四話

街へ戻る道中、自分も行くのだと聞き分けのない娘をあやしながら、私と無明はを訪れた。

はじめて訪れた其処は、黒と白をベースとした落ち着いた色調でありながらも、荘厳さを感じるとても優美な建物だ。

中に入ると、坊主や巫女、侍に似た多様な格好の人々が、併設された酒場で酒と食事を楽しみながら喧騒の中を過ごしている。


無明はぐずるハルの手を引き、受付らしき場所に居る、絶世と言っても過言ではない美女へと向かう。


「これはこれは、随分と早い帰りじゃな」


……なんという、美しさか。

栗色の長い髪は、うなじの後ろで束ねられており、カラフルでカジュアルな着物の裾からは、その豊満なボディが見え隠れする。

まさかこの街にこのような美女が居たとは知らなかった。

このマクレーン、一生の不覚。

この件が解決すれば、すぐにでも新しい屋敷を構え、パーティに招待しなければ。

私がその美女に見惚れている間に、無明は神妙な面持ちで彼女に声をかけた。



変わらず信林檎支部の依頼は多くない。

奴が存外早く戻ってきたのは、他の都市であぶれた依頼を斡旋し、こちらで暇を持て余すはぐれどもへ割り振り尻を叩いているときじゃった。


「玉藻よ、済まぬがハルの面倒を頼めるか」

「やっ! むみょー、ハルもいく!」

「ほう、珍しいの。ハルがこんなにはっきり物申すなど」


あのいつも大人しいハルが、無明を見つめ強い自己主張を繰り返している。

本当に珍しい。

だが、対する無明もそんなハルをあまり気にする様子もなく答えてきた。


「現場を見てきたのだが、あれはちと不味い」

「そんなにか?」

「そんなにだ」


こやつがここまで言うとは、嫌な予感じゃ。


「……信彦には、もう?」

「いや、そなたから連絡を頼めるか。最悪、朝廷の陰陽師だけでは抑えが効かぬ。ギルドの協力が必要やも知れんと」

「それはそれは大事じゃのう。なんだ、藪から蛇でも出たか」

「蛇ならいいがな、あれは恐らく────だ」

「……色は?」

「黒もあり得るな」


ふむ、不味いな。


「承知した。ならハルはこちらで預かったほうがよいの」

「ああ、だがどうにも聞き分けがなくてな。どうしたものかと困っておるのだ」

「わかった、わかった。妾がよく話しておくから、行って参れ」


無明はごねるハルを抱き上げ強引に妾に預けると、例の外交官とギルドを出て行った。


「やっ! ねえね、離して。ハルもついてく」


ハルは妾の腕の中でもがきながら、ずっと、ついていくとごねている。

本当に、優しい子じゃ。


「ふふふ、まあ待てハル。そんなに無明が心配か?」

「……むみょー、あぶない」


この子も現場で何かを感じとったのか。

それとも、いつもと違う無明の様子に不安を募らせたのか……いや、そのどちらもじゃろう。


「ほんにハルは優しいのう。わかった、あとで内緒で連れて行ってやる。なら安心じゃろう?」

「…………」

「ただし、妾の側を離れるなよ?」

「……うん」

「ふふふ。さあ、妾が一押しのアップルパイを持ってきてやろう。だから大人しく、妾の仕事が終わるまで待っておるのじゃぞ?」

「……わかった」


もとより聡い子だ。

そもそも無明が何故、自分を遠ざけたのかも理解しているのだろう。

それでもこの子の瞳は、不安げに妾を見つめてくる。


「なに、無明を信じよ。あれが後れを取るなどまずあり得ぬよ。ゆっくり奴の戦いを見物しようではないか……妾もあのおとぼけ男が本気の様を、久々に見てみたいしの」

「ねえね、アップルパイまだ?」

「……お主、意外と切り替え早いの」





ハルを玉藻に預けた無明と私は、再び先ほどの竹林に戻ってきた。


「ところでマクレーン殿、この先の池に案内してくれぬか」

「池ですか? 屋敷にはいかないので?」

「ええ、屋敷に問題はありません。アレは池から来た」

「ほんとですか?! いやしかし……わかりました。こちらです」


無明を池の前まで案内する。

もしかしたら、アレが突然池から飛び出してくるかもしれない。

そんな不安を抱いていたが、変わらず穏やかなその風景に少し安心する。

だが、無明はその綺麗な景色を前に顔をしかめながら呟いた。


「これは酷い」

「おや? 失礼ですが、私には蓮の綺麗な池にしか見えないのですが」

「景色ではなく、がだ」

「────一体なんのことでしょう」

「アレと遭遇したのは、確か日が暮れてからでしたな」

「……ええ、この池からジョギングの帰りに先ほどの竹林で出会ったのです」

「それが屋敷まで付いて来て、聖騎士も含め皆食い殺したと。そなた一人犠牲になればよいものを、なんと不憫な」

「なんてことを言うんだ?! すっと我慢していたが、もう耐えられん!! オマエには相手への思いやりってものがないのか!?」

「くくく、失礼。まあ、そなた一人程度ではもうアレは止まらんだろうな」

「わけがわからん! 嫌味ったらしい、私に一体何があると言うのだ!?」

「……日ノ本では陽が沈む時間を逢魔時おうまがときと言いましてね。怪異に最も出会いやすい時間なのです。カルマを背負ったものはよくよく注意せねばな」

「カルマだと?確かに私も清廉潔白ではないが、化け物に襲われるほどのカルマは背負っていない!」

「おやおや。なんともまあ、罪の意識のない御仁だ。まあ、いずれ分かること、すぐに現れるさ」

「な、ここに現れるのか?!」

「ええ、おそらくあと数刻程で。準備をしますのでここで待ちなさい。そなたがいれば必ず出てくる」

「────!」


非常に腹の立つ男だが、命を守ってもらう以上、あまり強くは出れない。

この件が終わればあのサカガミに処罰を下してもらおう。

それから数時間、私たちの間に会話は一切ない。

準備をすると言った無礼なこの男は、何やら周囲の竹に向かってブツブツと呟くと、それからは馬車の荷台で

静かに林檎酒を飲んでいる。

日が暮れはじめ、あたりが暗く染まって来た。

その時、不意に無明は池の方に目をやると、残った酒を一気に飲み干し呟いた。


「来た────」


ズズズズ、ズズズズ


「ヒイイ?!」


あの忌まわしい音とともにアレが現れた。

聖騎士を含めた屋敷の者を無残に食い殺した化け物だ。

忘れたくても忘れることのできない、おぞましいその姿────。


黒髪の美女の顔がついた長い首、それが巨大な肉のかたまりから生えている。

やせ細ったミイラのような手足が、そのかたまりから無造作に生えワラワラと蠢いてる。

まるで巨大なナメクジのようなそれは、イモムシのように這いずりながら近づいてくる。


「なんとも異様な啜り女よな。よもやこれ程とは」

「お、おい、お前、早くアレを殺しなさい!」

「そう慌てるでない。アレはもう籠の鳥よ」


突如、啜り女を取り囲むように地面が円状に光る。


──ォォォォォォォォォォ!!!!


どうやらソレは、その光の囲いを出れないらしい。

激しく呻きながら、もがきうごめている。


「おお、ファンタスティック!」

「さて、大抵はこれで済むのだが」


そういって無明は札帯から符を一枚取り出し、啜り女の上に放り投げて呟く。


式符しきふ天雷テンライ


凄まじい発光とともに雷が舞う。

円陣の中でのみ起こるソレは、幻想的なまでに美しく、残酷に化け物を焼いていく。

光が収まりると、黒焦げた肉塊が残るだけだった。


「おお、素晴らしい! なんと言う強さだ、見直しましたよ!」

「ふむ」


私の賞賛をよそに、無明は注意深くその肉塊を見つめている。


ズズズズ……ズズズズ……


突如、あの音が鳴り出す。

だが、今度は這いずっていない。

まるでかのように、肉塊がグニグニとうごめき出した。


「やはり既に……」

「お、おい死んでおらんぞ!」

「アレが聖騎士すら殺せた理由。もはやあれは啜り女であって、啜り女ではない」

「どういうことだ?! さっきの雷を繰り返せばやがて殺せるだろう!」

「いや、足りぬよ。妖は変幻するもの、そなたの国では確か狼男などが有名ではあらぬか?」

「確かに我が母国にそんな怪物もいるが、なんの関係がある?!」

「見てみよ、普通あのようにはならん。余程、怨嗟を蓄積していたと見える」


音が止む。

肉塊の一点だけ膨れ上がった場所が、突如として裂け出した。

皮がめくれるように肉が削げ落ちると、次第に全貌が明るみになる。

そこには一人の化け物が立っていた。

薄汚れた襦袢を着て、背丈は二メートル近くある。

手をよく見れば、地面まで届くほどの長い爪は接着してまるで一つの剣のようになっている。


「────アレは啜り女の産んだ鬼よ」

「鬼? オーガのことか!」

「なあ、そなた。今まで何人の女を殺した?」

「な!? ふざけたことを言うな、私を犯罪者呼ばわりとはいい度胸だ! 証拠はあるのか!」

「まあ、アレが証拠のようなものだが。そなたには通じぬか。よい、池をあされば続々と出てこよう」

「チッ………!」

「くくく。こちらも、そちらも、本性が出てきたではないか。さあ、くるぞ」


ィィィィィィィアアアアアアアア!


おぞましい声だ。

口の裂けた般若面のようなその顔は、獲物を見つめ叫んでいる。


「般若鬼か……ふむ、この感じは懐かしいな。くくく、流石に気を引き締めなければ」


そう呟くと、無明は腰に差した煤けた柄の日本刀に手をかけた。


「招来───紅桜鬼べにおうき

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