修学旅行のPP部屋

はおらーん

第1話 準備


そっと部屋のドアを開けると、どうやら女の子の4人部屋らしい。仰向けに行儀よく眠っている子、布団を抱き枕のように抱えて眠っている子など様々だ。養護教諭の坂本先生は、掛布団がはだけている生徒のそばに近寄り、掛布団を直してあげた。寝巻代わりの体操服のハーフパンツは不格好にふくらみ、腰回りからは白いギャザーのようなものがヒラヒラしていた。




「坂本先生、今年のPP部屋は何人ですか?」

「今年は女の子ばかり4人と聞いています」


坂本先生と呼ばれた優しそうな女性はおだやかに答えた。


「4人なら医務室で足りますね。後の対応は例年通りお願いしますね」

「はい、承知しました」


坂本先生の返事を聞き終えて、教頭は足早に次の議題へと話を進める。今は6年生の修学旅行に関する職員会議の真っ最中だ。議題は各職員の役割分担と配置についてだったが、養護教諭の坂本先生にはほぼ関係がない。修学旅行中の仕事と言えば、生徒たちの体調管理とPP部屋に関することだけだからだ。PP部屋とは、この学校だけで使われる隠語だ。誰が言い出したかわからない。坂本先生も赴任してきた当初は意味がわからず隣の席の先生に聞いた。PP部屋とは、おねしょが心配な生徒を集めて寝る部屋の隠語だった。


(今年は4人か、女の子だけだと部屋分かれなくて楽ね)


会議を終えた坂本先生は、PP部屋になる予定の4人の健康調査カードに目を通し始めた。アレルギーや基礎疾患を確認する以外に、夜尿の有無や対応を書く欄もある。


「1組の柏木さん、2組の小林さんと柳さん、4組の金川さんね。柏木さんと柳さんはしっかりしてるように見えるけど意外ね」


柏木さんは身長も高くスポーツも得意な女の子だ。体の成熟の問題よりも、少し気の弱いところが原因なのかなとぼんやり想像した。2組の柳さんは学級委員長も務めるしっかりもの。毎年思うが、本人の性格や体と夜尿症というのは関連がないんだなと改めて実感した。4人のうち自宅でもおむつ常用しているのは柏木さんと小林さん。残りの二人は毎晩ではないものの、週のうち夜尿が出る日の方が多く心配のため、ということだった。おそらくはおむつを持参することになるだろう。



「もしもし、小林さんのお宅ですか?はい、養護教諭の坂本と申します。今度の修学旅行の持ち物の件で、ハイ…」


PP部屋対応の最初の一歩は、保護者との対応の確認と、おむつの持参についてだ。夜尿が心配な生徒たちにとっては、自分のカバンにおむつを入れていくというのは大きな負担だ。万が一それが露呈することになれば、一切の言い訳はできない。おねしょが心配でおむつを履いているという事実を白日の下にさらすことになる。そのため、坂本先生は旅行の前日までに、当日使用する紙おむつを持参して預けておくよう保護者にお願いするのである。


「ハイ、前日までに私坂本宛にお持ちいただければと思います。他にも夜尿の心配な生徒がいますので、お名前がわかるようにしておいてください。お願いいたします」


坂本先生は丁寧な言葉づかいで電話を終えた。毎年そうだが、電話や面談で「他のお子さんもいらっしゃいます」と言うと、たいていの保護者はホッとした表情をする。やはり誰かに相談しづらい内容なので、どうしても自分で抱えがちになるようだ。


普段からおむつを使っている柏木さんと、金川さんも同じように前日までにおむつを持参することで確認がとれた。柳さんは普段はおむつを使っていないため、電話で少しお母さんと話すことになった。


「すいません先生、娘がどうしてもおむつはイヤだって聞かなくて…。普段はおねしょシーツで対策しているので、おむつは赤ちゃんみたいでイヤだって泣くんです」


「そうですか、本人もお母さんもつらいですね。他にもおねしょが心配な子たちと一緒の部屋に泊まるというのはお伝えいただけましたか?ここだけの話ですが、他に3人夜が心配な女の子がいるんですけど、みんなおむつ持参なんです。もしどうしてもおむつがイヤということなら、おねしょパッドと言ってパンツに貼るタイプのものがあるので、前日までにどうなさるか決めて改めてご連絡ください」


お母さんはありがとうございますと言って電話を切った。結局数日後に電話があり、おねしょパッド、要は尿取りパッドなのだが、それを持参することで決まったようだった。


コンコン

放課後保健室のドアを叩く音が聞こえる。この時間帯は、大抵はグラウンドや中庭で遊んでいてケガをした子供が来るのだが、今日は違った。PP部屋の一人金川さんだった。


「先生、コレお願いします」

金川さんは、テーブルに置いたランドセルを開くと、おもむろに白くて厚ぼったいパンツのようなものを二つ坂本先生に手渡した。それは紙おむつ2枚だった。おむつには、大きなマジックの文字で「金川凛」と書かれている。金川さんは、もう一度「お願いします」と言って坂本先生の胸に紙おむつを押し付けて足早に保健室を出ていった。他の3人はすべて保護者が朝か夕方に保健室を訪ねてきて、直接おむつを渡してきた。さすがに生徒自身が、それもランドセルから直に裸のおむつを取り出したのは坂本先生も初めてで面喰った。おむつ自体に名前を書いているのも金川さんだけだった。他の3人は中が見えない袋に入れて、名前を書くかタグをつけるなりしている。坂本先生は、「保育園の持ち物みたい…」と心の中で思ったのだった。


紆余曲折あったが、なんとか4人分のおむつは確保できた。あとは修学旅行当日である。

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