第百十七話 車内で暴れるのは危険です

 



 ──幻想的な雰囲気とは裏腹に、ここはまるで地獄のようだと、そう思った……。


 なんという名前の鉱石なのか。それすら分からぬ、青々と輝く石たち。地面、壁、天井の、様々な所より顔を出すそれらが照らし出すのは、いやに寂れた地下の姿。定期的に整備でもされているのか、比較的歩きやすい、人工的に塗装された地面を踏みしめながら、彼は骨休めをするように足を止める。

 ひどい疲労、倦怠感が、体全体にのしかかっているような感覚であった。一瞬でも気を抜けば、そのまま倒れてしまいそうな程、重く、苦しい。


 地に向けた視界の中、どこからとも無く落下してくる赤い雫を確認し、徐に、己の顔に手を触れる。

 乱れる息をそのままに、肌に触れたばかりの手を、すぐさま離した。そうして、眼下に広げた手のひらを見てみれば、べっとりと、赤い液体が付着しているのを、すでに回り疲れた脳で理解した。


 ──ああ、これは、自分の……。


 ぼんやりと思考した、その直後。全ての物事を拒むように、体が動くことを拒絶し始めた。まだやれると、そう意気込む自分の意思とは裏腹に、呆気なく力の抜けてしまった膝が、ガクリと折れて地面につく。

 流れるように倒れ伏してしまった体。なんとか動かそうと試みるも、やはりボロボロのそれは動くことが無い。どころか、徐々に彼の意識は、闇の彼方へと遠のいていく。


「……ああ、また──」


 また、失敗か──。


 自嘲するように笑った直後、彼は、天井から降ってきた『何か』の手により、幾度目かの死を迎えた……。




 ※※※※※※※※※※※※※※※※




 ガラガラと、車輪の回る音が響く、比較的小さな馬車の中。車体から送られてくる振動のせいで左右に揺れ動く少年は、うんざりとしたような表情で、頭部に存在する獣耳を垂れ下げていた。


 ──なにが、どうして、こうなった……。


 目の前で、静かに窓の外を眺めるリレイヌと、その隣でパタパタと足を動かす赤毛の少女。2人の姿を見比べて、少年は僅かに肩を落とす。

 居た堪れないも程があるだろう。なぜよりによって、女性2人と同じ車内で過ごさねばならんのだ。しかも立場がずば抜けて高い者達と……。


「これが試練……試練だというのか……っ!」


 グッと拳を握り、顔を後ろへ。何かを堪えるように体を震わせれば、彼の挙動に気づいたリレイヌが、眺めていた景色から視線を離す。


「どうかしたかい?」


 不思議そうに問われ、すかさず「いいえ、なんでもありません」と姿勢を正した。バカみたいな彼の様子に、スライム人形を膝に抱えた少女が、「ふんっ」と鼻を鳴らしている。

 彼女はどうやら、ジルのことが気に食わないようだ。向けられる冷たい眼差しは、到底愛らしい容姿を持つ子供のそれとは思えない。


「あー……」


 ジルは頭をかいた。それからすぐに、その顔をリレイヌへ。チラチラと、彼女の傍らに座るメーラの様子を確認しつつ、彼は浮上した疑問を口にする。


「こういうの聞くのもあれだけど、良かったんですか? イーズさん、連れてこなくて……」


 申し訳なさそうに縮こまりつつ訊ねてみた事柄に対し、リレイヌは「ああ、いいよいいよ」と軽く答えを返した。気にするなと言いたげに片手を振ってみせる彼女の様子に、たまらず軽いなぁ、なんて感想を抱いてしまう。


「イーズだって引っ張り回されることにそろそろ飽きてるだろうし……それに、私なんかといたらただでさえ気を張るからね。たまには休息も必要さ」


「いや、イーズさん留守番宣言された時めっさショック受けてましたけど」


 俺は忘れない。常に冷静沈着な無表情男が、明らかに傷ついていたあの顔を……。


 屋敷を出る間際のやり取りを思い返し、ジルは腕を組んだ。あの、この世の終わりだとでも言うような表情は、心の内に存在する彼のマイアルバムに保管されることだろう。多分、半永久的に。


「え? まじか」


 驚いた様子でリレイヌは言った。かと思えば、彼女は何かを思考し、すぐさま真剣な表情で問いかけてくる。


「お土産とか、買ってった方がいいかな?」


「主様って意外と面白いっすね」


 ジルの中で、リレイヌの印象レベルが一つ上がった。


「まあ、冗談はさておき……」


 放置されているとでも思ったのだろうか。ぴとりと、甘えるように腕にくっついてきたメーラを片手で撫でてやりながら、彼女は少年の抱く疑問を解消せんと、その言葉を口にする。


「どのみち、今回行く場所にイーズを連れて行くのは気が引けてね。留守番はほぼ確定だったんだ。だからというのもあれだが、まあ、気にすることはないさ」


「へえ……なんで?」


 特に深い理由もなしに問いかけた少年。まだまだ純粋なる彼に、彼女が返す答えは、底知れぬ恐ろしさを宿していた。


「彼がトラウマを抱いた場所、だからかなぁ」


 ニコニコと笑う神を前、ジルは車内の出入り口へ。「出してぇえええ!!」と情けない声をあげながら、安全のためか、鍵の閉められた扉を全力で叩く。


 ──あの人がトラウマを抱いた場所なんて死ぬ未来しか見えない……!!


 どうやっても開かぬ扉に絶望を感じ、少年は落胆。鬱々とした空気を発しながら、頭を抱えた。


「俺は、俺はこんな所で死ぬのかっ!!」


「落ち着け」


 空中より落下してきたタライが、少年の頭に直撃。鈍い音を響かせ、彼に大ダメージを食らわせる。


 呆気なく倒れ、力尽きてしまったジルを視界、リレイヌは己の足を組むと、膝上で両手を重ねた。偉い立場の者がとるような体勢だ。妙に似合っているのが憎たらしい。

 辛うじて意識を保てていた少年は、這い上がるように座席の上へ。赤い布地の椅子に腰を落ち着けると、嘆息するように息を吐く。


「話は最後まで聞け、馬鹿者」


 落ち着いた様子の少年を前、彼女はコホンッ、と咳払いを一つ。ゆるむ空気を引き締めんと、口を開いた。


「そう案ずることは無い。今回の目的地は、とある『条件を満たした者』にとっては危険極まりない場所だが、それ以外の者にとっては比較的安全な場だ。君が傷つくような心配はなにもないさ」


 ということは、自分はその『とある条件』というものを満たしてはいないわけか。

 それはそれで寂しいような、悲しいような……。


 しかしまあ、危険が降り掛かってくるよりはマシだろうと、少年は納得した。それから、安堵したように、若干斜めった肩を撫で下ろす。


「良かった……」


 漏れ出した声からは、彼の深き安心が感じ取れた。


「まー、大丈夫なら結構結構! で、ぶっちゃけて言えばそこってどんな場所なんですか!? 自然は!? 敵は!? やっぱ魔物とか蔓延ってる系!? いや、それだったら危険か……だったら癒しの空間とか!?」


 危険がないなら好奇心は爆発する。

 少年は身を乗り出すようにして、大声を吐き出した。すかさず、メーラが魔法を用いて彼を吹っ飛ばし、座席に固定しているのを眺めつつ、リレイヌは小さく笑む。


「さあ? 私もよく知らない」


 あっけらかんと告げられたそれに、ジルは転げた。見えぬ何かに拘束された体をそのままに、座席を滑り落ちてしまった彼は、そのまま顔だけを上げて「知らねーのかよ!!」とつっこみを入れる。

 まさかの解答に、少年からは動揺が抜き取れない。


「いや、いや待って。まず主様に知らないこととかあんの? そっちのが驚きなんすけど……」


 ごもっともな意見だ。

 芋虫のごとく、モゾモゾと足元を這うジルを見下ろすリレイヌは、堪らず苦笑。彼の拘束を解いてやりながら、僅かな動作で肩を竦めてみせる。


「当たり前だろう? 私にだって知らないことは存在するよ」


「神様なのに?」


「神様だからこそ、だよ」


 言って、神たる少女は小さな小窓から見える、流れいく景色へと目を向けた。緑と青のコントラストが美しい自然が、彼女の心を癒してくれる。


「立場が違えば見える世界も違ってくる。そういうことさ」


 と、そこで、彼女は「おっと」と一言。軽く上体を前に出しながら、美しき風景の奥を覗き込む。


「説明前だが、見えてきたようだね」


 なにが、なんて聞かずとも、察することは可能であった。


 ガラガラと鳴る音が、次第に速度をゆるめていく。それを耳と、感覚とで感じながら、少年はきゅっと唇を噛み締めた。


 ──なにか、不思議な感じがする……。


 危険とも、安全とも言い難い、実に不可解な違和感。妙な不安に駆られる彼が、無意識の内にその両手を握りしめるのを尻目、リレイヌは彼に気づかれぬように、密かに、眉をひそめていた。

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