第百二十四話 それは『なに』か
「いっやぁー! めんごめんご! 僕ってばどうでもいいことから忘れてくタイプだから、人の顔とか名前とか覚えるの苦手でサー! えーっと、なんだっけ? オンベルくん?」
「ジル・デラニアス! ビックリするほど一文字もかすってねえじゃねーか!!」
力任せに目の前の白いテーブルを叩き、腰を浮かせる。そのまま詰め寄るように前方にいる赤毛の女、ドーアを睨み付ければ、彼女は「にははー」なんて笑いをこぼしてからポリポリと後ろ頭を掻いてみせた。どうやら、返す言葉もないようだ。いたたまれなさそうに宙を泳ぐ瞳が、ゆっくりと右方向に向けられている。
──ここは聖地の一角。隠れたように存在する小さな喫茶店の中であった。
あの後、急遽ラディルに頼み込み話し合いの場を設けたジルは、この喫茶店を紹介された。なんでも主様行き付けの店らしい。
どことなくダークな雰囲気の店内。耳に届く心地のよいピアノの旋律。ライトアップされたステージ上では、踊り子らしき銀髪の女性が曲に合わせて緩やかなステップを踏んでいる。一体この店は何を目指しているのか……。
店自体が隠れるように建てられたせいで疎らな人の姿を横目、ジルは少しだけ獣耳を垂れ下げた。どうにも理解し難い雰囲気だが、統一性というものは追及しなくともよいのだろうか。甚だ疑問だ。
細長い、漆黒のカウンターテーブルの向こう側。金髪の男が黙々とグラスを拭っている姿を一瞥し、ジルはすぐにその顔をドーアへ。ストローを用いてオレンジジュースを飲む彼女を、無言で見つめた。
「……」
「……」
「…………」
「…………」
「……あー、もう! はいはい、わかったよ! わかりました! 聞きたいことあるんなら言いなヨ! 出来る限り答えてやるからさあ!」
勝った、と、ジルは心の中で雄叫びをあげた。そんな彼の心情を理解しているのかいないのか、ドーアはあからさまに長いため息を吐き出すと、「ったく……」と小声で文句を紡いでみせる。
「こちとら忙しい身だってのに、なぁんでお子さまに付き合わなくちゃいけないんだっての……給料減らされたらどうしてくれるってのサ……責任とってくれんの?」
「さて、それでは本題に入りましょうか」
「なに流そうとしてんのサ」
いやに凛々しい顔つきのジルに内心苛つく。されど相手は子供。ここは大人として、怒ることなく冷静に対処していこう。ドーアは密かに決心した。
「まぁー、ぶっちゃけ聞きたいことは想像つくと思うけどさ。いろいろ省いてとりあえず……ドーアさん、今まで何してたわけ?」
真っ白なカップに注がれた甘いココアを眼下、ジルは世間話をするように、ひどく自然な態度で問いかけた。顔をあげず、目も向けず、人と話すにしてはかなり無礼な様子の彼に、ドーアは微妙な表情を一つ。ゆっくりと椅子の背もたれに寄りかかると、片足で器用に古座をかいた。
「……何って、仕事してた、としか言いようがないけどなぁ」
「なんの?」
「そりゃ企業秘密……って、言いたいとこだけど、超絶簡単なお仕事だし、別に秘密にする程のことではないんだよねぇ」
大袈裟に肩をすくめ、姿勢を正す。そうして机上に片腕をつけた彼女は、挑発でもするような笑みをその顔に張り付けた。
「──聞きたい?」
どこか甘ったるい声で、問われた一言。そのわざとらしい問いかけに、ジルは自然と眉をしかめる。
聞きたいから聞いている。だというのにわざわざ問いかける必要が、さて、どこにあるというのか……。
「……ドーアさんってもしかしなくても性格悪い?」
「んー、残念なことに僕は世間一般的には性格良いんだなぁ、これが」
両手で持ったあたたかなカップに口をつけ、一口分だけ中身を啜る。喉を通った甘い液体が、ゆっくりと胃にたどり着く──その感覚をぼんやりと感じとりながら、彼は問い返すことにした。新たなる質問を。
「あの日、どこ行ってたわけ?」
カランッ……。
空になりかけたグラスの中で、氷同士がぶつかった。少し高めのその音は、口を閉ざした二人の間で、いやに大きく響き渡る。
「……あの日って?」
「飛空艇。俺らが乗せてもらった日。途中からほら、ドーアさんいなくなったじゃん? それで心配しててさー、一応……──ミーリャに、殺されたんじゃないか……ってね」
どこか、からかうような言葉だった。
問うにしてはあまりにも確信を抱いていそうな話し方に、ドーアは机上に置いたグラスをソッと握った。軽く警戒を滲ませる瞳は、到底幼子に向けるそれではない。
「……あんた、誰?」
率直な疑問である。
肌を刺すような敵意を向けられつつ問われた張本人が、大袈裟に肩を竦めて足を組む。気だるげに椅子の背もたれに寄りかかるその姿は、どこをどう見ても、今まで話していた少年とは重ならない。
同じ顔をした『誰か』。もしくは、『何か』だ。
新たな来客により開かれる扉の音も、「酒もってこーい!」と騒ぐ酔っ払いの声も、全てを無視して、ドーアは目の前の少年を睨み付けた。多少は騒がしいはずの店内ですら、今の彼女にとっては騒音にすらなり得ないらしい。ただ相手の紡ぎだす音に集中している。
異常なまでの、警戒と共に。
「……そう睨みなさんなって。別になにもしてないだろ? 俺はほら、気ままにティータイムを嗜みながら質問してるだけだ。お世話になった人を心配するのは人として当然のことだしな。ちがう?」
「人? あんたが? 寄生虫の間違いだろ」
「いーや、それは違うね。てーか、勘違いはいけない。元々これは俺の体であり、俺自身が寄生虫になり得るなんて……はっ! そんなことあるはずないね」
ケラケラと笑う姿がイビツに歪む。いや、実際には歪んだように見えただけだが、それでもその現象は、ドーアを動かすには十分な動機となった。
「──はっ!」
勢いをつけて立ち上がった整備士が、そのまま己が腰かけていた椅子を蹴りあげ、片手で背もたれを鷲掴み少年に向かい投げつける。突然のように至近距離で放たれたその攻撃は、当然ながら、通常の人間であれば逃げるどころか驚くことすら出来ぬものだ。
そう、通常の人間であれば……。
「へぶっ?!!」
悲鳴のような、はたまた、ただ圧迫されただけのような奇妙な声をあげ、ジルは椅子ごと床に倒れた。ものの見事に、飛んできた椅子一脚を顔面で受け止めた彼は、真っ赤になった顔を抑えて左右に転がる。もがき苦しむ声が聞こえるのは、決して気のせいなどではないだろう。
「あ、うっそ?! ごめんヘルくん!!」
ちょっと近くなった、されどやはり本人のモノとは異なる名を叫び、ドーアは倒れたジルに駆け寄った。慌てて抱き起こした彼が涙目で鼻血を噴出する様には、さすがに罪悪感が込み上げたようだ。「本当にごめんヨー!」なんて叫び、その鼻に懐から取り出したハンカチを押し付けている。若干押し付けすぎてジルがもがいていることには、果たして気がついているのかどうか……。
「……店内でそのようなプレイはお控えくださいませんかね」
買い物を済ませたラディルが二人の様子を見て一言。うんざりしたように呟いたのは、それから数分後のことであった。
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