什 「竈門炭治郎のうた」と日本アニメの限界(愚痴)

 魔道祖師の第3弾PVが発表されて、ガッカリした。


 日本版のOPとEDの付けられた、それは、何と言うか私の見知らぬ作品となっていた。

 大河ドラマが、ただのバトルアニメになってしまった感じだ。


 日本版は、まあ、悪い曲ではないのだけれど、どちらも、日本の音楽に典型的な、感情に強く訴える系統、いわゆるストレートに「泣かせる」タイプだ。


 魔道祖師は、美術や音楽、細部にいたるまで徹底的に世界観にこだわって作られた作品だ。当然、オリジナルのOP、EDにも作品の世界をイメージづける重要な一部となっている。


 OPの「酔夢前塵」は、主人公たちのモチーフとなる笛と琴という織り交ぜた、無常感

漂う楽曲で、見る人を物語世界に導く役割を果たしている。EDの「問琴」は、人知れぬ静かな哀しみを繊細に表現している。


 それを、取り替えてしまったとのだから、情趣も何も、全て吹き飛んでしまった。


 まあ、日本でアニメに求められるものが、文化と言うより娯楽の比重が大きいから、致し方ないとは思う(事実、アニメファン層には評判がいい)


 ただ、今回紹介されることで、音楽含めた日本のアニメのあり方を、見直すきっかけを与えてくれれば、と期待していたけれど、甘かった。何でもジャパンスタンダードに落としてしまう手腕は、まあ、お見事としか言いようがない。


 日本の文化はアニメだけ、とか胸を張って言う人いるくらいだから、音楽の層もそれなりだしね。本来他の文化の延長線上に、成り立つはずのものだから、その時点で詰んで要る。アニメソングしか知らなければ、楽曲の判断なんかつかないだろうしね(やや毒)


 少なくとも、魔道祖師は中国という国の文化が凄まじく反映された作品だったので本当に残念。


 ここで思い出したのが「鬼滅の刃」の19

話だ。

 累との戦いのシーンは映像の凄みも元よりだが、音楽が素晴らしかったと思っている。もし、あの場面に激しい戦闘シーンの曲がついていたら、あれほど心を動かすものにはならなかっただろう。


「竈門炭治郎のうた」によって、ただ、ひたすら妹を守りたい、という一途な彼の望みが、見る者に強く伝わってきたのだ。


 今回、SonyとANIPLEXは真逆のことをやってくれた訳だ。


 ともあれ、吹替版は見ることになるだろう。慣れると良いのだけれど。


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