After.6 関係の定義
宵闇に包まれて寝返りを打ちながら、私は考えてしまった。
山田が私に好意を持っていて実は何度も告白されてること……私は榎本に言った方が良かったのだろうか。
そして、思った。
榎本はそれを聞いて、何か、思ったりするのだろうか―――と。
「モテる女は大変だね」とか何とか言いつつヘラリと笑う榎本の姿が脳裏を過った。
有り得る、大いに有り得る……と内心げっそりしながら私は枕を抱えた。
冷たくなった両足裏を擦り合わせて、私は頭から布団を被って丸まった。
私と榎本って何なんだろう、とその時ふと思った。
榎本はほぼ毎晩、この家に夕飯を食べに来る。時々ちゃっかり風呂にも入ってく。
夏休みは一緒に海に行ったり、銭湯にも行った。今までで一番楽しい夏休みだった。
それは全部―――榎本のおかげだと思う。榎本といると私は楽しくなる。
夏休みが終わってからも、榎本はうちに来るし、学校でもたくさん話をするようになった。私は榎本のこと色々と知っていて。榎本の箸の持ち方と私の箸の持ち方が違うこととか、大抵のデザートは抹茶味をセレクトすることとか、チェスが得意なこととか、とんでもなく気が長くて大抵のことは笑って済ませちゃうとことか。
そんな私と榎本の関係って何なんだろう?
友達。え、友達なの?うん、じゃぁ何?そもそも榎本にとって私って、何?
そこまで考えて、一瞬浮かんだことに血の気が引いた。
何だかもう考えるのが嫌になって枕に顔をうずめて、一人唸った。時計の秒針がやけに煩く感じた。私、どうして―――
どうして今更、こんなこと考えちゃったんだろう。
*
「大河原さん、大丈夫?」
前の席に座っていた榎本がクルンと私を振り返り、心配そうに尋ねてきた。「おう」と私はよくわからない返事をして頷くと机に突っ伏した。
昨日、ほとんど寝れなかった。
お蔭で今、とてつもない眠気に襲われている。初秋の陽の光は春と似ていると思う。暖かくって柔らかい。
窓際の一番後ろに座っている私はつい、うとうとしてしまうのだった。
いつも授業中に仮眠をとっている榎本の気持ちがわかった気がした。うん、これは無条件に眠い。
「もしかして具合悪い?」
さっきの授業で当てられた私は寝ぼけ眼で何も答えられなかった。先生の質問すら聞いていなかったのだ。派手な叱責を食らった。
こんなこと初めてだから、多分心配してくれたんだろうな、と榎本の顔を見てぼんやり思った。
「ううん、単なる寝不足……」
「あぁ……また遅くまで本読んでたんだ」
「違うわよ!色々考えてたの」
「へぇー何を」
「べーつにー」
と私は呟きながら顔を伏せた。鼻先に机が当たって冷たい。「榎本のばか」と呟くと「それって八つあたりっていうんだよ」という呑気な声が頭上から聞こえた。煩い、そんなことわかってますとも。
「…榎本」
「んー?何」
「何でもない」
「そういうのって一番気になるんだよなぁ」
「あのね」
「うん」
「……あのね!」
と私は目を開けると勢い付けて顔を上げた。すると思ったよりも近くに榎本の顔があったため私は固まった。
椅子の背もたれに両手と顎を載せて、榎本はいつものように笑っていた。「何?」と聞いてくる声色が、何だかとても優しいものに聞こえて、私は口をパクパクさせた後「やっぱり何でもない!」と言って顔を伏せた。
やっぱり無理!!!
言えない―――…私のことどう思ってるの?なんて乙女チックな台詞!!!
昨日、寝る前に考えたことが再び頭をよぎった。
もしかしたら榎本は私に気を使って毎晩、夕飯を食べに来てくれてるのかもしれないって。
私が前に泣いちゃったから、毎晩料理作って待ってるから、だからバイトで忙しいのに、時間作って来てくれてるのかなって。本当は無理やりなのかなって、だって、そうじゃなかったら―――…。
ちらと榎本を見ながら、私って人の好意を素直に信じられないんだ、と思った。
榎本が冗談っぽく言ってくれる言葉も、誕生日のケーキも、バイトで忙しいのに家に来てくれることも、都合良い裏付けにすることが出来ない自分が悲しかった。
でも、曖昧な榎本にだって責任はあると理不尽な考えに逃げる。私は弱くて卑怯だ。そのまま小さく嘆息して、窓の外を見ていた。
その時、榎本の「あ」という声がした。続け様にもう一声。
「山田!」
「淳平」とその声に答えるように聞こえた声と、近づいてくる気配にぎくぅ―っと私は全身を強張らせた。
山田!?山田が来てるの?
逃げるか……いやこの状態じゃ無理、どうするどうするだったら、もう―――いっそこのまま寝てしまいなさい優美、そうよ!そうすれば顔は見えないし、バレない。
あぁー眠い眠い寝不足は辛い。
ほら、段々意識が遠のいていく……羊が一匹羊が二匹……何も見えない何も聞こえない……いざ!眠りの世界へ……。
「山田、何、どうしたの?あ、もしかして何か教科書忘れた?」
「淳平」
「ん?」
「お前に……聞きたいことがある」
「?」
「俺―――昨日、見ちゃったんだけど」
「何を?」
「お前が」
「―――…大河原さんの家に入ってくところ」
ヒィィィィと私は顔を伏せたまま心の中で悲鳴を上げた。何も聞こえないどころか、ばっちり聞こえちゃってるんだけど!!!?
山田の低い低い抑揚のない声が……何?これもしかして悪夢…―――
「あ、そうなんだ~」と榎本の声が聞こえると同時にヘランと空気が揺れた気配を感じた。榎本が、笑ったんじゃないかと思った。
「付き合ってんの?お前、大河原さんと」
私は両腕の中で目を開けていた。腕を組んだすき間から入る光で、机の木目が鈍く光っていた。一瞬の間があったが、榎本は直ぐに口を開いて言った。
「付き合ってないよ」
すん、と頭の芯が冴えるような感覚を覚えた。そして本当にその瞬間、何も聞こえないような見えないような、奇妙な心地になった。そっか、そうなんだと思った。
私と榎本は、付き合ってない。別に、全然変な答えでも何でもない。
そう答えるのが、一番自然だもん。だって、私だって、榎本と付き合ってるのって聞かれたら”付き合ってる”なんて答えられない。
でもきっと―――…躊躇う。少しでも、躊躇ってしまう。
榎本は全然、躊躇ったりしないんだと思った。少しも迷わないんだと思った。
はっきり言いきってしまえるほどに、榎本にとって私の存在って明確なんだなと思った。何か、私、馬鹿みたいだと心の中で独りごちた。
山田が息ついた音が聞こえた。
顔を上げられない私の耳に、二人の話声が聞こえてくる。できることなら此処から立ち去ってしまいたい。でも、動けない。
「じゃぁお前、昨日の夜何しに大河原さんの家行ったんだよ?」
「夕飯、食べにさ」
「夕飯!?何でだよ!」
「何でって?」
「おかしいだろ、何で同級生の家に夕飯食べに行くんだよ。付き合ってないんなら、どういう関係で夕飯食べさせてもらってんだよ!意味わかんねぇよ」
「そうかなぁ」
「ほんとに付き合ってないんだよな」
「うん」
明らかに苛立ちを露わにした山田が息を吐いたのがわかった。
何か、もうどうでも良くなってきたなぁと思いつつ私は眼を閉じた。休み時間が異様に長い気がした。早く授業が始まって、何もかも終わってくれればいいのに―――…。
「でも俺は、大河原さんのこと好きだけどね」
確かに聞こえた榎本の声。
顔を上げるとやはり直ぐ近くにその顔があった。いつものようにヘラリと笑っていた。
やはりこいつは変人だ、とその時私は確信した。
血走った眼でこちらを凝視している山田は元のほか、今や教室にいるほとんどの人が私たちを見ているというのに、そんなことあっさり言ってしまう榎本は、やっぱり変人だ。異様な沈黙が流れたのを感じた。
頬が紅潮していくのがわかったけど―――顔を上げてしまったから寝ているふりは、もう、できそうに なかった。
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