第百二十二話 もはや動けぬ身なれば

 



 見てはいけないモノを、目にしてしまった。

 知り得てはいけないモノを、知ってしまった。


 どん底にも似た暗闇の中、誰かが幾度も言っている。殺せ、殺せと。憎悪にまみれた声色で。


「真(まこと)を知り得た今ならばわかるはずだ」


「それの恐ろしさも。異様さも」


「故に殺すべきであることも」


「貴様は理解したはずだ」


 動かすのも億劫な体に鞭を打ち、顔を上げる。そうして動いた視界の中、人影を発見した。暗がりにいるため顔は見えず、しかし、どことなく見覚えのあるシルエットだということを、働くことを拒む頭で認識する。

 水滴を垂らした水面のように揺れ動く影を見つめながら、重い瞼を、僅かに閉じた。そうして、決意するように、剣をとる。


「ならばやるべき事は一つだろう」


「剣を抜き、振るい、戦い、殺せ」


「それすらもできない輩が」


「『管理者』に、なれるわけもないのだから──」




 ※※※※※※※※※※※




「──やあ、おはよう」


 礼儀の欠けた無礼な入室。ノックもなしに押し開けられた部屋の中、彼女は穏やかにそう言った。

 光沢のある執務用の机の上には、本日分の書類だろうか。数枚の紙の束が、きちんと整理された状態で並べられている。


 美しく、儚く、可憐な微笑。しかしその内面に存在する狂気的な存在を知ってしまえば、その笑みが完全なものでないということも、自ずと理解ができてしまう。

 嫌な話だ。出来ることならば、一生知り得たくなかった事柄である。


 静かな挨拶に答えを返すこともなく、彼はゆっくり、ゆっくりと、足を動かした。その様は、目の前に鎮座する獲物を狙う、血を好む捕食者のように見えなくもない。

 瞳を細め、剣を握る手に力を込める。その刃先が鈍く光れば、彼の口元には、自然と笑みが浮かべられた。


「くっ、くくっ……」


 この剣を用い、自分は今から反逆を行う。

 神たる存在に。淡い恋心を抱いた存在に。絶対的な存在に。

 今から、低俗なる、このちっぽけな自分ごときが抗うのだ。


 ああ、なんて愉悦感。なんて幸福感。

 なんて、なんて──……。


 思わずと喉を揺らし、低い笑いを響かせる。

 見開かれた紫紺が、ギラリと光った。


「っ! さあ! 主様!」


 高揚する気持ち。

 心の臓が喜びに高鳴るのをひしひしと感じながら、傷だらけの男は声を荒らげた。この時を待っていたのだと。そういうように。


 深く腰を落とし、剣を構える。

 そうして標的となる彼女の首を、真っ直ぐに見つめた。


「世界の為に、その命を差し出してくださいッ!!」


 いかれ狂った声色で叫び、男は力強く踏み出した。大きな1歩を。

 一瞬にして詰めた距離を取られぬ間に、彼は手にした剣の切っ先を力のままに、彼女の白い喉へと突き立てる。


 肉を断つ感触。赤い鮮血。

 昂る感情のままに歪んだ笑みを吐き出せば、それに静止をかけるように、静かな声が発される。


「はい、残念」


 言葉とは裏腹に、どこか嘲けるような一言だった。


 音の発生源を理解しようと、軽く停止した脳が動き出した直後、オルラッドは音をたてて吹き飛んでしまう。顔面に強い衝撃を感じたため、恐らくなんらかの攻撃を受けてしまったのだろう。なんたる不覚。かつての英雄が聞いて呆れる。


 咳き込みながら顔を上げた彼の視界に、執務机の上で片足を下ろすリレイヌが、雑な動作で首に刺さった剣を引き抜いている様子が写り込む。

 どうやら自分は、あの豪奢な足に蹴り飛ばされてしまったようだ。


 痛む顔を片手で抑え、開きかけた傷を無視するように息を吐く。そのまま立ち上がれば、口内に溜まった血液を吐き捨てたリレイヌが、いたわる様にのど元を撫でつけながら瞳を伏せた。


「……いかな英雄といえど、やはり無理なものは無理らしい。まあ、想定の範囲内だ。問題はなかろう」


「は? 何を……」


「うーん。いやしかし、恐れ入ったよ。まさかその体で動けるとは、正直私も思ってはいなかった」


 話をそらすよう、吐き出された疑問を無視するよう、彼女は告げた。軽く浮かべられた微笑みが、明らかに他人を小馬鹿にしたものになっている。


「試練の規定により、治癒術は禁止されているからね。今の君の状態は、バラバラになった肉片をただ糸で縫い合わせているだけにすぎない。下手すればすぐにまたバラけるだろうさ。だというのに、今の動き……もはや人類を超越したなにかだな、君は。新規としてUMAに加えられるんじゃないか?」


 ──ここは憤るべきところなのだろうか?


 のどを貫かれたにも関わらず、ケロッとした態度で話すリレイヌに対し若干ズレた思考を抱き、いや、そうではないと落ち着いて頭を振る。そうすることで軽い現実逃避をしかけた頭をなんとか正常に戻し、剣の位置を確認。床を滑ったせいか、壁際まで移動したそれとの距離は、そこまで広いものではないが、されど近い位置にあるわけでもなかった。


 集中して動けばいける。だが、相手は龍神。

 一筋縄でいかないことは、とっくに分かりきっていた。


「……やはり、ただの一般人ごときが牙を剥ける相手ではないようだ」


 この場にジルがいたならば、即座に「一般人に謝れ」とつっこまれそうな言葉を紡ぎ、オルラッドは自嘲気味に笑みをこぼした。と同時に、いきなり襲撃をかけた身とはいえ、さすがになんの対策もなしはキツかったかと、頭の片隅で反省の色を浮かべる。


 完全に舐めていた。自分の力を過信していた。

 いや、この場合は焦っていた、という方が正しいのかもしれない。このような存在を、『彼女ら』を野放しにしておくことへの恐怖が、確かに、あった。それは間違いではない。

 間違いではないのだが、初っ端からラスボスはさすがに無理があったわけだ。さすがにレベル上げしなければ、冒険者が最終戦を迎えるには些か早すぎる。それが例え、最強とうたわれる男でも、だ。


「あーあ、血まみれ。これ見つかったらヤバいな。ヤバいよな。今のうちに証拠隠滅するか? いやでも絶対バレる。あの子変なところで鼻効くし……」


 数カ所が紅く染まった衣服を見下ろし、なにやらブツブツと呟いているリレイヌを一瞥。隙だらけの彼女に、もう一度挑むくらいならば大丈夫なのでは……?、と思考したところで、オルラッドの膝がガクリと折れた。

 突然のことに受け身すらとれず床に倒れた彼は、そのまま、脳を駆け巡る『痛み』の信号に、声にならぬ悲鳴をあげてのたうち回る。


 当然と言えば当然だ。

 彼の体は今、文字通りボロボロ。本来であれば動くどころか呼吸をすることすら難しい身だというのに、あれだけ動いたのだ。後になって激痛に襲われても仕方が無いことといえよう。


 青みがかったカーペットに赤い花が点々と咲き誇る様子を眼下、血濡れた首元を拭う素振りすら見せぬリレイヌが、疲れたような息を一つ。その場でしゃがみ、喚くオルラッドの額に片手を当てる。


「──眠りなさい」


 それこそが、試練をクリアすることも、放棄することも出来ぬ者が逃げるための、唯一の方法。


 かけられた言葉に従うように、オルラッドは静かに瞼を伏せていく。そのまま、規則正しい呼吸を繰り返す彼に微かに笑い、リレイヌは呟いた。


「傷つかなくていい。だからお逃げ。君も、ジルくんも、他の子達も。皆、逃げていいんだから……」


 言って、笑みを消し、眉尻を下げる。

 自分がそうさせないよう動いているというのに、何を言っているのか……。


「……ごめんなさい」


 心の底からの謝罪を一つ。

 リレイヌは立ち上がり、眠るオルラッドから距離をあけるように扉の方へ。「悪い。誰か来てくれ」と声をかけた数秒後、駆けてきた二ルディーが甲高い悲鳴をあげ、その声は聖地にいる少年の耳にも届くこととなった。

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