第6話 榎本改造計画

「ねぇ、優美!テストも終わったしさぁ、久しぶりにオールしちゃお?」


放課後、鞄に教科書を詰めている私のところに来た真理はそう言ってマイクを持つジェスチャーをした。しかし私は顔の前で手を合わせると「ごめん!」と言って真理に謝った。


「私、しばらく遊びに行けないんだ、バイト始めたから」

「バ、バイト?優美が?」

「うん」


まさか「今日はスーパーの大安売りで」とか「実は庭に住んでいる男に夕飯を作ってて」という訳にもいかず、私はさり気なく嘘をついてしまった。

私の言葉に真理は暗い顔をして下を向いてしまったので、更に罪悪感を覚えてしまう。


「でも少しの間だけだから!夏休みはまた遊びに行けると思うし……」

「優美…ねぇ、もしかして私に言えない様なこと、してるの?」

「!?」


急に真理にそんな事を言われ、私は思わずギクゥーと肩を上げてしまった。


まさか、バレタ!?うちの庭に榎本が住み着いてるという驚愕の事実が!?―――――い、いやまさか、そんなはず…と努めて冷静を装いながら私は真理に返答を返した。


「へぇえっ?何?どうしたのいきなり?」

「だって優美最近変だもん!いつも放課後は遊びに行ってたのに最近すぐ帰っちゃうし」

「だから、それはバイトで」

「―――ずっと言おうかどうか迷ってたんだけどね」


真理はじっと私の顔を見た後、悲しそうな顔をして言った。


「先週の水曜日の優美、少しお酒臭かった気がしたの」

「!!!!」


タラりと背中に冷や汗が流れる。やばい、あれだけ気を付けてたのに匂ってたなんてっ……!


「ねぇ、優美。もしかして変な処で働いてたりしないよね?」


動揺している私を見て真理は心配そうな顔を浮かべている。どうやら真理は私が夜の仕事を始めたのではないかと疑っているらしい。全くの誤解だ。


「そんな訳ないじゃん。何で急にそうなるのよ!」

「だって、噂で」

「噂?」


私が聞き返すと真理はコクリと頷いた。どうやら性質の悪い噂が流れているらしい。

この調子じゃまたどうせ、ありもしない事ばかり言われているのだろう。

私は大きなため息をつきながら「で?どんな噂よ」と聞いた。


「優美がね、不良っぽいロン毛の髭生やしたイケメン男と仲よく腕組んで歩いてるの、何人もの子が見たって……」

「!!!!?」


全く予想だにしていなかった返答に私は一瞬クラリと眩暈がした。

不良っぽいロン毛の髭生やしたイケメン男……―――それは間違いなく榎本のことに違いない。

そういや最近、何回か榎本と一緒にスーパーに行っていた。

確かに、その噂は限りなく真実に近い。


ち、近いけど……っ!私は榎本と腕など組んでいない。荷物を持たせようとしたら、逃げ出した榎本を取り押さえていただけだ。

ガシッと真理は私の肩を掴みユラユラと何度もゆらしながら叫び始めた。


「ねぇ!!!優美っ!その人に騙されてたりしないよねっ!!!俺の為に働けって脅されてお金渡してるとかっ!!!いやややややあ!」

「ちょ、ちょっと、勝手に妄想しないでよ」

「優美みたいなタイプは、何でも一人で解決しようとするからっ!私で良ければ相談に乗るからっ!」

「だから、違うってば!!!」


私がハッキリと否定して「心配してくれてありがと。でもそんな事絶対ないから。信じて!」と言うと、

真理は少し涙ぐみながら「う……わかった、信じる」と呟いた。


しかしすぐ真顔になると「じゃぁさ、そのロン毛のイケメンが彼氏なのはホント?」と尋ねてきたのだった。



「―――という訳でね、結局アンタは私の又従兄ってことになったから」

「ぶっ、くくくく」


私が今日の真理との会話を話すと、榎本は声をあげて笑いだして苦しそうに腹を押さえた。


「何で又従兄にしたのさ、だったらイトコにすればいいのに」

「だってイトコはいないって、前に言っちゃったんだもん!仕方ないじゃないっ!」


さらに榎本は笑いだして最終的にゴホゴホと噎せた咳をした後、楽しそうに言った。


「じゃぁ、そのまま彼氏だって言っとけば良かったじゃん」

「ふざけないでよっ!不良のロン毛でヒゲ面男と付き合ってる事になっちゃうじゃない!」

「でも、イケメンだってさ~」

「馬鹿!そうやってすぐ調子に乗るっ!」


私が榎本の傍に近寄り、机の上に置いてあった雑誌で頭をバチンと叩くと、再び笑いだす。

女に頭叩かれて笑ってる男ってどうなのよ……と思いながら私はじぃ~と榎本を観察した。


私の作るご飯を食べる様になってから、榎本は学校でも少しずつ活力を取り戻している様に思われた。

たまにお風呂にもちゃっかり入っていく為、以前よりは清潔感も取り戻しつつある。

けれどもやっぱり、教室での榎本はどう考えても唯の怪しい変人でしかない。

今更ちょっとした変化があったところで周囲はそれに全く気付かないだろう。

榎本は変人。

これはもううちのクラスに存在するイコール方程式だ、悲しき哉。


榎本はもったいない――――――私はどうしてもそう思ってしまう。


榎本の顔立ちは悪くない。いや、むしろ良い。

それなのに、全く彼は素材を生かし切れておらず周囲もそれに気づいていない。全てはその髪型、不潔感漂う不精ヒゲ、よれよれの制服が原因である。


「ぁーぁ。早く新しいバイト見つけないとなぁ」

「え?また更にバイトするつもりなの?」


榎本は皿に残っていた最後のロールキャベツを名残惜しそうに口に入れると、苦笑いを浮かべながら言った。


「先週、酔っぱらってそのまま此処で寝ちゃったからさ、無断欠席で今日からクビにされちゃったんだよ」

「自業自得じゃない」

「俺のポリシーは”誠実・真面目・無遅刻無欠勤”だったのに、こんなこと今まで一度もないよ。情けない、本当に」

「ふぅん」


榎本は「ああっ」と頭を抱え、悲嘆に暮れ始めた。

何が誠実・真面目よ、どの口がそんな事言えるんだか、と冷たい眼で榎本を一瞥した後、私は台所に行って皿を片づけ始めた。


ふとその時、壁にかけてあったキッチンバサミが目に止まった。

暫くそれを見つめていた私は、ポンっと手を叩いてそのハサミを握りしめると榎本の元に向かった。


「ねぇ、榎本。今日はもうバイト行かないんだよね」

「うん。とにかくすぐにでも探して面接行かないと」

「つまり今日はこれから暇だってことよね?」

「今日はもう遅いから。久し振りにゆっくり眠ろうかなぁ、なんて思って」


「――――――だったら今晩、私に体を預けてみる気はない?」

私がそう言うと、榎本は飲んでいた水をブーッと思いっきり噴き出した。


あまりにも見事に飛び散った水はまるで噴水から噴き出たかの如く、綺麗に霧状になって床に零れた。

そして、榎本は何故か赤面した顔を手の甲で隠しながら私に聞き返した。


「は!?え!?は!?な、何をっ……何を預けるって!!!?」

「だからこういう事よ」

「!?」


私が持っていたハサミを小刻みにシャキシャキ動かしながら、榎本に向ってニヤリと笑った。それを見た榎本は思いっきり後ずさると、今度は青ざめた顔のまましどろもどろになってブツブツ呟いた。


「いやっ、その、もしかして誤解を与える様な事は何度かあったかもしれませんが俺そういう嗜好はないので、期待には応えられないというか、いや、その嫌ってわけじゃないんだけど、つまりその」

「は?アンタ何言ってんの?」


私はテーブルの片隅に置いてあった新聞紙を床に広げると、その上に椅子を置きながら言った。


「バイトの面接は第一印象が大切。爽やかな笑顔、清潔感溢れる身だしなみ、これ基本!!!でも、残念ながら今のアンタにその要素は一切見当たらない。よってこれから……」


私は椅子の上に立ち上がると、ビシッとハサミで榎本を指しながら高らかに宣言した。


「―――――――榎本改造計画を始めます!」



私はタオルを持って来て椅子に座った榎本にかけた後、彼の周りをぐるぐると鼻歌を歌いながら回った。


「……大河原さん、楽しんでるでしょ」

「今、アンタの生まれ変わった姿をイメージしてるの。邪魔しないで!」

「はぁ……いめーじ……」

「そう、アンタの清々しき未来に相応しいヘアーのimage…oh…」


私はそう言った直後「見えたっ!」と一声叫び、榎本の髪の毛に横にハサミを入れた。

ザクッと気持ちがいい音がして、大きな髪の毛の束が床にぼとりと落ちた。榎本はヒィィィと断末魔の様な声をあげて叫んだ。


「ちょっと待った!!!ハサミは普通縦にいれるもんだろ?おかしい、絶対おかしい!!!」

「何で弱腰になってんのよ。最初はバッサリ切るもんなの!」

「いい、おれ、もう髪型このまんまで」

「大丈夫、絶対今より良くなるから!」

「さすがに俺だって、どっかの芸人みたいな髪型になるのは嫌だよっ!」

「彼らの髪型はね、必死で笑いを取るために考え抜かれたものなのよ?榎本クン」


私はそう言いながら更にハサミを横に入れた。ザクリ、更に大きな毛の束が床に落ちる。榎本はカタカタと小さく震え始めた。


「何でオペラ座の怪人のテーマ曲歌いながら切るんだよぉ!俺はまだ死にたくないっ!」

「アンタはいちいち大げさなのっ!男なら覚悟決めなさいよ」


グイッと榎本の髪を引っ張りながら思いっきりその顔を睨むと、榎本は小さくため息をついて「わ、わかった」と呟いた。全く、これでは私が榎本を脅しているみたいじゃない。


「絶対さっぱりすると思うの。これからどんどん暑くなるし、榎本学校では髪縛らないから見てるだけで暑いんだもん」

「あれは、日差しを避けてるんだよ。あの席窓際だし、カーテンも壊れてるから眩しいんだよね~」


自慢げに榎本は指をつきたてながらそう答えた。

まさかそんな理由があったとは……―――まったく長髪を遮光カーテンの代わりにするなんてよくそんな発想が出来たものだ。


「だったら私がタオルかハンカチか貸すわよ。それでいいでしょ?」

「至せり尽くせりだね」

「至れり尽くせりでしょ?」


榎本がひどく驚いた顔をして「今まで間違えてた」と言い、私はそれを聞いてクスクス笑った。


あぁ 何かいいな、こういう時間。


私は右手でハサミを動かしながらふと、そんな事を思った。


別に友達といるのが楽しくないわけじゃない。でもなんだか、いつも楽しまなくちゃいけないって少し無理してしまうのだ。心の奥底の淋しさを押し隠す様に常に笑顔で誰かと話して、自分は独りじゃないって言い聞かせてた。


お風呂に入ったばかりの榎本の髪の毛は柔らかくてサラサラしていた。私は空いてる左手で無意味にくしゃくしゃとその毛をかき乱した。


こうやって毎日、ゆっくり誰かと一緒に夕飯食べて、他愛もない話して、家でのんびり過ごして。

今日の出来事話したり、笑ったり、怒ったり、ふざけたりして。

こういう楽しさを、今まで知らなかった。

何か、本当に…


私 今すごく幸せかもしれない。


「ねぇ、榎本」

「んー?」

「うちの庭に住み着いたのが榎本で良かったよ」


前を向いていた榎本は少し顔を上げて私を見た後、いつもの様にヘラリと笑いながら言った。


「俺も住み着いたとこが大河原さんの家の庭で本当に良かったよ」


その一言で、何故だか胸がいっぱいになってしまった。

その気持ちを隠すように更に左手を速く動かして、榎本の髪の毛をグッシャグシャにする。

榎本は「一体俺をどうする気だよぅ!」と小さく叫んだあと、再びカタカタと震えだしたのだった。


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