二日目:ケチと体育館裏

 今から5年以上も前のこと。今の会社に派遣社員として勤務しはじめた私は、とにかくお金がなかった。犬と一緒に住めるアパートは駅から遠く、近辺に住む住民たちは自転車かバスで最寄り駅まで出ているようだった。

 とはいえ、私はケチだ。自転車を買おうと近所まで出たものの、思いの外自転車は高かった。万単位の金額に眩暈すら覚え、バスを検討したが、最寄りのバス停は朝夕に1本というほぼ運航していないに近いバスで、毎時何本か運航しているバスは駅と並行するように1キロも先にあった。

 結局、私は駅までの2キロを歩くことにした。

 駅までは入り組んだ住宅街を右へ左へぐねぐねと、まるで迷路を歩いているような道のりだ。ようやく道が開けてくると、川沿いまでまっすぐ、市の体育館裏を通る。そこは日当たりは悪く、どちらかというと日陰で、雨の日は道路が水びだしになる低地だった。体育館裏は定期的に草刈りは行われているものの、つつじの植え込み以外は雑草が生え放題で、夏には小さな虫が玉のように舞う。

 ある春の日。私はその体育館裏の雑草生い茂る中に、見事に可憐な花を見つけた。可憐と一口でいうと簡単だが、花のサイズにして1センチ程度の小ささで、葉は細長くひょろりと伸びている。百合を小さくしたような花弁の中央部だけが紫色に縁どられていて、愛らしくも美しい。

 単純な私は珍しい花との出会いを大層喜んだ。調べてみるとその花は色々な色の種類があるようで、ニワゼキショウという名がついていた。輸入され栽培されたものが野生化した種ということだった。

 しばらくするとその花は、花があった部分に丸い種をつけた。私は気軽な気持ちでその種を摘み取って、自宅で植えることにした。種さえあれば簡単だと思われたのだが、やはりそこに咲いているというのには理由があるらしい。その時の私は、植物にとって土がどれほど重要な存在であるかということにを知らなかった。

 一年ほど待ち、冬が終わるころになると、いよいよかと期待が膨らんだが、プランターには芽が出る兆しがなかった。もう一度調べてみると、種を摘み取って人為的に栽培するのは難しいということ、そして、あの花は受精すれば一日でしぼんでしまうことも分かった。プランターに植えたとして、それが見事に育ったとしても花はほぼ一日しか見ることができないのだ。それでは育てる意味があまりない。

 私が毎日見ていた花は、同じ位置にあるようで、実は全て違う花だったのだろう。そんなことも気が付かないぐらい、自分が見て、認識しているものというのは不確かだということなのだ。

 自転車で駅まで行っていれば、きっと気が付くことがないぐらいの小さな花との出会い。私は歩く楽しみを知ったのだった。

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