第七話 都会はこわい




 一度は憧れるであろう、中世ヨーロッパ風の街並み。大きな建物。馬が引く馬車。お洒落に着飾った人々。そんな世界の中、ジルはこれでもかというほど目を輝かせていた。


「──……みたいな冒頭が欲しい」


 遠い目をして願うジルの前を、加速したスポーツカーが過ぎ去っていく。


 ──首都、ベルリン。


 大陸中央部にデカデカと蔓延るその都市は、機械工業の発達した国である。見上げる程に大きな建物は、ジルが前世で何度も目にした高層マンションに酷似しており、夜景はきっと綺麗なんだろうな、なんて感想を抱いてしまう。

 そんなジルの傍ら、彼のお供……否、お守り役のミーリャとオルラッドは、二人して鼻を抑えて顔の前で片手を振っていた。時節漏れる咳はこの首都の空気のせいなのかどうなのか……。兎にも角にも辛そうである。


「ケホッ……相変わらずの汚染地域だな、ここは。ガスマスクが欲しいくらいだよ」


「イケメンがガスマスクとかやめてくれ」


 想像して悲しくなった。

 ジルの目がさらに死んでいく。


「ひっくち! ジル、お前、なんでそんなに平気そうなのよ……ぶしっ!」


 聞くだけで笑いを誘うようなクシャミを連発しながら、ミーリャは赤くなりつつある鼻をこすりそう言った。それに対し、ジルは首を傾けることしかできない。


 前世にて慣れているからかどうなのか、そういえばわりと平気な体。苦しむ──と言っても咳き込んでいるだけ──の二人とは裏腹に、ジルに身体的変化は見られない。


 一体この体の構造はどうなってんだ。


 密かに疑問を抱く。


「聞くに、獣族は、その場の環境にっ、すぐ、適応するらしいっ! 恐らく、人間とはまた、ちがう身体的構造を……ゴホッゴホッ!」


「無理して喋んなよ。なんか病人引き連れてるみたいですんごい嫌なんだけど」


「ひっくち! ミーリャたちのせいじゃ、ぶしゅっ! ないのね!」


「お前それクシャミ?」


「そうじゃなかったらなんなのね!? ひぐっし!」


 さすがに笑っては怒られそうなので心の中で大爆笑しておいた。


 さて、賑やかなことは良いことであるがこんなやり取りをしにここを訪れたのではない。ここに来たのは崇高なる目的のため。職業。そう。職業だ。

 噂に聞くそれを手に入れるために、彼らはわざわざ険しい道を、約一名だけ必死こいて突き進み、ここにいるのだ。

 病人組みはさておき、ジルはあたりを見回す。そして、近場にいた優しい顔つきの女性へと近づいた。


「あの、すみません。ちょっとお訊ねしてもよろしいでしょうか?」


「ああ?」


「なんでもありません失礼しましたごめんなさい」


 声をかければ睨むように返事を返され、ジルは慌ててオルラッドの背後へ。へにょりと頭部の獣耳を曲げながら、「都会ってこわい」と嘆く。


「ぶしゅばっ! ……首都の奴らは、この腐った空気吸ってるからほとんどの奴が頭おかしいのね。ひぶっし! ずびっ……迂闊に話しかけても、意味ないのよ」


「なにその薬中みたいな設定! やめてくんない!? 俺そういうのほんと苦手なんだから!」


 薬中がゾンビに進化してみろ。泣き喚く自信しかないぞ。

 既にへっぴり腰のジルを引きずり、ミーリャは歩き出す。その後を、オルラッドは己の喉を労るように擦りながら、ゆっくりとした足取りで追いかけた。


「首都に来たらまず薬が必要。ここ以外に住む人にとって、首都の空気は毒のようなものだから……」


 ミーリャの案内の元、というよりは彼女に連行されたその先。『なんでも売買店』と書かれた巨大な電光掲示板があった。その下には店内で売られている品物を一部のみ確認できるショーウィンドウと、その店内へと続くであろう自動ドアが存在している。

 ショーウィンドウに飾られているのは主に服や機械だ。目的の薬は見当たらないが、本当にここに売られているのだろうか。疑問を抱きながら、ガラス越しに存在する現代的機械をじっと見つめた。


「何して、びぶしっ! ……いるのよ、ジル」


「ゴホッゴホッ、はぁ……」


 問いかけとため息。そろそろ限界なのか早く行こうと言いたげな二人に慌てて謝罪をこぼし、ジルは店内へと足を踏み込んだ。


 軽やかとは言い難い機械音を発しながら開かれた自動ドアの先。まるで高級ホテルの受付ではないかと錯覚するような、やけに綺麗でお洒落な場所に出た。

 明るい天井にはきらびやかなシャンデリア。待ち合い席であろう場所には記念写真を撮りたくなるような噴水。


 客の姿は見受けられないが、きっと夜間には混み出すのだろうと謎の推測をしながら、ジルは受付へ。少し高めのカウンターから顔を覗かせながら、「すみませーん!」と声をあげる。返事はない。もう一度声をあげる。


「……そんなに騒がずとも聞こえております」


 カウンター奥。従業員専用スペースらしき場所からひょっこりと現れた一人の女性が、少しばかり不機嫌気味にそう言った。


 ──受付の人だろうか?


 スーツ風の黒服に身を包んだ女性だ。

 かなり豪奢な体付きのその女性は、黒い皮の手袋をはめた両手でかけたメガネの位置を調整。それから腹の前で手を組み合わせ、一礼する。

 毛先にウェーブのかかった、恐らくは腰上まである鮮やかな緑色の髪が揺れ動く。顔を上げた彼女は、深緑色の瞳にジルの姿を写しこみ、これでもかと言うほど深いため息を一つ。


「お引き取り下さい」


「客に言うセリフじゃない!」


 ジルのツッコミが炸裂した。


「いやですね、別にお客様が悪いわけではないんですよ。でもですね、既に私の中からは業務に対するやる気、というものが欠如しておりましてですね。つまり今はとても仕事をする気分にはなれないんです。なのでまた明日か明後日かに来て下さると嬉しいですね。はい。……いえ、嬉しくはないですね」


 鬱々とそう語る彼女は、何かを思い出したのかひどく暗い表情になる。かと思えば、いきなり遠い目をして「お花畑の向こうにある川を渡りたい……」などと言い出した。これは末期だ。そしてその川を渡ることはオススメできない。

 完全に客を追い返す体制の女性の姿に、困り果てるジルたち。そんな彼らに助け舟を出すように、奥から新たな女性が現れた。今現在鬱な女性と同様に、こちらもスーツ風の黒服に身を包んでいる。


「あれ? 客? ちょっと二ルディー、客来たなら声かけろって言ったじゃない。何してるのよ、もう」


「ああ、ベナン。聞いてください。お花畑の向こうに飛び魚の群れが存在しているんです。これはすごい。すごい発見ですよ」


「まーたぶっ飛んだ発想してら。まー、いっか」


 ベナンと呼ばれた女性は頭をかき、それからジルを見下ろす。かと思えば先程の女性──二ルディーと同じく、客に対して丁寧に一礼してみせた。


 ゆるやかに揺れる、長い栗色の髪。顔を上げた彼女の強気な赤い瞳はキリッとしており、やけに自信に満ち溢れていた。

 薄化粧な二ルディーとは対照的に、ちょっとばかり化粧の濃い女性だ。ジルは似ても似つかない二人を見比べ、思う。


「いらっしゃいませ、お客様」


 事務的な言葉が、グロスの塗られたベナンの唇からこぼれ出た。


「今宵はどういったご要件で当店にお越しくださったのでしょう?」


「薬なのね」


 やっと話が進んだと言いたげに、ミーリャが一歩前へ。ベナンはそんなミーリャを見下ろしながら、「外の方々ですね」と笑みを浮かべる。


「わかりました。少々お待ちくださいませ。……二ルディー、薬取ってくるからちょっとここ頼むわよ」


「へ? ちょ、ベナン! そんな! 私を生贄にするのですか!? こんな悪魔みたいな奴らの前に放っていくのですか!? そんな! ベナン! 待ってください! ベナン──っ!!」


「おーい。聞こえてますよー」


 床に座り込み、おいおいと嘆く二ルディーにそんなことを言ってみる。しかし反応は返ってこない。

 げんなりしてきたジルの背後、オルラッドが笑う。「楽しい方々だ」、と告げる彼の表情は、本当に面白いものを見たという風に明るい。


「こういった方々にはなかなか会えないから、なんだか新鮮な気分だよ」


「そうなのか? オルラッドはモテそうだしこういう人とかにはよく会ってそうだけどな。きゃー! オルラッドさーん! とか言われながら女に囲まれるタイプだろ、絶対」


「俺が? まさか」


 キョトンとした様子のイケメンの背後、開かれた自動ドアの向こうからやって来た女性客二人。彼女らは振り返るオルラッドを見るや否や、顔を赤く染めて「きゃー!」と叫びながら店から出ていく。

 女性客のその様子に、肩をすくめるイケメン。


「さすがに、囲まれはしないよ」


「今とてつもなくお前を殴りたくなった」


 うんざりと告げるジルを、ふくれっ面のミーリャが無言で、かつ力強く蹴り飛ばした。




「──ああ、ベナン。私のベナン。私をこんな所に捨ておくだなんて酷いです。こんな、こんな視線だけで痛いけな私にあんなことやこんなことをしようと企む輩共の前に無防備な私を捨ておくだなんて……おいおい」


「なんかすごい誤解されてる気がする」


 未だ嘆くことを止めぬ二ルディー。床に座り込んだままの彼女をカウンター越しに眺めるジルは、そろそろ帰りたいとため息を一つ。

 噴水を見上げるミーリャとオルラッドを振り返る。


「いや、やはり水の傍は心地がいいな。汚染されていない水に限るが……」


「同意してやるのね。水は汚れを浄化してくれる神聖なるものなのよ。とても素晴らしいものなのね」


 ふぃー、とどこぞの老人のように息をつく二人に呆れた視線を送る。辛さが和らいでいるのは良いことだが、もう少し若さを維持してほしいものだ。あれではあまりにも年寄り臭い。


「……いや、年寄りが嫌いなわけじゃないんだけどもさ。もっとこう、な? 二人とも顔良いんだから若さをだな」


 二人に視線を向けたまま、ぶつぶつと呟く。そんなジルを不審に思ったのか、二ルディーは彼へと不思議そうに声をかけた。


「何をぶつくさ言っているのですか? 便秘ですか?」


「なんで便秘!? ココに来て便秘を訴える意味がちょっと俺にはわから──」


 相変わらずのボケにつっこまずにはいられない。

 勢いよく振り返ったジル。その頬に、生暖かい液体が降りかった。


「……え?」


 一瞬停止する思考。そして漏れる疑問の声。

 いつの間に立ち上がっていたのか、ジルの目の前に存在する二ルディーの体が前方に傾き、カウンターの方へ倒れ込んできた。薄暗い中、滑らかな光沢を放つそこに豪奢な体を打ち付けて停止するその姿は、まさに異様。


 ──何が……。


 カウンターに広がる赤い液体。それが滴り落ちるのを、テレビ画面の向こうから眺めているような感覚で、ジルは見つめた。声を上げることも、瞬くことも、息をすることすら忘れて、彼はただ、呆然と佇む。


 少しして、ゴトリと重い音をたて、ジルの足元になにかが落ちた。それは彼の視線を誘うように、コツンと彼の靴に軽くぶつかる。


 ──見てはいけない。


 頭の中で警告音が鳴る。

 しかし、視線は自然と己の足元へ。


 ゆっくりと顔を床へ向けたジルは、腹の底から湧き出る悲鳴を止められない。恐怖に引き攣る声を震わせ発されたそれは、静かな店内に大きく、長く、反響する。


 錯乱するジルの足元。

 そこに転がっていたのは、今まで話していたはずの女性──受付嬢、二ルディーの頭部であった。

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