第三話

「かー! うっまいなこれは!!」


度数にして二五度。

りんごの甘みと酸味が売りとはいえ、決してごくごく飲めるものではない。

にも関わらず、この店に着いてから一時間経たないうちに二本も一升瓶を開けている無明に坂上信彦は呆れを通り越し感心する。


「かー、うまい」


お付きの童女はそんなオヤジを真似して、りんごジュースをごくごくと飲み干している。

ジュースの瓶はすでに二本目だ。


「ハル、あまり甘いものを大量に摂取しては体に毒だ。ほどほどになさい」


どの口が言うか。むしろこの健気な子はお前を真似していることに気づけと、信彦は思う。


「お前もだ、無明。ハルちゃんが真似するからそんなウワバミみたいな飲み方をするな」

「それは無理だぞ、ノブ。こんなうまい酒は久方ぶりだ!」


そういって信濃地鶏の唐揚げやら焼き鳥やらを次々に頬張っていく。


「おいおい、お前も年を考えろ。もう三十六だろ?その調子では中年太り真っしぐらだぞ」

「くくく、オレの心配かノブ。問題ない、陰陽師は太らないのだ」


元から得体の知れない男だが、この陰陽師のいうことなら本当かも知れないと思う。

確かにこの男の体はこの暴飲暴食っぷりとは裏腹に引き締まっており、メタボの気配はない。

だがおそらく、私をからかっているだけだろう。


「嘘つけ! と言うか下手なデマはやめろ! この場にいる全マダムの視線が一瞬にしてこのテーブルに集まったぞ」


役者のような顔というわけではないのに、無駄に妖艶なその様も女性の視線を集めている原因にはなっているのだろう。


「まあ冗談だ。だが基本その日暮らしのはぐれに太る余裕などないのさ」


この甲斐性の無さを知ったらどのような女性も離れるだろうが。


「いや、それは堂々と言うことではないだろう。お前も仮にも一児の保護者なら、もう少ししっかりだな……」

「こらこら。ノブ、お前までギルドの妖怪受付婆のように説教を垂れてくれるな」

「おい馬鹿、今の聞かれたらどうする! わ、私は関係ないからな!?」


政財界にも顔が広く、ギルドを束ねる身でありながらフラリと支部にきては受付嬢を行なっている彼女。

妖怪でありながらこの日ノ本でも有数の権力者となったその女性に、年齢の話題はタブーだ。


「大丈夫、大丈──」

「ほう、それはもしや妾のことかの?」

「──夫ではなかったな」

「のう、無明。このような可憐な乙女を捕まえて誰が婆じゃと?」


噂をすればなんとやら……。

もう四十に差し掛かる私が二十歳の時より、彼女の見た目はずっと二十歳前後で変わらない。

女性の色気が具現化した存在というのは、こういう者をいうのだろう。

白いシャツにジーパンという非常にラフな格好でありながら、その豊満なバストに目のやりどころを悩まされる。

名は玉藻。

五十年前、天帝陛下の命ではぐれの組合が結成された際から、ずっと組合長を務める女傑だ。

その伝説は数多あり、くせ者の多いはぐれ達を時には力……いやほぼ実力行使で黙らせている。


「ねえね!」

「おお、ハル。相変わらずめんこいの! こんなろくでなしの元におらず、いつでも妾のところに来るがよいぞ」


そんな彼女は無明の連れ子を孫のように可愛がっている。

ハルもよくよく懐いており、傍から見れば、まるでテレビで見るような美人親子だ。


「ハル、ねえねではなく、ばあばと呼ぶのだぞ」

「むみょー、めっ!」

「おおハル、この女の敵に怒ってくれるか、そちは誠に良い子じゃな。……おいこらクソガキ。ハルに免じて許すが次はないぞ。のう、信彦」

「私に振らないでくれ、玉藻さん。頼むから目の前で暴れないでくれよ。何も出来んが下手に立場がある分、何もしないとややこしくなるのだ」


頼むから私を巻き込まないでくれ。

無明はあっけらかんと普段通りだが、先ほどから彼女が漂わせる雰囲気は冗談のソレではない。

一般市民には心臓に悪いくらいに。

その可憐な見た目とは裏腹に、相変わらず恐ろしいお方だ。


「くくく。怖や怖や」

「ソチは本当に不思議な男だの。その年の割に妾よりも言葉が古めかしい……本当に三十六か?」

「おいおい。それは自分の歳を認めたような────」

「────二度はないと言うたぞ、クソガキ?」


どっと冷や汗が吹き出る。

素人でもはっきりと知覚できるような冷たい殺気を感じた刹那、無明が軽く手を払うと同時に火の粉が舞う。

不思議と熱は感じなかったが、きっと玉藻さんが何かしたのだろう。


「……済まぬ、少し巫山戯過ぎたようだな。許せ、玉藻。だからその物騒な狐火は仕舞うが良い」

「ふん、憎たらしい。妾の狐火を封殺とは、相変わらず陰陽師としての腕だけは一流よな」

「くくく、そなたが本気であればこうは行かぬ。して、このような場になんの用だ? 偶然ではあるまい」

「なに、どこぞのはぐれがギルドを通さず依頼を受けたと聞いての。しかも高額で」

「…………うむ、うまい」


この男といると気が休まらん。

先ほどの狐火もそうだが、私は本来、街中での妖術行使を見過ごせんというのに。

今回ばかりは、さすがの無明も酒に逃れたが当然だ。

ギルドを無視してはぐれが営業するなど、本来ありえないルール破りだ。

何もできないので黙ってはいるが、これ以上、火の粉が私にも降りかからないよう立ち回らねば。


「おい無明。お前なら、ちゃんと玉藻さんを通すと思ったから直接渡したんだぞ。私は知らんからな」

「ほう、まあ良い。無明、罰として四割じゃ。疾く払え」


助かった、玉藻さんは標的を無明に絞ってくれたようだ。


「こらこら。横暴が過ぎるぞ玉藻。三割だ」

「たわけ! 本来なら停職だぞ。それを事情を鑑みてこの温情にしてやっておるのだ。三割八分」

「その事情というのはオレにしか出来ぬからであろう?ならギルドを通さず受けても問題ないではないか。三割二分」

「ほう、言うたな小僧。では今後、妾は金を一切貸さぬということで良いな? 三割五分」

「こらこら。そのようなことをいうな、飢え死にしてしまう。仕方ない三割五分で手を打ちたいところだが」

「借金できなければ飢え死にとはどういう生計じゃ! 本当に甲斐性なしじゃのう。それで手を打つからさっさと払え」

「……実はもう三割五分もないのだ」


阿呆かこの男は!

聞きに徹し、黙って飲んでいた私も思わずむせる。


「はああ!? お主、三百万もの大金をもう使ったのか!」

「おい無明、それは私も看過できん、あれは一応成功報酬だぞ」

「騒ぐな騒ぐな。玉藻、そなたどこで金額を知ったのだ、変わらずの地獄耳であるな」

「そのようなことはどうでも良い! 一体今いくらになったのだ!?」

「残額二十万」

「「二十万!!」」


一体どうしたら、ものの数時間でそこまで使えるというのだ。

本気でハルの将来が心配になってくる。


「おい、無明。私は知事としてお前の生活能力の無さを役所に通告し、真剣にハルちゃんの保護者について考えなければならないようだ」

「信彦よ、ハルの親権は妾が引き継ぐで問題ない。よもやここまでのうつけとは……」

「こらこら。好き放題言うてくれるな。訳あって使ったもの。仕方なかろう」

「そんなに一瞬で何に使ったんだ?!」

「陰陽道具と生活用品、それに借金の返済だ」

「割合は?」

「一対一対八」

「ほぼ借金じゃねえか!」


どれだけ負債を抱えていたんだ、この男は。

ただ稼ごうと思えばいくらでも手段があるだろうに。

私の呆れた視線をものともせず、漂揺と三本目の林檎酒を呷るこの男に、成り行きを見守っていた一人の童女が助け船を出した。


「むみょー。お金ない? ハルの貯金使う?」

「おおハル、そなたは頼りになるの! していくらだ?」

「二千円、ある! むふー」


おい、このバカ。その子のなけなしの貯金に手を出すな。

きっと慈愛と優しさで出来ているこの童女は、得意げに貯金額を披露する。


「おお、素晴らしいではないかハル。よく貯めたの」

「がまんした。むみょー、これ使う」

「なんと、そなたは救いの女神だ」

「よさぬかこのクソだわけ! その心にやましさは感じぬのか!!」


恭しく両手を出した無明に、玉藻さんが怒りを露わにしている。

文字通り牙をむいて。


「ハルちゃんその財布をしまいなさい。おじさんがお小遣いあげるよ。これで美味しいものでもおたべ。無明、お前は明日の件が終われば役所に出頭しなさい」


その珍しさからか、私があげた五円札を両手で掲げて喜んでいるハルをよそに、無明は変わらず酒を呷りながらまるで今までのが全て芝居でもあるかのように言い放つ。


「こらこら。勝手に盛り上がるな。今後については……まあ近々新しい札を卸す由、それで生活費には当面困らぬ予定だ」


事実、戯れていただけだろう。

本当にふざけた男だ。


「この男は……確かにお主の札ならそれなりに売れよう。特にあの外交官の命を助けた噂が広まっておる。お主の札がないかギルドにも問い合わせが来ておるぞ」

「ほう、それは重畳」

「無明、札は全てギルドに卸せ。それで手打ちじゃ」

「構わんよ。最初からそれが目的であろうに、食えぬ女狐だ」


やれやれ、最初からこの約束を取り付けるためだったか。

あの二人の戯れに巻き込まれるのは、私のような一般人には荷が重い。


「抜かせクソガキ。もし札を直販などしたら今度はギルドから締め出すからの!」

「くくく、怖や怖や。して、ここに来たのはそれだけではなかろう。明日の件か」


私が無明を追いかけたのもそれが理由だった。

自分の聞きたいことを聞く前にえらく疲れてしまったが。


「ああ。西洋の聖騎士を食い殺すほどの妖。仮にも外交官の護衛ぞ? そんなものが都市部に侵入できるとは思えん」

「無明、それは知事として私も胃を痛めている。一体どんな妖なんだ? お前、何か知っている風だったが」


パニックを避けるため、まだ報道規制をかけているがそれも明日までが限界だろう。

外交官の聖騎士が殺されるなど、下手すれば市場経済が麻痺してしまう。

無明が他の市民に被害は出ないと言うのでまだマシだが、それでも早期解決を願いたい。


「……現場を見て見ぬと何とも。だがおそらく十中八九決まっておる」

「ほう、もう目星がついておるのか。そちが悠々と酒を飲んでるということは、他に被害が出る可能性はないと?」

「ああ。それにあの男を見れば予想はつくさ。ノブ、現場は封鎖しているのだな」


マクレーンさんを見れば? 彼に何かあるのだろうか。


「え? ああ、陰陽師によって入り口は見張られている。一帯は立ち入り禁止だ」

「なら問題ない。明日、祓うとするよ。ただノブ、先に謝っておこう、済まぬな」

「おいおいなんだ、お前はたまに先を見通すことを言って、私をひどく不安にさせるな!」

「くくく。明日になればわかる。まあそなたにとっては大したことではなかろう。問題は解決するのだ、安心して今宵は眠るといい」

「お前、本当に意地が悪いぞ。そんなこと言われては気になるだろう」

「無明、妾も気になるぞ」

「なに。玉藻、そなたなら一度匂いを嗅げばすぐにわかるさ。あの外交官とやらには会ってないのだろう?」

「そうじゃな。妾が信林檎に戻ったのはつい先刻じゃ、この件を聞いて文字通り飛んできたのじゃ」

「なら明日の楽しみに取っておけ。さあ、まだまだ呑もう」


そういって無明は五本目の瓶を開けた。

ちゃっかり玉藻さんも自分の盃に林檎酒をなみなみ注いでいる。


「おい、無明。せめてどんな妖なのか教えてくれても良いだろうに」


てっきりはぐらかされてしまっているが、このまま胸につっかえたものがあるような気持ち悪さでは寝るに寝れん。


「こらこら。明日になればわかると言うておろう、それに酒の席で話すような話題でもない」

「私の興味だけではないんだ。仮にもこの地を預かる身、知る義務がある。陰陽師としてのお前の判断はともかく、私の判断として場合によってはこの後すぐにでも動かねばならん可能性もある」


無明は一瞬、呆けたような顔をして私を見たら、いつものように怪しく笑った。


「くくく、いや失敬。そうだな、そなたはそういう男だ」

「なら、はぐらかさずにさっさと教えろ」


無明はうとうとしだしたハルに羽織を掛けて、頭を撫でながら言った。


「啜り女だ」

「すすりめ?」


聞いたことのない妖だ。


「信彦よ、啜る女と書いて啜り女、古来より旅人を襲うとされている妖怪じゃ。昔は盗賊や山賊がその餌食になったと聞くな」

「そうだな、人種だろう」

「美女に化けて現れ、男を誘惑しその精気を吸い付くし干からびさせる。しかし無明よ、また嫌な妖じゃの。そなたが言いたくないのも納得がいく」


まあな、と。珍しく無明が面白くなさそうな顔でぼやく。


「じゃが、啜り女にあの屋敷のものを皆殺しにする力はないはず。状況を聞く限り食い殺されていたのだろう? あれは肉を食わんし、聖騎士に勝てるほどの妖怪ではない」

「ああ、だからこそ明日見にいくのだ。

「……そうか。妾の方でも情報を集めておく」


玉藻さんと無明には何か心あたりがあるのだろうか。


「おい、その化け物は街にも平気で出るのか。一応この街には結界があるのだぞ」

「いや、あれは出るのではない、発生するのだ。少なくともこの五十年で発生したという例は聞いたことないがな」

「発生?」

「旅人が襲われるとの言い伝えだが、先ほど玉藻が言うたであろう。盗賊や山賊がよく餌食になっていたと」

「むう、よくわからん。発生ということは、何か原因があるのか」

「ああ、襲われた人種を想像すると良い。山賊や盗賊が若い女を見たら何をする?」


────そういうことか。

だから無明はあんな態度をとっていたのか。


「いやしかし、彼は……そんなまさか」


だが幾ら何でも、彼は外交官だ。

流石にそのようなことは。


「信彦や、ギルドには人の捜索願が持ち込まれることがある。数こそ少ないが警察が見つけられず、藁にも縋る思いで訪ねてきたのじゃろう。占術で物探しを行うこともあるが、人を見つけるのは科学の方が格段に優れておる。こちらの支部でも何度か断っているという報告を受けておるよ、若い女の捜索を。ほんの数件じゃが、全てこの一年以内じゃ」


「…………」

「まあ、そういう事だ」

「……すまない、確かにこの場でする話題ではないな。ハルちゃんが寝ていて助かったよ」


私の謝罪に答える事なく、静かに寝息を立てているハルを、無明は優しく撫でていた。


「無明、その子は本当に優しい子じゃの。……今更じゃが後悔はないのか?」


チビチビと林檎酒を舐めていた玉藻さんの問いに、ハルを撫でたまま無明は答える。


「後悔など、あの時に済ませておる。今はただ、この子の幸せを願うばかりだ」

「左様か。まあ妾には何も言えぬがの」


二人は黙って酒をぐっと呷る。

私はこの男とハルの間に何があったかは知らない。

十年来の付き合いだが、気付けば一緒にいた。無明もハルについて多くを語らないので、容易には踏み込めない。

なんとなく辛気臭い雰囲気になってしまったので、たまらず話題を変える。


「そう言えばこの子、貯金とかしっかりしているのだな。無明、お前も意外と親らしいことを教えているんだと感心したぞ」

「ん? オレは何も教えてないぞ。この子が自分で始めていたのだ。貯金があるなら、我慢せずともりんご飴くらいは買えたであろうに」


そう言えば、あの屋台でハルは無明にりんご飴をねだっていたな。


「本当に鈍感な男じゃの。この子はお前と一緒に飴を買って食べたかったのじゃ。貯金もお主の金欠ぶりを見てのことじゃろうて」

「なんと、そうなのか。よし、明日は礼にいっぱい買うてやろう」

「たわけ、りんご飴をいっぱい買うのではなく、いっぱい買えるような甲斐性を身につけろこの阿呆」

「くくく。その通りだな、これは玉藻に一本取られたか」


全くと呆れながら、盃に残った酒を飲み干す玉藻さん。

そろそろお開きの時間だ。


「さあ、もう帰ろう。無明、明日は頼んだぞ。マクレーンの件は……ああ、胃が痛い」

「ノブ、案ずるなと言ったであろう。まあ座して吉報を待つがよい」


相変わらず見透かすようなことを言う、気に食わない奴だ。

だが、嘘を言ったことはない。

気に食わないが、信用できる得体の知れない男である。


────あれはもう手遅れだ。


会計に向かう際、無明がボソッと言ったことを私はうまく聞き取れなかった。

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