五日目:二度はない
自転車で移動しているときに損だなと思うのは、通り過ぎていく景色をとどめておく余裕がないことだ。それでも、街中で歩道を走るときは低速で走行するので、脇道のちょっとした緑地帯に目を向ける余裕がないわけではない。
雑草も不思議なもので、彼らなりにテリトリーがあるらしく、どこでも生えているとは書かれているものの、同じ土手でも向こう際と手前側では全く異なるものが群生している。
よく見慣れたものであれば、低速走行していればようやく咲き始めたのかなどと心の内で感想を述べたりしているのだが、あまり見かけないものに出くわしたときは、困ったもので、急に止まったりすることが難しく、そのまま通り過ぎてしまうことが多い。
徒歩圏内ということもあり、後で確認しに行こうと思うのであるが、当日中にそれを実行することは少なく、しばらくはそこに咲いているだろうと勝手な期待を込めて、後日、その場を確認することが殆どだ。
このような方法を取った場合、ほとんどがその植物を見失うことが多い。自転車での移動であったから、珍しく映ったのか、その花が一日限りの花で目立つ特徴を欠いてしまっているのか、真実のほどは分からない。
今日もそうして、薬局裏の緑地帯に背の高い小さな花を沢山つけた植物を見かけた。ただし、自転車で走行中に。あ、あれは何だろうと思っているのは刹那で、あっという間にその景色は遠ざかっていく。
調べようにも印象に残っているのは背が高いことと、小さな白い花、あまり見かけないというあやふやなもので、これでは調べてもその植物にたどり着くことはないだろう。
話は変わるが、私はジョギングをそれなりに嗜む(ただし走るスピードは非常に遅いと補足したい)のだが、ある日、これは絶対に身近にないと決めつけていた植物をジョギング中にあっさりと発見した。持っているどの雑草の本にも身近なものだと書いていたが、奇妙な形の穂を垂らした植物など今まで見たことがなかったので、絶対にないと決めつけていたのだ。
コバンソウという植物で、最中を思い起こさせるような穂をいくつも垂らす。園芸用として持ち込まれたそうだが、今やあちこちに広がり、緑地帯に生えているさまは残念ながらただの雑草にしか見えない。
彼らも確かに身近に生えてはいたが、やはり、どこにでもあるわけではなく、領域があるようだ。そして、写真で見た姿よりも小さく頼りなかった。これでは、自転車で走っているうちは決して気づくことはなかっただろう。
植物のほとんどは思いのほか大きくない。書籍や図鑑に掲載されているのは拡大されているので、脳が妙な錯覚を起こしているのだ。実際には驚くほど小さなものがあり、歩いているときですら見落としてしまう。
刹那を切り取りたい、記憶したいという願望は、哀れにもかなうことがないのだろう。だからこそ、その時々を大切にしなければならない。
あれは何だろうという気持ちを抱えたまま、今日を終えることになる。
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