六日目:生存競争
バジルをご存じだろうか。
育てやすいハーブとしておすすめされることが多いと思う。彼らは一年草といって花を咲かせて種を実らせれば、そこで一生を終える。つまり次の年はないということだ。一年とは書いたが、実際には命の長さは一年にも満たない。
そのせいだろうか、とにかく旺盛だ。次がないからだろう。そこまでは良い。ところが、食のためにバジルを育てている人間としてはそれでは困るのだ。
バジルの花は白く小さな花だ。見た目が悪いから困るのではない。花を咲かせるということはそれだけ彼らは一生の終わりに向けて力を注ぐことになる。つまり、花やその先に実りに、栄養のほとんどを使ってしまうのだ。
バジルのどこを食するのかといえば、言わずもがな「葉」の部分である。気温が上昇してくると、バジルは花を咲かせようとする。花が咲いてしまうととたんに葉のつきが悪くなり、葉が固くなって生食に適さなくなる。その理由は先ほど述べた通りであるが、それを防ぐためにバジルには申し訳ないが、人為的に蕾を摘むことになる。
簡単に書いたが、彼らも必死だ。次から次へと摘んでは蕾をつけるという、バジルの葉を求める人間と、バジルとしての一生を全うするために活動するバジルとの闘いがはじまる。もしかすると、我が家だけなのかしれないが。
今日摘んで一息ついていたら、翌朝にはまた違う部分に花をつけようとしている。それを摘んで、次の日にはまた別のところ。この間摘んだところもまた蕾がひょっこり顔を出している。いわゆる、もぐら叩き状態になる。よく確認していないと、もう花が咲いて、種を実らせている場合もある。
手っ取り早いのは摘芯だ。極端に言えば、半分ぐらい思い切ってちょん切ってしまうのである。そうすると、切った部分から枝分かれして葉を茂らせるのである。全く逞しい。
ところで、摘芯とさらっと流したが、作業には十分注意してもらいたい。私のような不勉強な人間はただ切ればよいと思い、不適切な箇所で切って台無しにしてしまったことがある。
話はそれたが、バジルが花を咲かせようとするのを目の当たりにすると、生きることにとにかく必死だと思うのだ。何がなんでも花を咲かせて種を実らせて一生を全うしたいという意思を感じてならない。まさにド根性だ。
人間は一年草の数十倍も長く生きる。だからだろうか、明日があるとか、来年にとか、数年後にとか、もう少し年齢を重ねてから等、何かと先延ばしにしがちである。
ところが、もし自分の寿命がバジルたちのようにたったの一年だったとしたらどうだろう。どう過ごすだろうか。彼らのようにたくましく生きられるだろうか。私には分からない。
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