第百十九話 赤き雨
「──いや、すまない。無様なところを見せてしまったね」
未知なる鉱山へと通ずる出入り口。その柱の近く。
守衛たちの手により運ばれたオルラッドが、緊急のためだからと、立ち入りを許可されたペスト医師の治療を受けながら微笑んだ。晒された肌のあちこちにガーゼと包帯を巻き付けられる姿は、目にするだけでも痛々しい。
彼らから離れた位置で、守衛たちと何かを話しているリレイヌを尻目に、ジルはゆるく首を振った。そんなことは無いと、左右に揺られるそれに、オルラッドはまた、小さくも辛そうな笑みを浮かべてみせる。
随分と下手くそなそれは、ジルが生きていることに対する安堵と、理由はどうあれ、傷つけてしまったことに対する罪悪感を含んでいた。
「……何があったの?」
聞くべきか。聞かざるべきか。
少し悩んでから、少年は問いかけた。血なまぐさい香りに心配を抱いているのか、整った眉尻が不安げに下げられている。
「うん。なにも?」
答えるオルラッドは、やはり笑みを浮かべていた。
まるで今、己がぶつかっている壁を──事柄を、知られたくないと言うように、彼の口ぶりからは拒絶の色が見え隠れしている。
この状態で、なにもないわけがないというのに……。
ジルは一度口を開いてから、すぐにそれを閉ざした。出かけた言葉を喉奥へと押し込み、僅かながらも、頷いてみせる。
「そっ、か……」
深く訊ねてはいけない。
少年は己に言い聞かせるように、もう一度だけ、頷いた。
「──終わりました、オルラッド様」
2人の間で交わされた短い会話。呆気なく終わりを迎え、沈黙を広げた彼らの中に入るように、面の男が声を発す。治療に集中するためか、地面に置いていた杖を手に取る彼は、徐に立ち上がったかと思えば、服の裾に着いた草土を一瞥。「不衛生」と呟くと、すぐさまそれらを叩き落とす。
さすがは医者(かどうかは、残念なことによくわからないが)。やはり衛星面は気にするようだ。
「一応、特性の特効薬を使用してはおりますが、無理は禁物です」
ある程度、衣服に付着した汚れを落としてから、彼は告げた。
「治癒術を受けるまではできるだけ安静に、と言いたいところですが、それも無理な話でしょう。かつて、イーズ様も同様に無理をなされた経験があります故……」
「え? イーズさん?」
見上げるように顔を上げた少年に一つ頷き、「はい」と一言。男はそのまま、詳細を語ることなくリレイヌの元へ。彼女と短い言葉を交わしてから、馬車の方へと戻っていく。どうやら彼は、ここにずっといるわけではないらしい。
変に謎を残されたと、少年はモヤッとしたまま破顔する。折角なら事細かに説明を施してほしかったが、そんなワガママも言えまい。
何はどうあれ、オルラッドとイーズ。この2人に関係するなにかが、ここで起こっているとみて間違いないようだ。
守衛との話を終え、メーラと共に歩んで来たリレイヌ。その姿を翡翠の瞳に写しながら、ジルは名探偵よろしく頷いた。なんだか難事件を解いている気分だ。(何も解けてはいないが……)
「すまない。守人(もりびと)たちと少し話すことがあって……オルラッド、大丈夫かい?」
すかさず謝罪をこぼし、剣士の安否を確認。音もなく頷いた彼の様子に難しい表情を浮かべながら、神は「そうか」と一言。
「ドクターから伝言だ。もって後2回。これで攻略不可能ならば、試練は強制的に終わらせる。いいね?」
「……」
肯定も否定も、返ってはこなかった。その変わりとばかりに立ち上がったオルラッドは、何も言わずに鉱山の中へ。覚束無い足取りで、歩いていく。
「ちょちょっ!? オルラッドさん!? なにしてんすか!?」
ポッカリと口を開けた柱の間。暗闇広がるその中へと消えていった背中を見て、ジルは堪らず声を荒らげた。
あんな大怪我で何が出来るというのか……。
すかさず追いかけようと鉱山の方へ向かう彼だが、しかし、そこへと踏み込む前に、守衛──改め守人たちに捕獲され、かなり雑な動作で地面の上へと投げ捨てられる。どうやらこれ以上先に踏み入ることは許されないようだ。
「……大丈夫かい?」
顔面を地に埋もれさせ、ピクリとも動かぬ少年。哀れとも言える無様な姿を晒す彼を、鼻を鳴らして嘲笑うメーラを尻目、リレイヌは恐る恐ると問いかけた。流石にこの状態の人物に声をかけることは、いかな神といえども気が引けるらしい。困ったように汗を流している。
「な、なんとか……っ」
ボコッと音をたて、地面から引っこ抜かれた顔面。窒息する前になんとか危機を脱せたジルは、薄汚れた顔をそのままに、弱りきった声を発した。先程のオルラッドよりも随分とダメージが大きいのは、彼の弱さが原因だろうか。
地面に座り込み、ふんっ!、と鼻に詰まった土を吹き出してから、一度休憩。綺麗に洗われた神子の衣装で汚れた顔を拭いながら、彼は言った。
「オルラッド、大丈夫かな……」
見えぬ何かに追い詰められている。なんとなくだが、そう感じた。
守人たちにより守られる出入り口。その奥を覗き込むように上体を伸ばすジルに、リレイヌは一度沈黙。困ったように眉尻を下げると、「大丈夫、ではないだろうな……」なんて呟いた。
小さく発されたその言葉は、心配。その一色に染まっている。
「大丈夫ではない、って……」
沈むような声が、徐々に言葉尻を弱めていく。不安を宿すその言葉に対し、神が返すのは、聞く者によっては冷たいと感じられる返答。
「言ったろう? とある『条件を満たした者』にとっては、危険極まりない場所だと……」
つまるところそれは、オルラッドが、その『条件を満たした者』だということ……。
「──管理者」
ほぼ無意識の内に、少年は呟いた。ボソリと吐き捨てられたそれは、存外大きく響いてしまったようだ。この場にある全ての視線が、吸い寄せられるように音の発生源――すなわち、ジルへと向けられる。
「管理者……そうだ。管理者。イーズさんの職業……」
奥底に沈んだ記憶を掘り返すように、彼は己が頭に手を当てた。そうして背を丸めて地に伏すと、ボソボソと小さな言葉を紡ぎ出す。
「オルラッドはそうだった。だから聖地に。アーサー・ベルが。主様は目覚めて。新造の箱庭。試練。管理者の。新しい、管理、誕生――」
パッと顔を上げた少年は、暗い瞳を鉱山へ向けた。本来であれば明るいはずの翡翠が、塗りつぶされたように染まる様子が恐ろしい。
「──止めないと」
発されたそれに、危険を察知した守人が動く。この場に存在する邪魔者を止めようと手を伸ばす彼らは、その手がジルに届く前に動きを止め、一斉に顔を上げた。
何かがやって来る。本能でそれを感じ取ったようだ。
「っ! 主様ッ!!」
守人の1人が声を上げた。他の者とは異なり、桃色の筆で不可思議な模様が描かれた細い布──所謂、領巾(ひれ)と呼ばれる布を、天女の如く腕に纏わせている人物だ。
声からして女性であるその者は、短めに切られた桃色の髪を揺らしながら、すかさずリレイヌの元へ。彼女を守るようにその肩を抱く。
それと同じくして天より落下してくるのは、赤に塗れた『何か』であった。見るのも嫌になるようなそれは、ばら蒔かれるように、この地の至る所に降ってくる。
その様は、まるで……。
「……雨」
ポツリと呟き、リレイヌは両手を伸ばした。
求めるように。迎えるように。
彼女の動きに応えるように、丁度良く落下してきた重みある物体。それは彼女の手に見事収まると、すっかり短くなってしまった赤き髪を無造作に揺らす。
「ああ!? 主様! そんな汚いモノ、持っちゃダメなのよ!」
憤慨した様子で、メーラが叫んだ。咎めるように主を見上げる姿は、この状況でも変わらない。
「認めたくなど、ないんだよ……」
幼子の指摘に小さく笑み、神は呟く。
手にしたそれの血濡れた頬を、優しげに撫でてやりながら……。
「良くも悪くも次で最後。これが失敗すれば──新たな管理者は生まれない」
やけに安堵したように、彼女は言った。その言葉が終わると同時、雨は止み、バラバラになった男の体だけが、異様な空気と共に残される。
──ああ、なんて、なんて、酷い……。
目にした光景に嫌悪を抱き、ジルは口を開けた。かと思えば、声を発すその前に、糸が切れた人形のように、力なくその場にくずおれる。
体の内側から、全ての力を吸い取られた時のような、ひどい倦怠感が全身を襲っていた。今すぐにでも眠りについてしまいたいと、彼はゆっくりと、瞼を閉ざしていく。
「おる、らっ……」
ごめんと、最後にこぼした言葉。それは哀れにも、向けるべき相手には届かない──。
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