After.4 思わぬ遭遇
セール最終日の店内は、たくさんのお客で賑わっている。
私は人込みの中、きょろきょろと視線を巡らしていた。
いない、もしかしたら今日は違う階にいるのかもしれないな、と思い始めたとき、彼を見つけた。
店の隅にある従業員入口の前のベンチに、榎本は座っていた。両腕でうさぎの着ぐるみの頭部を抱えながら、榎本はタオルで汗を拭いていた。
私は気付かれないように、そぉーと後ろから榎本に近づいた。面白い、全く気付かれていない。
私はそのモコモコの分厚い背中に向かって右ストレートを一発放った。ぽすん、と鈍い音がした。
榎本はビクッと肩を震わせて、こちらに振り向いた。私はニヤリと一笑した。
「お兄さん、子供の夢を壊してますよ?」
「わ、大河原さん」
瞠目していた榎本はすぐにいつもの能天気な笑顔を浮かべ私を見た。私はそんな榎本に笑顔を返しながら、榎本が抱えている着ぐるみの頭部を見て言った。
「いいの?こんなとこで、ウサギが頭脱いで休んでても」
「うーん、まぁ大丈夫だと思うよ。うさぎはヒーローじゃないから」
「なに、その定義」
「とにかくさ、もう、熱くって熱くって」
そう言って息吐いた榎本の前髪は、たしかに汗びっしょりだった。夏休み前に短く切った髪が伸びて、目に少しかかっているのに気付いた。
「榎本、髪伸びるの、早いね」と私が呟くと「そうなのかなぁー」と呟いて、榎本は自分の前髪を摘まんだ。
「また切ってあげるよ、こないだみたいに」
「え、いいの?」
「うん」
「はぁー……ほんとに大河原さんには至せり尽くせりだね」
「だから、それ、至れり尽くせりだってば」
あはは、そうだった、と言って榎本は立ち上がった。両手に抱えていた着ぐるみの頭部を持ちあげながら、ふと思いついたように「大河原さん、被ってみる?」と言ってそれを私に差し出してきた。
「やだ、汗臭そうだもん」と私はふいっと横を向いた。
そして、私はぴたりと首の動きを制止させた。
何故ならその時、廊下を挟んで反対側のベンチに立っているリスの着ぐるみが見えたからだ。
そのリスは片手に大量の風船の束を持ったまま、じっとこちらを見ていた。
いや、実際にこちらを見ているのかはわからないんだけど。
でも、子供連れの家族が目の前を素通りしたり、明らかに風船を欲しがる子供たちが足もとにじゃれついているのに、リスはぴくりとも動かないのだ。
そして、じっとこちらを凝視している。
もしかして、怒ってるんじゃないだろうか?とふと私は思った。バイト中に、着ぐるみの頭を脱いで、こんな呑気に知り合いと会話に興じている榎本に……。
私は少し慌てて、榎本をバシバシと叩くと促した。
「ほら、榎本、はやくそれ被んないと!」
「へ?」
「バイト中なんでしょ、いつまでもこんな風に休憩してたら、告げ口されてクビにされちゃうよ」
「告げ口って……誰にさ」
「リスに」
そう答えてちら、と私は視線を数メートル離れた先にいるリスの着ぐるみに向けた。
わ、やっぱりこっち見てる!と怖くなった私は「はやくそれ、被って!」と榎本を更に促した。
しかし榎本は「あはは、大丈夫だよ大丈夫」と言ってヘラリと笑うだけだった。
「あのリスの中にいるの、俺の友達だから」
「え?」
「それに今、休憩時間だから、何やっても怒られたりしないよ」
「でも……ずっとこっち見て……―――」
「もうすぐ、休憩交替しないといけないんだよね」
なんだ、そういうことだったのか。「良かったぁ」と安堵の息を吐いた私の頭を、ぽんぽんと榎本は叩いて「心配してくれたんだ、大河原さん」と言い笑った。
何だか妙に悔しい気持ちになって、私は横を向く。
「別に、そういうわけじゃないけど」
「うんうん、今日も一段と素直じゃないねぇ」
「煩い!ほら、さっさと交替してきなさいよ、リスの人可愛そうじゃない!」
「へいへい」
何か最近、榎本に窘められてる気がする……と複雑な気持ちを感じつつ私が榎本と対峙していると、視界の隅にこちらに近づいてくるリスの姿が見えた。
はた、と一瞬リスが私の方を見た。
目があったような気がしたので、私は小さくぎこちない会釈をした。
「淳平」とその着ぐるみの中から、くぐもった声がした。
榎本は、そのリスを振り返るとヘラリと笑ってこう言った。
「あ、ごめんごめん、今交替するよ、山田」と。私は一瞬、思考が停止した。
やまだ
やま、だ……って、まさか……―――。
え、もしかして……という想定に思わず身体を強張らせながら顔を上げた。リスが頭を脱いで、じっとこちらを見ていた。
私は一瞬眩暈を感じてクラリ、と天を仰いだ。そうそれは、紛れもなく―――――あの山田だった。
夏休み前に学校のグランド前で、私に告白してきた山田だ。
そして、二学期明けに何故だか知らないが誰かから私のメルアドを聞き、それ以後謎の長文メールを送って来る山田だった。
一昨日、私が体育の授業をサボり教室で不貞寝していたら、何処からかやって来て再び私に告白し、肩を掴まれ怖くなったので思いっきり足蹴りしてしまい私は必死の逃亡を図らざるをえなかった、
あの―――――山田だったのである。
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