第百二十五話 その魂はここには在らず

 



「──よいですか? 貴方は一応主様の客人なのです。その貴方が、公共の場であのように不埒な行為を行うということは、主様の友好関係が疑われるというもの。即刻その首を断ち斬首台にでも飾ってください。その方が世のため人のためというものです」


「師匠待って俺の言葉を聞いて師匠!!!」


 ギリギリと音を発すのは、どこから取り出したのか、陽光に照らされ輝く剣──その刃先である。


 先に紡いだ言葉通り、相手の首を断とうと眼光を光らせる屋敷メイドに、その攻撃をやたらと固い狸の信楽焼(街中にあったものをちょっと拝借した)で防ぐジルは既に涙目だ。「落ち着いて! まず話し合いましょう!」と必死に声を荒げているが、その音が相手に届くことはない。

 いや、ワンチャン届いているとは思うのだが、あえて無視している可能性がとてつもなく大きい。そういう、相手が傷つくような行為をサラリとやってしまうのだ、このメイド(の皮を被った鬼)は。


 決して上手いとは言えない扱いで振るわれる剣先。地面を強く蹴り上げたことでなんとか避けること叶ったそれを両手に抱えた狸でなんとか封じ、ジルはホッと一息。すぐに顔をあげ、己が師を仰ぎ見る。


「師匠! もうやめましょうよ! 俺はまじで、師匠の言う謎プレイとかしてたわけじゃないですし! ってかしませんし! あれはただの事故ですって! いやほんとに! ねえ、ドーアさん!!」


「いやぁ、ジルくんってば積極的だよネェ~。お姉さん、びっくらこいちゃったわ~」


「おいこらテメェこんな時に火に油注ぐような発言してんじゃねえぞこの野郎ッ!!!」


 自分たちからは数歩離れた場所。確実に争いに巻き込まれないように距離をとっているドーアに、ジルは渾身の力をもってして怒声をあげる。


 そもそも、あのような事態になったのは彼女が原因だ。いきなり立ち上がったかと思えば椅子をぶん投げ、いたいけな少年にまさかの攻撃を食らわせてきたのがそもそもの原因ではないか。

 それを避けることのできなかった自分にも、まあ、米粒程度の非はあるとは思うが、やはりどう考えてもほぼ彼女が悪い。だというのに、この仕打ちはあんまりではなかろうか。怒るなら彼女を、殺るなら彼女を。被害者の自分は見逃してくれ。俺は何も悪くない。


 スン、と息を吸ったジルは、やがて肩を落としながらげんなり顔に。「本当になにもないんですってば……」と、干からびた声を紡ぎだした。


「てゆーか、師匠はこの雑魚が、ビックリするほど身の程を弁えているこの雑魚が、そんなことをできるとお思いなんですか? 本当に?」


「身の程を弁えているという部分に関しては訂正をお願い致します。あなたが我が主の屋敷にて、身の程を弁えた行動をとっているところは未だ目にしたことがありません。嘘をつけば泥棒のはじまりです。この泥棒小僧が」


「凄まじい悪口を受けてジルくんは既に瀕死です師匠!!」


 あとついでに否定すると泥棒ではございません!

 声を大にして反論すれば、淑やかを体現すべきはずのメイドはため息を一つ。ジルの腕から、若干傷の入ってしまった狸の信楽焼を回収すると、それを地面に転がし腰を下ろす。

 思わず座り心地を問いたくなった自分は悪くないはずだ。


「率直に申し上げましょう」


 スカートだからか。きちんと両足を揃えて座るラディルは、そう言って沈黙を一つ。驚くほどの無表情で、不思議そうなジルへとこう告げた。


「あなたという存在は、私の手では止められないやもしれません」


「……はい?」


「あなたは既にあなたではない。あなたであった者を蘇らせることは、ただのメイドたる私には不可能です」


「いや、ただのメイドってとこにはちょっと疑問が……」


「ジル・デラニアス」


「はひっ」


 奇妙な間を一拍。ゆるりと立ち上がったラディルは、そこで軽く小首を傾げた。


「──『あなた』は今、どこにいるのですか……?」




 ※※※※※※※※※




 ──パキンッ。


 少しばかり高い音を発し、うす暗い部屋に浮かんだ結晶にヒビが入った。傷つき血を流すように、はたまた辛くて涙を流すように、ヒビから滴り落ちる水が、結晶の真下に存在する地面を濡らす。

 淡く光る水の色。小さな水溜まりのように、それは徐々に、徐々にと範囲を広げ、その存在を少しずつ大きく変えていく。


「──ああ、かわいそうに……」


 誰かが言った。しかしその声に、哀れむような感情は見当たらない。


「痛いだろう? 辛いだろう? 大切な仲間が少しずつ消えていくから、特に苦しいにちがいない」


 陽の光を知らぬ真っ白な手が伸び、慰めるように結晶を撫で付ける。その様はまるで、我が子を慈しんでいるようにも見えなくはない。


 薄暗い闇の中、浮かんだ二つの双眼が、赤く、怪しい光を帯びた。僅かながらに細められたそれは、獣のごとき形を模している。


「大丈夫だよ、ジル」


 甘く、優しく、声は告げる。


「直に解放の音は鳴らされる。その時こそ君は救われるんだ。調停者も、神も、誰も……もう私たちの邪魔はできない。できないんだよ」


 嬉々とする声の持ち主は、そのまま結晶へと、愛しむように頬を当てた。あたたかな鼓動を感じるように、二つの眼は閉じられる。


「──もうすぐだよ、イヴ……」


 愛しき君に、直会える……。

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