石油王の娘だけど、今から死のうと思う。#0

0.思い立ったが命日


 私が生まれた次の日に、パパが石油を掘り当てた。


 自宅の庭から石油が湧いたのだ。娘の誕生と同時に夫が石油王になってしまったショックで、ママの入院が一週間延びたなんて話もあるくらいである。


 そう、パパは即座に石油王になることができたのだ。掘り当てて数日もしないうちに大手商社の人が契約書を持って飛んできた、らしい。そこには見た事も無い桁の数字が並んでいて、とにかく舞い上がっていたパパはゼロがいくつ書いてあるかも数えないでサインしたそうだ。


 当事者の私から見てもメチャクチャな話だが、何しろ石油は現実に湧いていた。陸地に現れた油田は外国に干渉の余地を与えず、法外な金を払う価値のあるものだったらしい。そして私が十六歳になった今でも石油は尽きておらず、我が家に巨万の富をもたらし続けている。


 普通に生きていれば手が届くはずもない、人生が一変するような幸運というやつを、私の両親はいきなり手に入れたのだった。


 幼稚園に入ると、私の組ではある日を境に毎日のおやつが二倍になった。子供にとっておやつは宝石だ。この世の何よりも価値がある。残念ながら小食だった私は友達に余ったお菓子をあげたりしていたが、周りの子のテンションの上がり方には子供心にちょっと引いたのを覚えている。


 婚期を逃しかけていた保育士のせんせいは、私が年長の時に玉の輿に乗った。優しくて私も大好きな先生だったけど、彼女はニューヨークに引っ越すと言って、私の卒園を見届けずに辞めてしまった。


 小学校に上がったら、今度は同年代の女の子たちが次々と恋をした。


 私の友達は次々に男の子を捕まえ、小二にしてクラスはカップルで埋まり、少年少女の甘酸っぱい幸せが胃もたれするほど校内に満ちていた。普段おとなしくて、とても積極的に男子と話したりしなさそうな子でも、望む相手としっかり結ばれていた。何しろ意中の男の子と席替えで隣同士になったり、教科書の貸し借りをしたり、掃除当番一緒になったりといったイベントが毎日不自然なほど続いたのだ。圧縮された少女漫画でも見ているようだった。


 仲良くなった女の子をすぐ男の子に取られてしまうので、その度に私は新しい友達を見つけなくてはならなくなったが、次の友達もその次の友達もあっという間に恋人を見つけてしまう。校内に元々いた男子(ぶっけん)には限りがあったが、私のクラスには妙にハイスペックな転校生が次々と来ていて、男子が常に補充されていた。一ヶ月に一人は来ていた。


 そして私は中学年になり、高学年になり、時と共に思い出も重なる。


 隣の席になったケンジ君はケンカの才能に目覚め、一週間で上級生を降参させた。

 私のクラスには給食のプリンが常に十個ほど余分に誤配送された。

 フトシ君の両親の財布の紐が急に緩まり、彼は最新のゲーム機とスマホを手に入れた。


 焼肉が大好きなカオリ先生はダイエットに成功して彼氏が三人できた。

 妹を欲しがっていたタクオ君の父親が再婚して可愛い義理の妹ができた。

 よくわからないが、リコちゃんのお兄さんが同性愛に目覚めた。

 ハルちゃんが戯れに描いたイラストがなんか突発的にバズり、ツイッターのフォロワーが三万人くらい増えた。


 色々な事があった。ちょっと普通じゃない色々な事が。


 ――そうなのだ。私の周辺には、ありえない突発的な幸運が絶え間なく訪れ続けていた。

 親。先生。友達。偶然では片付けられない程、私が関係しているように見えた。やがて皆も、自然とその事に気がついた。


 最初はただのジンクスとして扱われた。だが五年経ち、十年経ち、周囲の幸運は途絶えなかった。これは完全に本物だという話になった。「周囲に幸運を与える少女」。噂が噂を呼び、いつしか「神の子」なんて仰々しいあだ名までついた。気がつけば皆々、幸せになっていた。


 私の周りにはいつも笑顔が絶えない。みんな日々を機嫌よく過ごしているし、どんどん良い事が起きる。さすがに全く嫌な事が起きないという訳にもいかないようだけど、それを帳消しにするくらいの事が必ず起きる。だから、誰もが前向きだった。明るかった。そんな皆を見ているのが私も幸せだし、みんなを幸せにするために生まれてくる事ができて本当によかったと思う、ような。


 そんな人間だったら良かったんだろうけどな。私が。


 何が神の子だクソッタレ。まったく、呼ばれるたびに不快感で吐きそうになる。

 自分達に都合の良い幸運を無条件に落っことしてくれる存在。それを神と呼ぶ。なんて現金で他力本願な渾名だろう。どいつもこいつも、私の事をそういう目で見ているのだ。見ず知らずの他人が突然拝みにきた事すらあった。ムカついたので必殺のローキックで追い返してやったところ、翌日にはそいつ、初恋が実ったそうである。いい加減にしてくれ。


 正直、どれだけ周りが幸せになろうと全く気分は良くなかった。周囲だけを幸せにする力。そう、他人だけなのだ。周りが幸せになるという事は、そのぶん相対的に私が惨めになるという事だった。常に私は誰かに負けていた。


 勉強しても人より良い成績にはならない。幸せになるのはいつも他人だからだ。テニス部の練習を頑張っても、人を差し置いてレギュラーにはなれない。幸せになるのはいつも他人だからだ。トランプから桃鉄に至るまで、ありとあらゆる対人ゲームで私が勝つことはない。幸せになるのはいつも他人だからだ。私が、人より良い人生を送ることはない。


 幸せになるのはいつも他人だからだ。


 人に負ける前提で何かをする事は、つらい。私はじゃんけん一つまともに勝った事がない。そんな状態で、どうして満足して日々を過ごせるだろう?

 私が! 私自身の力で、幸せな気分を味わいたいのに。人より優れている自分を発見したいのに。私のあらゆる敗北は決定事項だ。変えることはできない。


 確かに私の親は石油王だ。もちろん寝食に困ったことはない。財力なら間違いなく最強で、私より金を持ってる友達はいない。だがそれは私の勝利か? 私の力か? 出所の知れない謎の力で何かを手に入れて、それでどうするんだ。私はいったい、何ができるんだ?


 私には、何も無いじゃないか。


 勿論これまで何もしなかったわけじゃない。相応に頑張ってきた自負はある。勉強も部活もゲームも、何でも一度くらいは挑戦した。この世にひとつも勝てるものが無いなんて、そんなのウソだろう。いくらなんでも何か有るはずだ。有るべきだろう。有れよ! そう思って私はこの神の子の力とやらに抗ってきた。


 練習すれば実力はついた。テニスだって、部内で一番強いやつと競るくらいはやってみせた。誰とやってもなかなかの好勝負を演出した。どちらに傾いてもおかしくない白熱した試合を見せ、場を盛り上げるだけ盛り上げ、周囲を興奮させ、そして最後には必ず負けた。いい試合だったねと、私以外の全員が笑顔になった。


 どんなに力をつけても、何一つ報われる事はなかった。何一つ達成する事はなかったし、懸命に育てたこの身体も頭脳も、何一つ結果に結びつきはしなかった。きっと、一生そうなのだろう。


 そんな日々を過ごしているうちに、最近の私はだんだん何もする気が起きなくなってきた。日々、体に力が入らなくなっていくのがわかった。なんだか景色が暗くなった。何もかもが面倒臭くなった。満たされない気持ちだけが、ただただ積み重なっていった。


 だからもう、やめようと思う。


 もはやこれまでです。これで何もかもおしまいです。

 いま、私の目の前には電車のホームがある。ここからタイミングよく飛び降りれば全部終わるんでしょ?

 我ながら刹那的で衝動的に過ぎる話だとは思う。でも、今しかない。今日、この時間に、その気分が満ちた。思い立ったが命日だ。


 もはや私はホームの下に見える線路から目が逸らせなくなっていた。そこにはとても魅惑的な危険があった。冷たい金属が反射する鈍い光。その鉄色の薄い光明の中に、人生の結論が見えた気がした。


 佐治佐知子(さじさちこ)、十六歳。いままでよく生きました。本日をもってお別れです。

 朝のせわしない駅に、電車が入り込んでくる音がする。風圧を感じる。どうやら、その時が来た。胸の内を再確認する。特に思い残すこともない。大丈夫。私はホームの床を蹴って飛び出した。


 それではみなさん、さようなら!

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