第百十八話 広がる赤に動揺を
「──長らくのご乗車、お疲れ様でございます。『新造(しんぞう)の箱庭』に到着致しました」
馬車の運転をしていたであろう人物が、恭しい態度で扉を開け、一礼。真っ白な手袋を装着した片手を差し出し、優雅な動作で降車を促す。
荒い縫い目が目立つ、鳥のような面を着けた男であった。スラリとした背丈の彼は、青褐(あおかち)色の、紳士的な衣服に身を包んでおり、その上からさらに、同色のインバネスコートを羽織っている。
頭に乗せられたシルクハットも、同様の色合いだ。しかもこれには、包帯のようなものが巻きついている。ちょっと赤く染まっている箇所があるのは、気のせいだと思いたい。
男の片手には、その身の丈より少しばかり大きめの杖が握られていた。見た目からして、かなり古いものだということが推測できるそれには、緑色の蔦が絡まっている。杖の古さに対して随分と瑞々しい若草色が、目に優しい。
それに対し、歪に曲げられた杖の先端部分には、アンティーク調のランタンと、ローマ数字の目立つ丸時計が取り付けられている。どちらも古風なモノのようだが、果たしてどれ程前の物なのか……。
「ペスト医師だ……」
男の手を借り、一番最初に車内から出たジルが、特徴的な面を見上げながら呟いた。どこか感動したように輝く翡翠の瞳には、触れてみたい、被ってみたいなどという、本能にも似た感情が浮かべられている。
いくら歳を取ったといっても、やはり子供は子供。好奇心旺盛なのは仕方が無いことだと言えよう。
「ファンタジー……素晴らしい……」
自分から離れた男が、次にメーラ、それからリレイヌを降車させている姿を視界、ジルは言った。比較的小さな呟きだったためか、それは幸いにも、誰にも聞こえなかったようだ。なんらかの会話をなしている彼らに、目立った反応は、特に見受けられない。(ただ単にスルーしているだけかもしれないが……)
「よし、では行こうか」
喜びに打ち震える少年をよそ、小さな会話を終了させ、神は告げた。そのままさっさと歩き出す彼女に、付き従うのはメーラだけ。どうやら男の方は着いてこないらしい。なんてことだ。
ジルは深々と頭を下げる面の男を尻目、すかさずリレイヌの傍へ。「あの人来ないの?」と、やや残念そうに問いかける。
「ああ、この先は関係者以外は立ち入り禁止の区域だからね。殆どの者は入ることができない」
「まじかよ。残念……」
あの杖からして、あの者が魔法使いなのは確かなはず。だからこそ、と言うのは些かあれだが、ペスト医師たる(見た目はだが)彼が、どのように戦うのか。そこら辺は、ちょっと見てみたかったというのが本音だ。
いろいろと、期待もしていたというのに……。
「……世は残酷だ」
悲しみに暮れながら、少年は悔し涙を流した。何かを堪えるように拳を握る姿が、間抜けなことこの上ない。
比較的わかりやすい反応を見せるジルに、リレイヌは笑った。「後でまた話せるさ」と声をかける姿が、幼い子供をあやす、大人の様にも見えなくはない。
彼女の言葉に、一瞬の内に立ち直ったジルを尻目、二人の様子を観察しているメーラは嘆息する。呆れたようなそれは、間違いなく、騒がしい少年に対する感情だろう。
「馬鹿らしいのよね……」
ボソッと呟かれた小さな言葉。それが、辺りに存在する自然の中に消失していくと共に、リレイヌは足を止めた。
ゆっくりとした動作で前を見据えた、神たる少女。彼女は、視界に写る一つの建造物に懐かしさを抱きつつ、口を開く。
「懐かしいな」
紡がれた一言に、歓喜を表しているのだろうか。柔らかな風が、3人の間を吹き抜けた。
──『新造の箱庭』。
文字通り、『新たに造り出す』場所として、この場にはその名が与えられた。元あるものを作り変える、なんて受け取っている者もいるが、どう取ろうとも大した問題はないだろう。
一応聖域に分類されるここは、かなり前の代となる龍神が、たまたま発見した鉱山を改造し、作成したそうだ。故に、中には多くの鉱石が眠っていると聞く。中に入った者が言うには、その鉱石たちが道標(みちしるべ)のようになっていた、というが……。
「……なんか、周囲からの感想を聞いただけみたいな説明の仕方っすね」
白く染まったローブを身に纏い、顔に大きな布を貼り付けた、守衛らしき者達を横切り、ジルは言った。白地の布に、赤い色で描かれた簡易的な目がギョロリと動いたことに驚き、青ざめた彼を隣、リレイヌは苦笑する。「まあね」なんて頷く彼女は、少々困り顔だ。
「なにせ、私はこの中にまで踏み込んだことはない。知るのは外観くらいのものだよ」
「ああ、だからよく知らないのか……」
英国の貴族が移動の際に乗るような馬車。その車内で交わした言葉を思い返しながら、ジルはボヤいた。妙に納得したと言いたげな彼に、やはりその存在が気に食わないらしいメーラが、忌々しげな表情を浮かべて舌を打ち鳴らしている。折角の可愛さが台無しだ。
「でも、なんで中に踏み込んだことがないんですか? 入ろうと思えば入れるだろうに……」
態度の悪いメーラを「こら」と咎める彼女を見やり、少年は問いかけた。心底謎である、と言いたげな顔で首をかしげている彼に、リレイヌは悩ましげに天を見上げる。
「それがなぁ……」
間を一拍。
「入ろうと思っても入れないんだよなぁ……」
「What?」
思わず足を止めたジルにならい、リレイヌも歩行を停止させた。そのまま、彼女はちょこちょこと着いてくるメーラの頭を撫でてやりながら、なんとも言えない顔をしている少年に、さらに詳しい答えを与える。
「入れないんだよ、私は。この中に」
見えてきた、例の鉱山内部へと入ることが可能な出入り口。ギリシャを連想させてくれるような作りのそれは、一つの遺跡へと繋がる、特別な門のように見えなくもない。
「先代たちがなんらかの術を施しているのかどうかは知らんが、入ってもすぐに外へと放り出されるんだ。だから中の様子を見ることは不可能でね。残念なことに、私がこの中に侵入することはできない。条件を満たさぬ者たちも同様さ」
それはなんたることか。
ちょっとした期待を孕んでいた、少年の無垢なる心は打ち砕かれた。
地に膝と手を付き、さめざめと泣くジル。「期待してたのに……っ!」なんて叫びが、虚しくも辺り一帯に響いている。悲しいことだ。
なんとも言えない空気に、神はついつい苦笑。元気だなぁ、なんて感想を抱いていれば、ふと、彼女は何かを感じとる。
感じ取ったそれは、決して悪いものなどではないようだ。察したからか、リレイヌは特に焦ることもなく振り返る。そうして鉱山近辺に向けた視界の中、1人の守衛の姿を確認した。
滑るように地面の上を移動してきたそれは、他の守衛と特に変わりない者であった。リレイヌの前で足を止めた彼は、恭しく一礼してみせると、それからすぐに顔を上げ、声を発することなく、緑豊かな自然──その奥の方を指し示す。
その動作から、彼が何かの報告に来たことはすぐにわかった。どうやら示されたそこに、彼らの手では負えない何かがあるらしい。そしてその何かとは、きっと……。
「……ああ、うん。行ってみるよ。ご苦労さま」
言葉も音も発していない。だというのに、守衛の言いたいことを理解したようだ。リレイヌは当然のように会話にならぬ会話を成立させると、離れいく守衛を見送る。
「え? なに? どしたの?」
顔を上げ、立ち上がったジルは疑問を抱いた。完全に置いてけぼりを喰らったせいか、若干の焦りを感じつつ、彼はその視線をリレイヌへと向ける。
「……来なさい」
今までの明るく、穏やかな彼女とは一転。静かながらも妙な恐ろしさを感じさせる声色で告げたリレイヌは、そのまま、硬直するジルを放置し歩き出した。彼女が向かう先は、今し方、守衛により指し示された方向だ。
そこに何があると言うのか……。
胸の内に浮かぶ不安を掻き消すように頭を振り、ジルは先を行くリレイヌを追いかける。そうして、誘導されるように連れて行かれた場所で、彼は予想もしなかった光景を目の当たりにすることとなった。
白く染まった建物の側面。軽く塗装の剥がれかけた壁に、凭れるように座り込む人物がいた。
完全に下を向き、沈黙しているその顔からは、ポタポタと、止まることなく赤き鮮血が滴り落ちている。どうやら相当の怪我を負っているようだ。彼の纏う衣服も、本来の清潔さを失い、ところどころが傷つき、赤黒く染まっている。
「な、にが……」
動揺するジルは、一歩前へ。眼下に存在する男の姿を見下ろしながら、震える唇を開口させる。
「──おる、らっど……?」
掠れた声がその名を呼んだ。妙に久方ぶりに口にしたような、不思議な感覚を抱いてしまう。
「……」
最強たる男に、反応はない。どころか彼は、その声に顔を上げることすらなく、静かに、その場に倒れてしまった。
どこから噴き出しているのか。それすらわからぬ赤が地面に広がっていく様が、生々しく、恐ろしい。
──何が起きているのか……。
答えを求めるように、リレイヌを見やる。しかし彼女は、ちらりと視線を向けただけで、それ以降、何の反応も示すことは無かった。
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