第29話 「愛」

「愛」という言葉が、昭和生まれの私には、すごく抵抗がある。


「愛してる」という言葉も、すごい恋人どうしか、どこかの


外国人しか使わないイメージだ。


だけど、ふと、思ったのだ。


「愛」ということを、ちょっとでも理解してる人生と、


そうじゃない人生は違うなと。


今日の私は、とてもイライラしていた。


朝から、洗濯、掃除、お茶碗を洗い終わって、やっと自分の事に


むかおうとしていると、長男が


「ねぇ、お母さん、この表作ってよ」と部屋に入ってきた。


正直「えー」と思った。なんで今なんだよ。


でも、長男が、受験勉強で大変なのは分かっているから、


作ろうとして、持ってきたノートパソコンが、キーボードが


軽く、画面が重かったので、私の移動式テーブルをちょっと


動かした時に、テーブルから落ちて、画面が割れるし、


エクセルも起動しない、、、


ただでさえやりたくないのに、なんでこんなにイライラする


ことが続くのだ。


イライラした時は、だいたいイライラすることを呼ぶ。


このままじゃいけないと思って、自分の心をみつめてみた。


イライラという言葉が、心の底からドンドン湧き上がって


出てくる。


行列のできる店に並ぶ人みたいに、「イライラ」が


「イライラ」「イライラ」「イライラ」「イライラ」


こんな感じになって、どんどんでてくる。


それをみていて思ったのだ、なんで、私は「イライラ」


するのか?


そして、思った。自分が大事にされてない、


大事にできてないって思っているから、そして、


突き詰めると、自分への「愛」がそこにあるから。


自分の感情とか行動すべてに「愛」がある。


「怒り」や「悲しみ」も、大切な自分を、


相手や状況が理解してくれてない、認めてくれてないと思って


感じる事だし、「欲望」とか「喜び」も自分を愛するからだ。


そう思うと、感情っていうのは、自分への愛を知る為の


ものなんだ。(全てではないと思うが)


でも、なんで知るのか?学ぶ為?


自分への愛を知って理解すると、それを増やせて、与えられる


から?


自分への愛を知らないと、相手の中にある自分への愛を


理解できないから?


答えは人それぞれだと思いますが、


そう思うと、表面的には、私達の日常で、いろいろな


人生というドラマが起きているが、味方を変えると、


自分の中にある自分への愛と、相手の中にある自分への愛を


様々な形でみて、学んでいるだけなんじゃないかと思う。


それを、次男と口論している時に感じた。


口論してるんだけど、どこかで、ちょっとこの口論を


「何で口論してるんだ?」とか、


「こういう風に思うのも理解できる」って、別の見方でみてる


自分がいた。


現実がちょっときついなと思った時、全然、違うフレームで


状況をみれると、又、違うなと気づけたので、シェアします。


これを読んで下さった方に、たくさんの、人生を変える素敵な


フレームが見つかりますように!













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