから」

 微笑んだアウラは唇を重ねた。

 部屋からはベッドや床の軋む音と甘い声だけが聞こえるだけだった。

 結局、黒猫が自称酒場兼宿屋となっている娼館を出たのは昼前の事だという。






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