第百二十一話 お出かけ日和
「──ちょっと待って。何かがおかしい」
そう気づいたのは、自分を鍛えるという行為を行い始めて、丁度1週間が経った頃だった。
まだオルラッドも目覚めていないこの期間。短いのか長いのかよくわからない時間の中で、ジルがやらなければいけないことは大幅に増加していた。
予知夢の制御訓練からはじまり、基本的な知識の蓄え。それから戦闘力の向上。本来持ち得るスピードをさらにあげるべく、屋敷内を駆け回るのは、ここ最近ではよくあることだった。
泣いて逃げる記録くんを追いかけ回し、幾度も地面に額を擦り付けて謝罪をしたのが、まだ記憶に新しい(あれは訓練というより、ただの追いかけっこだが……)。
いや待て、ちがう。問題はそこではない。変な記憶を持ってくるな。
ジルは庭に生えた、1本の木の枝に逆さの状態で吊るされたまま、ぐぬぬ、と眉間に深いシワを刻んだ。その状態で、左右に細かく揺れ動く。
体を拘束する縄からなんとか抜け出そうともがいてはみるが、どうも上手くいかない……。
仕方なしにと動きを止め、ジルは嘆息。それから、己の真下で、せかせかと草木の手入れをしている人物へと視線を向け、口を開いた。
「ラディル師匠ー。縄抜けのコツとかないんですかー?」
周囲に響かせるような、わざとらしい大声で彼は問うた。ここ最近、いろいろとスパルタ訓練を施してくれる緑髪の彼女は、その声に1度だけ反応を示したかと思えば、無視するように視線を手元へ。何事もなかったように再開される庭の手入れに、ジルはトホホ……、と涙する。
そう。そうなのだ。
実は彼の個人訓練、その教師として授業を行ってくれているのは、今現在はラディルのみであった。てっきりイーズが鍛えてくれるのかと思っていた手前、初日早々、つい拍子抜けしてしまったのは、今でもまだ覚えている。
管理者直々の指導に、ちょっとばかり期待していたというのに、興醒めもいいところだ。
「つーか、そうならそうと勘違いするような言い方すんなっての。あんなん誰でも騙されるわチクショウ。いや別に? ラディル師匠に文句なんてありませんけどね? スパルタだけど美人だし目の保養になるしおっぱい結構ありますし……」
あるとしたら放置プレイの多さだろうか。家事の片手間に相手をしてくれているとはいえ、ここまでスルーされるのはさすがに心が傷つく。というか飽きる。
ただでさえ、自分が強くなっているか、それすらもわからないというのに……。
「師匠ー。実戦的なこととかしないんすかー?」
もぞもぞと動きまくり、なんとか片手だけでも外に出そうと奮闘しつつ、彼は問うた。そろそろ移動時間なのか、道具の片付けをテキパキと行っていたラディルは、その問いかけにゆるりと顔を上げると、すぐさま「ふむ」と考え込む。
「実戦ですか……なるほど。その手もありましたか……」
なにかピンと来ることがあったようだ。少しの間思考していたかと思えば、彼女は徐にこう告げる。
「支度をなさい。出かけますよ」
「え!? まじで!?」
「2度は言いません。10分後に門前へ。遅れれば置いていきます」
そう言って、屋敷の方へと歩いていくラディル。その姿が徐々に小さくなっていくのを視界、ジルは一度沈黙。ハッとしたように、暴れ始める。
「師匠! 待って! まず俺を解放して! ししょぉおおおおおっ!!」
少年の、嘆かわしくも哀れな声が、大きく屋敷の敷地内に響き渡った……。
「──三十秒遅刻。時間厳守も出来ないとはダメな男。服装と呼吸に乱れがあり、さも『自分は急いでやって来ました』と言いたげ。これがデートであれば持ち点は減少。もはやデート行く前に帰ってやると思っても仕方が無くなりますね。寧ろ、お前とは2度と会わねえ、とすら思いたくなる……この先が非常に思いやられます」
「なんで俺いきなりこんな貶されてんの?」
必死な縄抜け(たまたま通りかかった見知らぬ調理師さんに助けていただいた)のかいあって、なんとか遅刻を免れたジル(ラディル曰く三十秒遅刻のようだが……)。いつも身にまとっている神子の衣装とは違い、彼は今日、此れ見よがしにベッド上に置かれていた衣服に身を包んでおり、普段のゆるい感じが半減していた。別にそこまで厳つい服装なわけでもないのに、不思議な話だ。
ザ・旅人な雰囲気を放つ服をまじまじと見下ろしてから、少年は大きく目を瞬く。
「これ、何の服なんですか? 動きやすいし、結構デザインいいけど……」
頭に軽く巻いた、深く渋い、緑色の布の端を指先で摘みつつ、少年は首を傾けた。適当に巻いているからか、かなり余った布が、垂れ下がるようにして肩上を滑っている。
小柄な彼の肩から、少し下。そこまで伸びた布には、全体的に、見たこともない変な模様が描かれていた。和風でもなく、中華風でもなく、よくわからない模様だ。言ってしまえば、波のような、草のような……。
いや、やはりよくわからない。わからないが、しかし、これにもなにか意味があるのだろう。
考えて、眉を寄せる。
そんな彼に、視線を向けたラディルは静かに首を傾けると、すぐに頭の位置を戻し、口を開いた。そうして、少年が求める答えを、優しくも与えてやる。
「それは盗賊をモチーフにした衣装です」
「盗賊?」
聞き返して、なんとなしに思い出すのは、旅立ちからすぐに訪れた町のこと。蔓延っていた賊は無念にも倒され(ほぼオルラッドが殺った)、今ではその死体しか残っていない。今思い出しても、痛いけな少年には、ちょっとばかり見るのが早すぎる光景であった。
──思えばあそこから、いろいろな出会いがあったな……。
まだそんなに日が経っていないはずなのに、やけに懐かしく感じる記憶。出会いも別れも、長らく生きる大人達に比べると少ないものだが、それでもまだ幼い彼にとっては、十分すぎる程に多い。
ぼけっと空を見上げるジルを尻目、ラディルはやれやれと呆れ顔。すぐに動作を止めると、話を続けんと言葉を紡ぐ。
「あなたの動き方などを見て、その性質が1番近いと感じました。いつまでも神子の衣装を着ているのはあれですし、主様経由で仕立て屋に衣装の作成を依頼したのです。……ああ、もしや、こんなもん必要ねえよ、とか思ってらっしゃいますか? もしくは、巫山戯たことしやがってこのアマめ、とか、こんなクソみたいなもん着れるかよクソが、とか、思っていたりしちゃったり?」
「ビックリする程全然思ってませんね」
無表情で何を言い出すのかと思えば、雑魚が考えもしないようなことを言い出して驚きしか浮かばない。この人実は暗い方向に物事考えちゃう人なのだろうか。
一瞬悩んだ後、ジルはすぐさま首を振る。いいや、それは有り得ないと、この1週間でだいぶ知ることが出来てきた彼女の性格を思い返し、口元をひきつらせた。
「からかってるだけ、ですよね……」
確信に近いその発言に対し、特に何の反応も示すことなく、ラディルは歩き出した。無言の肯定とも言えるその様子に、少年は思わず落胆。
ほんとココ、性格悪い人多いな、なんて考えながら、大人しく歩きだす。
聖地たる街中で、どのような出会いが待ち受けているのか。
まだそれを、知る由もなく……。
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