第34話 処理する人生
この間、別のエッセイで、家事がやっと終わったあと、
自分の事をしようと思っていたら、息子にお願いごとをされて
イライラした。
それは、自分の時間がない、自分を大切にできてないと感じて
「イライラ」したと書いたのだが、自分の中で「イライラ」
について、なんか引っかかっていて、それが、頭の中に残って
いたのだが、昨日の夜中、それが何か分かった。
私は、夜中に目を覚まし、冷蔵庫にある冷たいスポーツドリンク
を飲んで、又、寝ようとしたのだが、ふと、冷たい飲み物を
飲んだはずなのに、喉しか冷たくないのに気付いた。
「あれ?」確かに、飲んだはずだのに、舌は全然冷たくなくて、
喉の奥だけが冷たいのだ。
私は、全然味あわずに、急いで流し込んでいた。
その時思ったのだ、私は、人生のいろいろな場面をジャッジ
して、自分に必要ないと思った場面は、無かった事にしたい位
早く処理しようとしている。
きっと、私の思考が、もっと多く、自分が得することだけを
早く欲しい、かき集めたいと思っている。
この思考だと、結果だけを求めるから、結果は、割と出るまでに
時間がかかり、やってる割には自分の満足感がなかなかなく、
もっと早く、もっと処理しなければとなるし、そこで時間と
エネルギーを使わなくちゃいけないから、自分にとって、
利益や得と感じる物がないものは、最小限のエネルギーと時間で
処理しなければとなってしまう。
必要な時や、仕事などでその考え方はいいと思うが、果たして、
その考えが、自分の人生の時間を埋め尽くしていいのだろうか?
ジャッジして、自分には必要ない、利益がないと思っている
時間が増えれば増える程、自分の限られた人生の時間は少ない、
足りないとなってしまう。
自分が得するようにと「ジャッジ」してやっているのに、
その「ジャッジ」自体が、自分の人生の時間に、イライラを
たくさん招くなら、何か違う気がする。
「ジャッジ」せずに、ただ、自分の人生に起きていることを、
そのままあっていい時間だと受け入れるとどうなんだろうか?
そんなに損するのかな?
いつも、朝、顔を洗うとき、私は、手早く済ませて、さっさと
子供達の朝ご飯を準備しようとか、洗濯の事とか、
次の処理しなくちゃいけないことを考えながら、
無意識に手を動かしている、でも、今朝は、ちょっと意識して
洗ってみた。
泡をたっぶり泡立てて、自分の顔を滑らせている時、
泡ってこんな感触だったのか
とか、丁寧に洗ってあげると優しい気持ちになるなとか、
手についた泡を水で流すと、最初は水を感じられるけど、
すぐ、水は、私の手の流れになり、水って感じがないなとか、
毎日している事なのに、驚いてる自分に驚いてしまった。
普段気づかないことが多かった。
自分がどんな風に感じるのか?っていう事を、五感を通して
知る。
普段無意識にしているから、肉体はあるが、自分という物が
無意識で、漠然としてしまっていたのかもしれない。
だから、大きな意味で、自分がどう感じるか、何をしたいのか?
という事が、全然、自分の事なのに分からなかったのかも
しれない。
今まで、自分を知るチャンスはたくさんあったはずなのに、
目先の損得でしてなかった。
人に評価されるとか、お金がもらえる、楽しいという、速攻性の
得はないかもしれないが、五感を通して自分を知る、
自分の感情、感覚を知れば、自分を大切にする、
幸せにする方法へと繋がり、
この時間も大切な自分の時間って思うと、今まで、
見えてなかった面白さや、気づきがある。
その事に気づけたのは、私にとって大きかった。
これを読んで下さった方にも、たくさんの素敵な時間が
ありますように。
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