第2話 牽制
消灯時間を間近になり、PP部屋には坂本先生と4人の女子が揃った。あらかじめそういう部屋で寝ることは部屋割りの時に知らされているが、他に誰がいるのかは前もって教えられてはいない。他の生徒たちには、大事な薬を常用している生徒は医務室で就寝する決まりがあると伝えているため、夜尿が心配で他の部屋で寝るとは思われていない。
「え、柳さん?」
2番目に部屋に来た小林さんが驚く。同じクラスで、しかも委員長も務めるしっかりものの柳さんが自分と同じ悩みを持っているとは思いもしなかった。
「優衣ちゃんもこの部屋だったんだ」
柳さんはホッとした様子で小林さん返事をする2人はクラスメイトだが、夜尿症という共通点があるとはお互いに想像もしていなかった。
「柳さんも、アレ、だよね?」
「うん、たぶん同じだと思う」
多感な時期の女の子にとっては、おねしょや夜尿など直接的な言葉を言うのは憚られるらしい。アレと言葉を濁してお互いの状況を確認し合った。
「柳さんは毎日?」
「ううん、週に1,2回くらい、かな」
顔を赤くしながら柳さんは答える。
「え、すご!私ほとんど毎晩だよ。夜のうちに体が枯れないのが不思議なくらい」
どうやら小林さんはユニークな子らしい。あまり恥ずかしがる様子もなく自分の夜尿遍歴を柳さんに話している。柳さんは最後までおむつを嫌がったくらいなので、同じ境遇とはいえおねしょのことを話すのは恥ずかしいようだった。
次に部屋にやってきたのは柏木さんだった。丁寧にコンコンとノックをし、小林さんの「どうぞー!」という声に導かれそっと部屋に入ってきた。身長も高くスポーツが得意だが、気が弱いタイプらしい。小さな声で「おねがいします」とだけ言って、壁際に荷物を置いて腰を下ろした。
柳さんは4年生の時に柏木さんと同じクラスになったことがある。しかし友達と積極的に話すタイプではなかったので、特につながりがあるというわけではない。
「紗世ちゃん、よろしくね。私たちみんな一緒の理由でここにいると思うから…」
精一杯の励ましを言おうとしたが、柏木さんはうん、と小さな声でうつむくだけだった。
最後に部屋にやってきたのは金川さんだった。1学年200人を超える学校なので、目立たない生徒だと存在を知ることなく卒業していくことも珍しくはない。先に来た3人とも、金川さんとは面識はなかった。金川さんは軽いトーン「おねがいしまーす」と言うと、なんともない様子で荷物を広げて寝る準備に入っていた。そうこうしているうちにカバンを下げた坂本先生が部屋に戻ってきた。
「ごめんごめん、職員会議で遅くなっちゃって。4人とも揃ってるわね。とりあえず座って」
テンション高く柳さんに話しかけていた小林さんも、一旦畳の上に座る。坂本先生を入れた5人は車座のような形で座った。坂本先生は優しい声で話し始めた。
「そんな真剣な顔で聞かれると私も緊張しちゃうから、気楽な気持ちで聞いてね。4人ともどういう事情でここに来たかはよく理解してると思うんだけど、これはね、別に恥ずかしいことじゃないの。自分だけって寂しく思うこともあるかもしれないけど、毎年何人もいるのよ」
さっきまで騒いでいた小林さんも、坂本先生の目を見て話しを聞いている。柏木さんと柳さんはすこし恥ずかしそうにうつむいているが、金川さんは何を考えているわからないような表情をしている。それぞれの顔を見ながら坂本先生は続ける。
「体の成長も人それぞれだし、おねしょしちゃうことも個性みたいなものなの。寝てる時のことなんだし、自分でコントロールできないことを恥じる必要はないのよ」
おねしょというワードに敏感に反応したのは柏木さんと柳さんだった。避けている言葉だからこそ、急に出てくるとヒヤッとする。
「あまり長話するのも良くないわね。早速寝る準備をしましょ」
そう言うと、坂本先生は名前を確認しながら4人それぞれに袋なり巾着なりを渡す。4人それぞれ袋の大きさが異なる。柳さんの袋はかなり小さく、逆に柏木さんのビニール袋は大きいようだ。おむつをそのまま渡してきた金川さんだったが、さすがに気を使って坂本先生が中身の見えない黒いビニール袋に入れてきてくれていた。
「着替えは部屋についてる個室トイレでしましょうか。順番に入って着替えてね」
なんとなくけん制し合いながら、最初にトイレに向かったのは小林さんだった。トイレに入った小林さんは、かわいらしいアニメの柄の巾着袋を開く。袋には、「2-4こばやしゆい」とお母さんが書いであろうきれいな字で名前が張り付けられていた。小さい時に使っていた体操服入れをそのままおむつの袋にしたらしい。
そっと一枚パンツタイプの紙おむつを取り出し、トイレのフタの上に置いた。細身の彼女には幼児タイプの大きいサイズでも入るようだった。慣れた様子で右足、左足と通し、腰のところまで引き上げた。修学旅行の就寝時の格好は体操服と決められている。青いジャージのハーフパンツを引き上げて、腰回りからおむつが見えないようシャツをズボンに入れてからトイレを出た。小林さんがトイレに入ってすぐ、金川さんが思わぬ行動に出た。
「先生、私別に大丈夫なんでそのまま着替えますね」
そう言うと、おもむろにビニール袋から紙おむつを取り出し、ハーフパンツに手をかけた。先生も他の2人も呆気にとられて金川さんの方を見た。彼女はそんなことを気にする素振りもなく着替えを始めた。一応壁の方を向く気遣いはあったが、パンツを脱いだお尻は丸見えだ。
「金川さん、いいの?」
おそるおそる坂本先生は尋ねたが、彼女は手に持った紙おむつを腰まで引き上げながら「大丈夫です」と笑顔で答えた。大人用の真っ白な紙おむつのお尻には、大きくマジックで「金川凛」と書かれている。少し変わったコだなという印象はあったが、おそらくお母さんもそうなのだろう。金川さんの思わぬ行動で部屋の雰囲気は和やかになった。小林さんがトイレに着替えに行くときには誰から行くのか目でけん制し合っていたのに、今はお互いにおねしょやおむつを恥ずかしがる空気が消えた。
「金川さんっておもしろいね」
柳さんが笑いながら声をかけたが、当の本人は「そうかな?」と空気が変わったのも意に介していない様子だった。トイレで着替えを終えた小林さんは、体操服に下半身おむつだけの金川さんを見て驚いたが、金川さんはそのリアクションにも怪訝な表情をするだけだった。
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