After.7 伝えるということ
「―――美味い!」
私の作った煮込みハンバーグをもぐもぐ噛み締めながら、榎本は眼を輝かす。榎本は大抵どんなものを食べても「美味い」と言う。本当に美味しいと思ってるの?とか何とか思いつつも、榎本の表情がとても美味しそうな顔をしているのを見止めて私はいつも顔を緩めてしまう。
けれど、今日の私は始終強張った表情を浮かべ少しずつ食事を口に収めていた。
そのほとんどが上手く喉を通らず、無意味な咀嚼を繰り返してばかりだった。
自分で作ったのに、味がよくわからない―――榎本が今日家に来てから私はほとんど言葉を発していない。
一方の榎本はというと、実に巧みにフォークを操り順良く目の前に出された料理を口に運んでいた。
「うわ、肉汁肉汁」「このソースが良いんだよなぁ」などと叫び、すっかり目の前のハンバーグに心奪われているようだ。そんな榎本の様子を見ていると、今日学校であったことが授業中に見た白昼夢か何かのように思えてくるから不思議だ。
「大河原さんってハンバーグ作るのほんと上手いよね」
「…」
え…―――気まずいと思っているのは私だけ?
私は榎本の様子をじっと上目遣いに窺った。食べている、パクパクと食べている、実に美味しそうにハンバーグを食べている―――やっぱり自分から話を掘り下げるしかないのだろうか…と考えながら、コンソメスープを啜った瞬間に「でもびっくりしたなぁー」と榎本が言った。
私は、ピクリと肩を強張らせた後スープ皿に口を付けたまま呟いた。
「何に?」
「ん?いや、山田が大河原さんのこと好きだったなんて、知らなかったから」
「ふぅん」
私は一拍置いてから、皿を少し口から離した。視界の上端に榎本の顔が覗いていた。
「私もびっくりした」
「何に?」
「榎本が」
「うん」
「私のこと好きだ、とか言って」
「え?」
問い返された瞬間、かぁーっと頬に血が巡るのを感じた私は、何もかもごまかすように、ズズズズズと凄い音を立ててスープ吸った。
じっとこちらを見ている榎本の視線を感じながら、皿を置いてそのまま俯いた。
榎本が何も答えてくれないので不安を感じて上目づかいにその顔を窺った。と少し戸惑ったような顔をして榎本は私を見ていたので、またすぐに顔を伏せた。
え、何その反応……?
しかも「え?」って―――何、私間違えた?
え、もしかして、勘違い、もしくは聞き間違いだった―――…!?
「大河原さん」と真剣な顔の榎本に呼ばれたので、私は「はい」と返事をしながら正座した。榎本は非常に困惑した表情のまま「大河原さん、もしかして知らなかったの?」と言った。
「え、何を……?」
「俺が大河原さんのこと好きだってこと」
「え、う、うん」
「う、あ、知らなかったんだ」
「…え」
「俺もうとっくに知ってるのかと思ってた」
「もう、とっくにって―――…」
間抜け顔で榎本を見返した私に榎本は少しだけ目を見張った。私は、ぱちぱちと瞬きして榎本を見た。
「うーん……前に、言わなかった?俺」と頭を掻きながら今度はこちらに問い返してきた榎本に張りつめていた気が抜けていくのがわかった。
私はこめかみを両手で挟みながら、唸るように言った。
「前にって……え、あの、何かモノのついでみたいなヤツ?」
「いや、そうじゃなくても俺、結構わかりやすいって言われるんだけど」
「え、だ、だ、だ、だ、だって!!!!」
「だって?」
「だって、でも、わかんなくって、榎本は!!!!」
「何が?」
「こう何て言うか、善意なのか好意なのか気まぐれなのか」
「え~?」
「…」
「でも俺、好きでもない子に誕生日ケーキ買ってきたりしないし、海にも誘ったりしないし、風船3つもサービスしたり、そもそも毎日会いに家に来たりしないよ」
「!」
うっと言葉に詰まって私は身体を小さくした。
確かに、榎本の好意を感じる瞬間はあった、にはあった。けどだからって”この人は私のことが好きなんだ”なんて、普通思わないんじゃない?
前に確かにそんなこと言われたけど、榎本のことだからどうせ”人間として好ましい”って意味なのかなとか思ったりして。
そのまま何となく流れちゃったし……”とっくに知ってると思ってた”ってそんなこと言われても―――え、私がただ単に鈍いだけ?
ちらりと榎本を見ると、少々楽しげな笑みを浮かべて付け合わせのブロッコリーを口に運んでいた。私はフォークを卓に置き、一人悶々と俯いていた。まともに顔を顔を上げられない。頬が熱い。
「大河原さん、もっと自惚れてもいいと思うよ」
「何ソレ」
「だから、もういっそ自意識過剰なぐらいで十分だと思う、俺は」
「やだ、そんなの」
「じゃぁ俺のことだけでもいいから、もう少し自惚れてほしいんだけど」
「どういうこと?」
「どういうことって」
ぐんと床から伝わった振動に、顔を上げるといつの間にやら榎本がフォーク片手に立ち上がり私の隣に腰を下ろしていた。榎本は顎を手にのせて少し眉を寄せると私を見て少し笑った。
「放課後さ」
「え?」
「玄関で山田が待ってて、一緒に帰ったんだ」
「…」
あの時…―――榎本の言葉に私が顔を上げた瞬間、授業開始の予鈴と共に先生が教室に入ってきてその場はお開きとなった。
でも山田は何度も振り返ってこちらを見ていた。
そっか、一緒に帰ったんだ――…。
二人の間でなされたであろう会話内容を想像し、私は胸がずんと重くなるのを感じた。血走った山田の目を思い出した。
「山田、何か言ってた?」
「うん、まぁ、そんなに大した話はしなかったけど」
「そっか」
「決別しようって、それぐらいかな」
「ふぅん…ケツベツ」
「うん」
「けつべ……え!?ちょっと待って・・・決別!?」
「うん、決別」
私は口をパクパクさせて榎本を凝視した。
「驚きすぎだよ、大河原さん」と呑気に笑う榎本に私はくらりと眩暈を覚えた。こんなとき私が言うべき台詞って、かの有名な”私のために争わないで”―――いやいやいや―――冗談じゃない!
「だって昨日大事な友達だって語ってたばっかじゃない!?」と私が叫ぶと「俺から言いだしたわけじゃないよ。でも、仕方ないかなぁって―――俺と山田は恋敵ってことだからね」と榎本はしみじみ答えて腕を組んだ。
何ソレ―――!?完全に私が原因じゃない!と私は頭を抱えると、榎本が少し意味深な笑みを浮かべて口を開いた。
「あとは、そう。山田がどれくらい大河原さんのこと好きなのか、延々と聞かされたよ」
「はぁっ!?」
「あ、でも俺、ちゃんと倍にして返したから」
「はぁっ!!!?」
「山田には悪いけど、うん。負ける気しないんだ、俺」
「え、あ、もう、な、何が!!!?」
「何ていうか、俺の方が山田より大河原さんのこと好きな自信あるんだよね」
「~……っ」
「大河原さん、さっきから口開きっぱだよ」
「……っ―――煩い!」
へなん、と私は力尽きて頭を垂れた。髪先が床につくのがわかった。
何かもう一気に多大なる疲労を感じていた。深い眠りにつきたい。そしてゆっくりと頭の中を整理したい。
まず、山田に関して。どうしてあれだけハッキリ断ってるのに、彼は私のことを好きだという考えにとりつかれているの?
一体何を勘違いして?しかも何も教室で、あんな大声で、榎本同居説を言わなくってもいいじゃない!
次、榎本に関して。そうやってあっけらかんと色々言われると、困る。今まで散々曖昧に濁して私を甘やかしていたくせに、何故に今日一気に私を追い詰めようとするの?思考が追いつかない、心臓が持たない、言葉が出てこない、悔しくて憎たらしい、榎本が、自分が。
自惚れていいというのなら―――…。
榎本がわかってくれてると思って甘えていたかった。私の弱い部分。人の言葉を信じて縋るようになることが凄く怖いこと。
私にとって素直に気持ちを晒してしまうことが、どれだけ恐ろしいことなのか、理解して許してくれること―――…。
言葉は心の裏付けにならない。
家に一人残された時、私はそうやって自分に言い聞かせていた。そうすることで自分を守っていた。「優美のことが一番大事だ」と父も母も容易く言うくせに、いつも私より大事な何かのために一緒にはいてくれなかった。私の言葉が届く距離にいなかった。
最初から何かを欲しいと思わなかったり、大事に思ったりしなければ傷つかずに済む。
なのに上手くそれができなくて、悲しい思いをするのが嫌だから、私は気持ちに蓋をしてしまうことを覚えた。
好きなモノは好きと言わないし、欲しいものを欲しいとは言わない。素直じゃない。でも言葉にしなければ、それらは世界の中で永遠に存在しないのと等しくなる。
言葉を疑いながら依存してしまう私が、最初から傷つかずに済む最良の方法。
でも疎くなる、悲しみにも楽しさにも、泣くことすらできなくなる。
榎本と出会ってから、そんな自分に気付いたんだと思う。
自分の感情を解放する、その方法と意味、を―――…。
そんなことを考えながら私はゆっくりと顔を上げて、それから少し驚いて思考を止めた。榎本が真剣な顔を浮かべてこちらを見ていたからだ。全然笑っていなかった。
真っ直ぐに私を見ていた、だから目が逸らせなくって戸惑った。「付き合ってないって、言ったのは―――…」少し言葉を濁すように榎本は続けた。
「俺、大河原さんの気持ち、まだ聞いてないからで」
「…うん」
「だから」
「…」
「聞かせてほしいんだけど」
かちかちと時計の秒針の音だけが、部屋の中に流れていた。
いつも、こうやって榎本と向かい合うと思う。榎本はちゃんと人の目を見て話す事が出来る人だ、と。
すぐに眼を逸らしてしまう私とは、全然違う。榎本は私にないものをいっぱい持っている。前向きで、真っ直ぐで。
自分の欲しいものを、ちゃんと欲しいと言って自分の力で手に入れる努力ができる、そんな人だ。
周りのことも、自分のことも信じられる人。自信を持って力強く頷ける人。そういう人になりたいと、心の隅でずっと思ってた。だから羨ましかった。羨ましくて、すごくすごく羨ましくて――――。
でも、榎本と一緒にいると妬むよりも前に、自分も頑張らないといけないと思うことができる、そういう自分が少し好きになれた。
榎本の存在は私にとって、凄く凄く大きいなものだ。
それは既に自明と思ってたから、改めて聞かれると少し驚いた。でも、そっか。私だって言わなくたってわかると思ってたんだ―――…傲慢な考え。
言葉にしなければ、それは存在しないに等しいのだと、わかっていながら。
「今まで、そんなこと言わなかったのにね」と私が小さく呟くと「うーん、山田に触発されちゃったみたいで」と榎本が笑った。
いつもより少し強張った表情のように見えた。その顔を見て、ほうっと私は息を吐く。「でも負ける気、しないんでしょ?」と私が少し嘲笑すると「うん」と真顔で榎本は首を縦に振る。その潔さが、私は好きだ。
「榎本が、知らないみたいだから」
「?」
「教える、けど」
私は榎本と違って、目を逸らしてしまう。でもちゃんと言葉にして伝えようとする、努力ぐらいは―――できると、そう思って深呼吸した。「私は」喉の奥が震えた。でも、そんなの気にしてなんか、いられない。
「私は、好きでもない男子に、毎晩手料理ふるまったりなんかしない、し」
「…」
「バイト先に会いに行ったり一緒にスーパー行ったり銭湯行ったり海行ったり、弁当作ったりもしない。アイスも、ケーキも、シュークリームも半分こにしたり、しない、し」
「…」
「誕生日ケーキ貰ったからって、泣いたり、抱きついたり、そういうことも、絶対にしないから」
「……―――だからもう、とっくに知ってると思ってたんだけど」と私は少し目線を上げて榎本の顔を窺った。少し放心しているような表情で、どこか遠いところを見つめたまま暫く榎本は動かなかった。
沈黙の後―――ふっと榎本が視線を下げた。「そっか」と呟きながら手の甲で口元を押さえたその目元が細まる。
「そっか、そうなんだ、俺も、うん、知らなかったかも」
「榎本も、もっと自惚れた方がいいんじゃない?」
すくっと榎本が立ち上がった。そして、ぎゅっと拳を固めて暫し停止した。しかし、またすぐに腰を下ろして、そわそわしていた。
何事か、と私が凝然と榎本を見ている間に、榎本はガリガリと頭を掻いて「あぁ~そっか、そうなんだ」と何やら独り言を呟いてゴロンと床に転がった。
「え、榎本?どうしたの?」
「え?ん、何か、凄いちょっと嬉しくて」
「…え」
「そっか、うん、そっか」
前髪を掻き上げた榎本の額が、部屋の明かりを反射して白く光っていた。笑いかけられて笑い返そうとしても、できなかった。
何だかもう、ちゃんと目が合わせられそうにない、と思いながら、私は部屋に視線を彷徨わせた。
と、目に入った壁時計を私は見つめていた―――ぼんやりと秒針が回っていくのを意識を落ち着かせようとして追っていたのだ。だんだんと焦点が定まってきて、正しい時刻を認識していく。
そっか、もうこんな時間なんだ、あと少しで、9時っ――――…って!?
「榎本!!!」と私は叫ぶと、嬉しそうに床に転がっている榎本のお腹を思いっきり叩いた。不意打ちを食らった榎本は「ぐふっ」と小さな呻き声をあげた。
「呑気に寝てる場合じゃないわよ!バイトでしょ、今日!!!」
「うわぁ、もうこんな時間かぁ」
「何その諦めきった反応!あと五分あるじゃん、走れば間に合うって」
「いやでも、俺、今日は」
「何うだうだ言ってんのよ!ほら、立つ!はい、カバン!」
「え…え~?」
私は榎本にカバンを渡した後、ベランダの窓を開けた。涼しい夜風が部屋に流れ込む。榎本の履いてきたサンダルが月明かりに照らされて光っていた。
榎本がカバンを抱えて庭に立つ。もう最初に庭で会った時のように、長髪でも髭でも、家なしでもないけれど、榎本がうちの庭に立つと何だかしっくりと馴染んでしまう。
榎本はうちの玄関を使わない。いつも庭から、コンコンと窓を叩いてやってくる。きっと、また、明日も。
宵闇に馴染んでいく榎本の後ろ姿にやっぱり寂しくなって「榎本」と思わず呼びとめると榎本は立ち止って振り向いた。
何を言うのかなんて特に決めていなかったから苦し紛れに「明日の、夕飯、ビーフシチューにしようと思ってるんだけど」と切れ切れに叫んだら、ヘラリと笑い顔が闇の中に浮かぶのが見えた。
「それ、最高!」
その言葉に私も笑う。そう、せめて今日だけでも―――美味しいとか、最高とか、好きだとか、そういう都合のいい言葉に思いっきり自惚れてみようと思った。
明日はもっと確信をもってその言葉を信じられる自分になろう。
そう、なるんだ、と。
いつになく前向きな自分に私浮かれてるのかもしれないと両手で頬を挟んだ。熱い、やっぱりまだ熱い。そのまま夜風に晒さて、冷めるのを待とうと、その場にしゃがみ込む。
茂った庭の草むらから、虫の音が絶えず聞こえていた。夏の終り。でも、今の私にはまだまだあつすぎる季節だと、汗ばんだ足の裏を触りながらそんな馬鹿みたいなこと、何時までも考えていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます