After.5 友達

「はー……でも意外だったなぁ」


「大河原さんと山田が顔見知りなんて」としげしげ呟きながら榎本は鯖の味噌煮を箸でつつく。

私は一瞬箸の動きをピタリと止めた。適切な言葉を掴みかね返事に窮した私は何も答えずに冷奴を割ることにした。


リスの着ぐるみから顔を出した山田の顔を―――何とも言えない表情の強張り様、射るような眼差しでこちらを見つめていた同級生の姿を思い出して、ずぅんと胸の辺りが一気に重く沈んでいくような感覚を覚えた。


私は重い口を開いて、榎本に問いかけた。


「あの後、どうだった?」

「へ?あの後って?」

「私……ほら、突然走り去っちゃったから、その、えっと」

「あぁ、いいよ全然。ちょっとびっくりしたけどさ。で、タイムセール、間に合った?」

「う、うん」


味噌汁がずずずずっと口元で一際派手な音をたてた。

そう―――私は逃げたのだ。

突然の山田の登場に動揺し、スーパーのタイムセールがどうとかと意味不明な言葉を口走ってあの場から走り去ったのだった。


あの時後ろから『大河原!』と山田が私を呼ぶ声がした。私は全身に汗をかきながら必死にエスカレータを下った。山田が、怖かったからだ。


一昨日、体育の授業をさぼって教室で不貞寝している私の元に山田は何処からともなく現れた。

そして、夏休み前と同様に―――告白された。

好きだと言われた。とりあえず付き合ってくれと繰り返された。けど私は、ごめんと何度も鸚鵡のように答えていた。

そんな私にじりじりとにじり寄りながら、山田は瞳を熱く潤ませて、衝撃の台詞を吐いた。


『―――大河原……目を覚ませ!!!』


目を覚ませって―――それはアンタの方でしょ!と私が内心ツッコミを入れている間に山田は熱く私の目を見つめながら言葉を続けていた。


『なぁ、大河原、ほんとなのか?ロン毛で髭面の不良男に騙されてるって話は!』

『は、はい?』

『そいつに俺の為に働けって、脅されて、夜のバイトしてるって、本当かよ!?』

『ちょ、ちょっと待って!その話誰に―――』

『わかる、よ……大河原、両親いなくて淋しいって、前に言ってたもんな、人のこと上手く好きになれないって……でも、だからって……クソッ…!』

『いや、あのね、山田、何か誤解―――…』

『大河原、でも、俺は、俺は』


『俺は、大河原のこと大事にするから!』と言って私の両肩をガシッと掴んだ山田に、身の毛がよだつ程の危機感を感じた私は、咄嗟に膝を上げた。

その後の展開は敢えて伏せておこう―――弁解しておくけれども、別に、狙ったわけじゃなかった。うん。


とにかくもう、山田には会いたくないとその日、教室から走り去りながら思ったのだ。

なのに、たった二日後にまさかの再会なんて……しかも……。


ちらと榎本を見ると、嬉しそうに目を細めながら味噌汁を啜っていた。

そして「うーん~何か嬉しいなぁ、俺」と呑気な呟きを洩らした。嬉しい!?私は愕然として、味噌汁を卓に置いていた。


「うれしいって、何が!?」

「んー?何ていうかさ、俺よく思うんだ。俺の周りにいる人が、こう……皆何かしら繋がってたらいいのにって」

「はい?」

「だから何か嬉しくてさ~、大河原さんと山田が友達だったなんて」


実に華麗な箸さばきで魚の小骨を取りながら、ヘラリと邪気のない笑顔を浮かべ榎本は私を見た。

どうやら榎本は私と山田がどういう顔見知りかという詳細を聞かされていないらしい。こめかみを押さえて私は目を閉じた。

あ……何か頭が痛くなってきたのはどうして……。


「え、榎本、あのさ」

「ん?」

「山田、何か言ってた?」

「何かって?」

「私のこと……何か」

「大河原さんのこと?別に何も言ってなかったけど」

「ふ、ふぅん」


私はそのまま何かを言いかけようとしたのだが、榎本が何処か遠くを見つめながら「俺さ」と言葉を続けたので口を閉じてしまった。


「山田とは、中学の時に一緒にサッカーやってたんだ」

「サッカー?」

「そう、サッカー部。結構強かったんだよ、県大会優勝したりさ」

「へぇぇ」

「俺―――……高校入試直前に家の事情で、急に志望校変えたりして大変で」


魚の骨を箸で摘まみ上げたり下ろしたりしながら、榎本は私を見て曖昧に笑った。


「その時、色々心配してくれた友達の一人なんだ、山田は。俺よりずっと頭良かったから勉強教えてくれて、すごく心配もしてくれて」

「…」

「でも、また俺の親父が逃げたり、離婚がどうだ、家がないとか大変だったから、俺……余裕無くなっちゃって」


ヘラリといつもの調子で笑う榎本だったが、どこか寂しそうに眉を下げていた。「今思えばもっと頼れば良かったかな、とか、相談すれば良かった、とか思うんだけどね」

私は箸を置いて、榎本の話に聞き入っていた。こういう話を聞くのは榎本と庭で初対面した以来だった。


「誰かに相談したり、しなかったの?榎本」

「うん。親父が世話になった人の金取って逃げちゃったからかなぁ~何か人に頼ったらいけない気がして、妙な責任みたいな罪悪感みたいなの感じてた。とにかく自分でどうにかしないとって」

「…」

「食べることと、寝ることと、学費と、あとバイト。それだけ毎日考えてたら。そのうち、大体のことが気にならなくなっちゃて。自分の服装とか、髪型とか、何食って何処で寝るとか、友達のこととかも全部」


ふぅと言葉を切って榎本はぼんやり宙を見つめていたが、ふいにこちらに顔を向けて私の視線を捉えた。

その時ふと、榎本と初めて目を合わせた瞬間のことを思い出した。雨の中吹き飛ぶ段ボール箱を必死に掴んでいた、男。

真っ直ぐに一点を見据えている力強い瞳。確かにあの頃の榎本は必死だった。


「――――大河原さんのおかげだよ」

「へ?」


不意をついた榎本の言葉に、私はふぬけた返事を返した。榎本はじっと私の目を見ていた。それはあの時と同じ、真っ直ぐで力強い瞳だった。


「大河原さん、色々してくれたから。勝手に庭に住みついた俺に。心配されて、怒鳴られて、夕飯作ってもらって、風呂借りて、嬉しくて」

「私は、別に」

「―――…大河原さんのおかげで」


「目が覚めたって感じかな」ヘラリと榎本は真剣な顔を崩した。下がり眉が更に下がる。口元が陽気にひゅんっと上向く。でも目線は、変わらず私に定まっていた。


「一人でがむしゃらに頑張ったって、どうにもならないこともあるし、空回りしてて気付かないこともあって。自分のこと大事にするって、俺のこと心配してくれる人とか周りにいてくれる人大事にすることと同じなんだなぁって」

「…」

「今は思ってる、かな」

「そっか」

「うん」

「山田も、その一人ってこと?」

「うん」


目元を緩ませて微笑む榎本。

私は、曖昧な微笑を浮かべながら榎本を見ていることしかできなかった。

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