5
東大路五条で友人と待ち合わせる。友人のバイト先がこの近くだったからだ。
誘ってきたのは友人だった。僕が以前の恋人とほぼ同棲状態にあり、静かに振られたことを知る数少ない人物の一人だ。別れてからもうじき三ヶ月だからそろそろ新しい運命の人でも探そうぜ、と誘ってきた。僕を励ますためなのか、それともそれは単なる建前で、ただただ自らの未来の恋人を求めるために僕を利用しているのかはわからない。しかし、時間の経過とともに徐々に学部の友人が減っていく僕にとってその友人の誘いは無下にもできず、二つ返事で行くと言ってしまったのだ。
別に行くことが嫌なわけではない。嫌というわけではないが、少なくとも乗り気ではなかった。
ここ最近ずっと、ふとした拍子に彼女の顔が――アイリッシュコーヒーの香りと共に、彼女の顔が僕の脳裏をよぎる。それが原因な気がした。
友人は約束の時間を五分ほど遅れて登場した。
東大路通を下り、東山七条から東へ向かうと、少々長い坂道がある。それを登っていくと、目的地である京都女子大学が見えてくる。警備員に誘導され、自転車を少し離れた特設らしき駐輪場へ停めた。
京都女子大学の学祭、藤花祭。他大の学祭に乗り込むのは、同志社以外では初めてだった。
女子大学のはずなのに、見渡す限り男ばかりだった。体感だと男と女の比率がナナサンくらいに思える。
「俺らみたいにナンパ目的か、もしくは京女生の彼氏か」
友人は鼻で笑う。
「彼女にするなら同女、嫁にするなら京女、財布にするならダム女ってね。ナンパっていうか、嫁探しかな」
僕が言うと、友人は「なんだそれ」と怪訝そうな顔をして僕を見た。
「ダム女の知り合いが言ってたんだよ。『ひどい言われようじゃない?』みたいな感じで」
「まあ確かにひどいけど、でもその通りじゃね? なるほどな、って思うね。それなら将来の嫁さんがここにいるかもな」
野外特設ステージでミス・京都女子大学を決めるミスコンが始まっていた。うちの大学にはこういう催し物がないので、少し気になった。ステージ上では候補者たちが最初の自己紹介をしているところだった。
「あ? 気になる子でもいたのか?」
僕は「あれ見てただけ」と言い、ステージを指差した。
「お前、ミス・京女狙うつもりなの? いきなり大物狙いだな」
「いや、なんかああいうの見るの初めてだからさ」
「ミスコン?」
「うん。でもあの中で選べって言われても僕は選べないわ。好みじゃない」
「はあ? お前、あれで無理ってどういうことだよ。俺はそうだな――一番右側の子かな」
実際、僕のタイプの子はステージに立つ女の子の中にはいなかった。高望みなのだろうか? かわいいだの美人だのは人並みに思うが、それ以上は好みの問題じゃないのか。
ただ、僕はステージ上の行方が気になった。おそらく単純な好奇心からであろう。ミス・京女の候補者たちの自己紹介が終わり、今度はビブリオバトルが始まろうとしていた。ミスコンにビブリオバトル、見たことないもの同士の組み合わせ。気に留めるな、というほうが無理な話だ。
一人目の候補者がいまいちピンとこない、意識の高そうな新書の紹介を始めて少し経ってから、「おい」と友人が呼びかけてきた。
「お前、本来の目的を忘れたのかよ」
「学祭を楽しむ?」
「アホ。お前の運命の人を探しに来たんだろ」
――正直に自分の、って言えばいいのに。
友人に押し切られ、僕は後ろ髪を引かれながらもその場をあとにした。
模擬店のキャッチの女の子が声をかけてくる。友人はいちいち応対している。僕はその隣で適当に受け答えをする。「京大から来たんですよ」と言うと「すごい!」といった月並みな返答が返ってくるが、僕たちみたいな目的でここを訪れる京大生は多いだろうし、そういったやりとりを学祭中の彼女たちは何回、何十回とやっていることだろう。
友人がキャッチの女の子の口車に乗せられ、クレープを買っていた。買ってからも食い下がっていたが、女の子の連絡先は入手できていないようだった。所詮そんなものだろう。僕はそんな友人を置いて校舎の中へ向かった。
「気になるところでもあるのか?」
追いかけてきた友人が僕に尋ねてくる。僕は「特には」と答えた。
映像研究会、茶道部、競技カルタ部等の部屋を覗いたが、いまいちピンとこない。高校の後輩と同志社の学祭を覗いたときもそうだったが、僕はこういうイベントが根本的に肌に合わないのかもしれない。そもそも自分の大学の学祭――NFにすら大して興味のわかない人間なのだから。
本来の目的はナンパなのだから、女の子を見定めようとはしてみる。かわいい子もいる。タイプの子もいる。実際にブースを訪れた客という体で話してみると、案外話も弾む。
だが、やはり僕の頭を支配しているのは、いくら振り払っても浮上してくる例のホットカクテルだった。
「あー、俺、ちょっともう一回映像研究会行ってくる!」
校内のラウンジで一息ついていたとき、友人が頭をぐしゃぐしゃとかきながら言った。
「なんで?」
映像研究会は、ジブリ映画にアフレコをやってみよう、というコーナーをやっていた。しかしそこでは他の人がアフレコをやっているのを見ているだけだった。映画の話をしたりする場ではなく、退屈という印象しかなかった。
「あそこの代表者の人がドストライクだったんだ。ちょっと再突撃してくるわ」
「ああ、そう」
「お前はどうなの」
「今のところ、僕の眼鏡に適う女の子はいないかな」
「なんだよ、もう少しちゃんと見ろよ。お前も来るか?」
「いや、なんかそこらへん適当にぶらぶらしてるわ」
友人と別れ、僕は適当に目のついた文芸部のブースに入った。最終日でもう今年の配布分の文芸誌はなくなってしまったということらしかった。黒のゴシック・ロリータを身に纏う、今まで見てきた京女の雰囲気とは一線を画す女の子――比較的僕の周囲に多いタイプの女の子と適当に本の話をしていると、肩を落とした友人がふらふらとブースに入ってきた。
「どうしてここがわかった?」
「いや、お前だったらここにいそうかな、と思って」
友人は首を振りながら「彼氏いるってさ」と大きく溜め息をついた。
「狙ってるあの子には彼氏がいるつもりで臨め。学校でそう習っただろ」
僕がそう言うと、「どの学校だよ」と友人はまた溜め息をついた。
友人は顔を上げ、僕の前にいたゴスロリの女の子に「じゃあ君にも彼氏が?」と眉をひそめながら尋ねた。友人にとっては何気ない会話のトリガーのつもりだったのだろう。しかし、京大生の彼氏がいる、と答えが返ってきたことでさらに大きく肩を落とした。
ブースを出ていく友人を僕は追った。友人は追ってきた僕へ向かって「疲れたから帰ろうぜ」と力なく言い、校舎の外へ出た。
すでに日は傾いている。野外ステージは、何をやっているのかわからなかったが、クライマックスの様相を呈していた。
「なあ」
友人が言う。それが僕へ向けての呼びかけだと言うことに気づくのに少々時間がかかった。
「お前さ、彼女いるの?」
「はあ?」
「なんか今日、乗り気じゃなかったじゃん?」
「いや、別れたって言っただろ。ってかいたらそもそも誘い自体断ってるわ」
「うーん、まあ普通に考えればそうだよなあ。お前が世間一般でいう普通なのか知らないけど」
ふとアイリッシュコーヒーの香りが鼻をついた――ような気がした。
――彼女は何なんだ?
彼女にとって僕は――
「おい」
友人の声ではっと我に返った。友人は自転車に乗るところだった。
「反省会的なノリで飯行かね? 飲みでもいいけど」
「ああ――」
「行く?」
「――いや、このあと、予定があってさ」
「ええ、マジかよ。ってか予定あるなら言えよ。こんなしょうもないイベント誘わなかったのに」
「いや、楽しかったよ。初めて京女に入ったし。他大の雰囲気はいいものだね」
「……それ本気で言ってるか?」
「僕は心にもないことは口にしないよ」
僕も自転車にまたがる。友人はスマホをいじりながら「じゃあさとっぺとかめぐみちゃんとか誘うかー」などと口にしていた。僕のことは諦めたようだ。
腕時計を見ると、時刻は午後五時半を過ぎたところだった。もはや日の入り時間は過ぎ、あたりは薄暗くなっている。
僕は誰かに電話をかける友人に「じゃあ」と手を挙げ、自転車を走らせ、坂を一気に下った。背後から友人が何か言っているような気がしたが、気のせいだと振り切った。
七条通をひたすら西へ向かう。左手に京都タワーが見える。烏丸通で右折し、今度は無心に北を目指す。時間帯的にまだ人は多い。それを避けながら、場所によっては車道に出て車に迷惑をかけながら、目的の場所へ向かう。
目的の場所――あのカフェバー?
違う。僕の目的は、約束だ。ただの口約束。何の拘束力もない、その場の勢いで口に出されたであろう約束。
京都の街は平坦だから自転車社会だという話を聞くが、実際には北から南へ向かってほんのわずかに、普通に歩いていればわからないほどの割合で傾斜している。一番その傾斜を感じるのは、全力で自転車をこいでいるときだ。下るときと上るときで、かかる時間も疲れ方も全然違ってくる。そのため、烏丸通をひたすら北まで上り、目的地についたときには想像以上に息が上がっていた。
カフェバーの窓を見る。この位置からは、中まで見えない。
何度か大きく深呼吸をして、息を整えてから中へ入った。まるで急いでここへ向かってきたように思われるのが嫌だったからだ。
窓際に一人だけ客がいた。その客はぼうっと窓の外を眺めている。
「君が先にここにいるのは何気に初めてじゃない?」
僕は彼女へ向かってそう言い、向かい側に座った。
「意外とここでこうやってるのも悪くないね」
彼女は窓の外を見ながら言った。
「慰めてもらいに来たのかい?」
ゆっくりと彼女が顔をこちらへ向ける。彼女と目が合う。ふっと微笑んだ彼女の顔を見て、僕は胸を撫で下ろした。
ここが今の僕の居場所なのだ。確信はなかったが、そう思えた。
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