第14話 小さな先生
私は、子供が本当に小さい頃の子育てが全然楽しくなかった。
2人の歳が近かったせいか、おむつ、ご飯、寝かしつけ、、、
自分自身も寝不足で、やることに追われて、今でもどう育てたの
か不思議なくらいだ。
下の子の面倒もみなくちゃいけないのに、嫌々期なんて、
もう勘弁してくれと言いたい位だった。
今だと、子供のすごさに気づけるけど、その時は、全然気づけな
かった。
子供のすごさは、人間としての大切な部分をみせてくれる
ことだ。
ジャッジや固定観念で物をみないから、本質をみるし、
感性も素直だ。
その辺のきれいな石を集めたり、うちの子なんて、バケツ一杯の
どんぐりを無心で集め続けたり、大人だったら、同じ石でも宝石
なら集めるけど、その辺にある石なら別に価値ないし、
集めてどうするの?って思っちゃう。
でも、子供は、高い石とか、価値があるかというジャッジが
ない、石そのものをみて、自分の感性がどう思っているか?
自分の感性が心動かされるからそれを集める。
集めることに意味があるか?無駄じゃないか?という事も
考えてない。
純粋に自分の心が動かされて、したいと思う事をする。
別に人がどう思うかはどうでもいいし、自分がしたいからする。
これを、大人になるとできなくなる。
常識や、周りの目、しがらみ、、、
だから、それを、なんなくやっている子供というのはすごい
存在だ。
確かに力もなく、お金も稼がないし、面倒をみられる立場かも
しれないが、その姿は、人間として、本質的に大切な部分を思い
出させてくれる。
あとは、感情という物を学ばせてくれる。
私の印象だけかもしれないが、小さい子というのは、基本的に
我がままだ。
でも、それは、逆にいうと、常に自分の心の声を聞いて、
正直に生きているという事だ。
大人になると、先が読めるから、自分の心の声を聴く前に、
周りの空気にあった行動をするし、ひどくなると、
自分の心があったことすら忘れて、条件反射的に
行動してしまう。
そして、子供は、心に正直に生きるから、現実と折り合いが
つかないときに生まれる感情のエネルギーも大きい。
それを、大きな声で泣いたり、手足をばたつかせたりして放出
する、動物もそうだが、その時その時の感情エネルギーを
その場で出し切って、
(↑別に、大人は暴れたほうがいいと言っているわけではない。
エネルギーがあるのを認めて、大人として、そのエネルギーを
体から放出してという意味です。例えば、後からでもいいから、カラオケとか、とりあえず、吐きだすとか、、、)
あとは、何事もなかったかのように生きている。
その時、その時をちゃんと生きているのだ。
だけど、大人になると、我慢したり、なかったことにして、
自分の中にこのエネルギーをため込んだままにしているから、
根に持ったり、思い出しては後悔したり、あの時、
あーしておけばとなったり、今、この瞬間の自分の人生を
生きなくなっちゃう。
子供のやってることが、全部いいという訳ではないが、
大人になって、忘れていた部分を見つめて調整することで、
又、新しい自分になれる。
子供は、そのチャンスをプレゼントしてくれる、小さな先生だ。
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