第33話  不完全が完全

うちの息子は、ほぼ毎日、私の部屋にきて、その日の感動した


こととか、愚痴を話にくるのだが、この間、久しぶりに


長い話で、友達が、違うお友達にひどい言葉をかけていた


ようで、本人も、きいていて辛かったというのもあるが、


何もできなかったという後悔と、罪悪感で、自分が言ったぐらい


落ち込んでいた。


「あんなにひどく言わなくてもいいのに」という思いが


こみ上げてきていて、モヤモヤをだしきるまでだいぶ


かかっていた。


その時、特に「陰キャ」

(陰気という意味で使っていると思うのだが)


だと、相手をひどく馬鹿にしていたのが、本人は嫌だった


ようで、「なんで陰キャじゃいけないんだ」


「だって、陰キャがいるから陽キャがあるんだろ」


と話していた。


その話をきいて、確かにと思った。


誰がきめたのか?どっちがいいかなんてあるわけないのに、


お互いの思い込みで傷つくなら、違うと思う。


人は、いろいろな特徴があって、それが、世間やみんながいいと


思えば、自分のいいとこになるし、みんながそう思ってなければ


自分のだめなところ、嫌な所になってしまう。


でも、自分の苦手なとこや、嫌だと思うところだって、


それがあるから、誰かが得意だと分かったり、誰かの自信に


なっている。


「俺のおかげだ」ぐらい自信を持てばいいのだ


息子の話を聞いてた時、前に誰かが言っていた、


「一人一人が最高傑作なんですよ」って話が腑に落ちた。


その時は、自分のできないところばかり目にいってたから、


なんでだろう?って思っていたけど、その時分かった。


私達が「不完全であることが完全なのだ」


私達が足りてないと思ったり、苦手な所があるのは、


誰かに助けてもらったり、教えてもらったりして「感謝」する


ことを学べるためだし、得意な事は、誰かの役にたてる、


誰かを支えられるという、人としての「自信」をもらえる。


それに、さっきの「陰キャ」と「陽キャ」の話でいえば、


「陽キャ」の良さを理解できるだけじゃなくて、


「陰キャ」の視点があるから、物事を本質的に、多面的に


理解でき、世の中が面白くなっていくのだと思う。


「不完全が完全」で、だからこそいろいろ学べ、自分を知る


ことができる。そのままの自分でいい、よかったんだと


思えると、きっと、相手や周りに対しても、そう思えてくるん


じゃないかと思う。


自分が不完全でだめだと思うと、それを埋めようと必死に


なって、やっと埋まったかと思ったら、それを維持するために


自分のエネルギーを使わなくちゃいけなくて、結局、自分を


幸せにするためのエネルギーよりも、維持しなくちゃいけない


事にエネルギーを使ってしまい、何の為、誰の為にしてるか


分からなくなる。


だったら、不完全なとこがあるからいいと認めて、


そんな自分だからできる事で、自分や周りを幸せにしたほうが


いい。


だって「どんなあなたも素敵ですから!」




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