第八話 見えぬ敵すら傷つける
「──ジル! ジル!」
肩を掴まれ揺り動かされる。それによりハッとしたジルが見たのは、不安げな顔のミーリャの姿。
その背後にはオルラッドと、床に尻餅をついたジルを呆然と見下ろす、二ルディーの姿もあった。
──何が、起こった……?
頬を伝う汗を拭うことすらできず、ジルは考える。しかし、今まで停止していた思考で、その疑問の答えを導き出せるわけがない。
「ちょっとジル! ジルってば! オルラッド、ジルが……」
「ああ、任せて」
目の前にいたミーリャが退き、オルラッドが近づいてくる。肩を掴まれたのをどこか他人事のように見つめるジルに、オルラッドは微笑んだ。
「──わ!」
発されたのはただ一言。しかし、今のジルには効果的だったようだ。
ビクッと肩を震わせたジルに、「大丈夫そうだね」とオルラッドは笑う。だが、その笑みもすぐに消え去った。
「ジル、いきなりどうしたんだい? 君の様子からただ事でないのはなんとなく察することができるが……」
──どうした?
そんなの自分が聞きたい。
そう返そうと開かれた口から発されたのは、別の言葉。
「──しゃがめっ!!」
焦りと混乱を含んだ声は、間違いなく二ルディーに向けられていた。
「へ? い、いきなり何を言って……」
「いいからしゃがめ! 今すぐ! 立ってたらだめだ! 死ぬぞ!!」
「え、えっと……」
どうもおかしいジルの様子に恐怖を抱いたのか、二ルディーはそろそろと膝を折り、カウンターに手を付きながらしゃがみ込んだ。眉は八の字に、垂れた瞳は不安げに揺れている。
なぜ自分がこのようなことをしなければならないのか。口にはしないものの、彼女の顔は明らかなる不満を表していた。
──バキンッ
ふと、何かが割れるような音が聞こえた。かと思えば、二ルディーの頭上の壁に大きなガラス片が突き刺さっているではないか。
「……え」
深緑色の瞳が揺れ、白い肌から徐々に血の気が引いていく。
──立っていたままだったら、確実に首が飛んでいた。
それを悟り、彼女はあまりの恐怖にその場で膝を折りへたり込む。震える体は、間一髪免れた死に怯えていた。
「……一体何が──っ!?」
オルラッドが剣を引き抜きジルの背後へ。目に見えぬ速度で飛んできた、小さなガラス片を弾き飛ばす。驚くジルを、ミーリャが引きずりカウンターの近くへ追いやった。
未だ座り込んだままの彼をその背に庇うように立ち上がりながら、彼女は辺りを見回す。
「……いきなりなに?」
そんな疑問の声と共に、ゆっくりと消えていく室内の電気。
明るい店内から一転、いきなり不穏になったその空間で、聞こえるのは人数分の息遣い。ジルの獣耳が小さく動いた。その顔は噴水の方へ向けられている。
「オルラッド!」
張り上げられた声に反応するように、オルラッドは懐から取り出した小型のナイフを勢いよく放つ。同時に駆け出す彼の瞳は、獲物を見つけた獣のように爛々と輝いている。
「チッ!!」
聞こえた舌打ち。存外大きく響いたそれは、敵の居場所を正確に教えてくれた。
弾き飛ばされたナイフを避け、オルラッドは剣を振るった。横一線に薙ぎ払われたその切っ先に、確かに何かを切ったような感触が走る。
──肉の感触ではない。布か。
「──左」
驚異的な集中力で相手の位置を把握した彼は、ズレた軌道を修正するように片足を軸に体を反転させた。そこから再び剣を振るい、相手に攻撃を仕掛ける。
一瞬の迷いもない斬撃。容赦なく見えぬ敵の体を傷つけたそれに、当然、傷つけられた本人は短い悲鳴を上げてその場から退く。
「なにこれぇ、聞いてないんですけどぉ!?」
姿は見えないが声は聞こえる。
これでもかと言うほどに不満を含んだその声は、幼い子供が駄々をこねるように文句を紡いだ。
「楽勝な仕事で報酬も弾む! だから引き受けてやったのに意味わかんないってーの! こんなの全然楽勝じゃないじゃんバカじゃんマヌケじゃん!」
やれやれとため息を吐き出し、「おー、いててっ」と声は言った。耳に届く衣ズレの音を聞くに、恐らく傷つけられた箇所を摩っているのだろう。大したダメージは負っていないようだ。
オルラッドは無言で床を蹴る。
「はぁ!? ちょっ、待てよバカ!!」
そう言って待つ奴はいない。
正確に振るわれる剣の切っ先。顔に似合わず好戦的なオルラッドに恐れ慄いたのか、敵は床を蹴り跳躍。そのまま店のショーウィンドウを破壊し、外へと逃走する。
「……オルラッド、追うのはやめておくのね」
「ああ、わかっている」
手にした剣を振り、付着した血液を床に飛ばしながら、彼は言う。
「追いはしないさ」
どうせ敵はまたやって来るのだから……。
「ちょちょちょっ!? な、何事なの!?」
丁度その時、紙袋を腕に抱え、ベナンが戻ってきた。自分が不在の間にすっかりと荒れ果ててしまった店内を見て、彼女は驚愕の表情で混乱した声を荒らげる。そんなベナンに反応を示したのは二ルディーだ。
二ルディーは腰が抜けたのか、床を這うように移動しながら、唖然とするベナンに近寄った。その姿は、どこぞのホラー映画に出てくる、髪の長い白服の女の姿に酷似している。正直とてつもなく恐ろしい。現にベナンは口元をひくつかせている。
「に、二ルディー!? どうしたのよ!? なんかこわいわよ!」
「こここ、腰が、た、立てなくて……っ」
「ああもうおバカ! ほら! しっかりして!」
紙袋をカウンターの上へ置き、ベナンは座り込んだままの二ルディーへと片手を差し出した。
──あの紙袋の中には例の薬とやらが入っているのだろうか?
ベナンの手を取り、怖かったとめそめそ嘆く二ルディーを見ながら、ジルはそんなことをぼんやりと考える。
事が終了して数分。未だ立つことのできぬジルは、二ルディー同様、腰が抜けたらしかった。まあ、これでも数分前に死にかけた身なのだ。仕方のないことだと思う。
己の傍らに膝をつき、心配そうに顔を覗き込んでくるミーリャに小さく笑っておく。それで安心させようと思ったが、残念ながらその作戦は失敗。ミーリャはさらに不安の色を強めてしまった。
──どうしたものか。
考えるジル。しかし答えは見つからない。
「……それにしても、ジル。なぜあの攻撃がわかったんだい?」
今回一番の功労者であろうオルラッドが、未だ警戒を解かぬまま、辺りに視線をやりながらジルに問うた。ジルはその問いに対し、少し悩んだ後に真実を告げる。
「……見たんだ」
そう。見た。
暗闇の中、二ルディーが絶命するその姿を、確かにこの目で見た。
震える両手を握り合わせながら、ジルは顔を伏せた。その双眼は恐怖に震えている。
「どうして、とか、なんで、とかはわからない。ただ、あの人が死ぬその瞬間を、確かに俺は目にした。電気ついてたし、違うとことかも多少あったけど、でも、まさか本当に……」
ダメだ。混乱してて何をどう説明したらいいのかわからない。
徐々に焦り出すジルを落ちつかせるように、彼の小さな肩を叩くミーリャ。回数こそ多くはないものの、それでも十分な動作である。
伏せていた顔を上げたジルを前、ミーリャは何かを考えるように己の顎へと片手を添える。一度、二度、呼吸を繰り返し、それから瞳を伏せた彼女は、己の中にある一つの推測を口にした。
「……ジル。お前、預言者なのかもしれないのね」
──……なんだって?
いきなり何を言い出すのかと思えば……。
眉を顰めるジルに、ミーリャは説明を続ける。
「預言ってよりは、予知夢に近いかもしれないわね。不特定のちょっとした未来を見る、それだけの能力なのよ。最近、よくそういったものを見る輩が増えていると聞くのね。お前もその輩の一人なのではないかしら?」
「よ、予知夢って……俺、別に寝てないけど?」
「寝てても起きてても見る時は見る。そういうものなのよ」
「さ、さいですか……」
──そんな能力今まで聞いたことありませんけど!
心の中で叫んでおき、「へえ! 凄いじゃないか!」と自分のことのように喜んでいるオルラッドに苦笑を向ける。
確かに凄い能力かもしれないが、あんなグロテスクなシーンを見せつけられるなんてもうごめんだ。そんな能力を貰うくらいならばオルラッドと対峙する方が幾分かマシである。
…………。
いや、全然マシじゃない。
ジルは落胆した。
「予知夢は鍛えれば鍛えるほど使える能力になるのよ。弱いお前が強い敵に対峙しても、勝てる可能性すら出てくる。ミーリャはその力を鍛えることをオススメするのね」
「へー……それ習得したら、俺だってオルラッドに勝てると思う?」
遠い目で問うてみる。
「……世の中には勝てない敵もいるのよ」
笑顔で小首を傾げるオルラッドを見つめ、ミーリャもジルと同じく遠い目をしながら呟いた。
──さて、世間話はこれくらいにして、目的の職業を取りに行こう。
なんとか立ち上がれるようになったジルは、薬を飲んで回復した二人を背に、未だ震える二ルディーへと顔を向ける。彼女はベナンの背に隠れるようにしているものの、ジルの視線に応えるように顔をあげた。
震える手が、そっと前方へ差し出され、軽くリップの塗られた艶やかな唇が開かれる。
「薬代、200ゼールです」
「ちゃっかり仕事してる!?」
驚きだと叫びながら、ジルは代金を支払った。
戦闘能力の高いオルラッド。地図を知らなかったくせにやたらと世間体に詳しいミーリャ。使えぬジル。
道中の話し合いの結果、役立たずなジルに任されたのは金銭の管理である。そのため買い物の支払いは全てジルが行うことになっていた。
ちょっぴり軽くなった財布をブチブチと文句を垂れつつ仕舞うジルに、ベナンが言う。
「本当なら、二ルディーを助けてくれたお礼として無料でもいいんだけどね。さすがに、この店の状態じゃお金とらないわけにもいかないし……ごめん!」
両手を合わせ謝る心優しき従業員。働いている者としては正しい行いだろうに、随分と優しい人だ。
ぴょこぴょこと獣耳を動かし、ジルは笑う。
「いや、お金取るのは当たり前のことですから……それよりお店の方、早く直ると良いですね」
「いや、そこは別にいいんだけどね。働きたくないし、クソみたいな客の相手するのもめんどうだと思ってたとこだし」
「ダメな従業員だったか!」
考えを改めたジルである。
業務的な感謝の言葉を背に受けながら店の外に出た三名。咳き込まなくなった二人に若干感動しながら、ジルは無言で辺りを見回す。
外の様子に、特に変化は見受けられなかった。あれだけ大きな音をたてたというのに誰一人として気にしていない。
こんな時には必ず、邪魔だ、と思うくらい大勢の野次馬ができているというのに、定番であるそのプチイベントが起こらないとは一体何事か。
挙動不審なジルの心情を悟ったのか、ミーリャが呆れたと言わんばかりの表情を浮かべた。
「……言っとくけど、ここはこういう事件が頻繁に起こるからニュースとかにはならないのね。触らぬ神に祟りなし、とはよく言ったものなのよ」
「へぇー、よく起きるんだ……」
職業など投げ出して今すぐ首都を飛び出したくなった。
「そうだよ。そうだよなぁ。よく考えれば職業なんてもんはゲーマーであるこのジル様には特に必要のないものであって、ニートという生き物として生きればそれはそれで程よく人生を楽しめるのではないか? なあ、オルラッド?」
なぜそこでオルラッドに振ったのかは定かではない。
突然の問いかけに、問われた本人は嫌がることも面倒くさがる素振りも見せなかった。ただ、不思議そうな顔で「にーと?」と、短い単語を復唱している。
驚いた。この世界にニートは存在しないのか。驚いた。
「ミーリャもニート知らねーの?」
「二ーディアなら知ってるのよ」
「二ーディア?」
「妖精の森に住む目玉の化け物」
「行き先変更することって可能ですかね?」
船の案内板を指差し真剣な顔で問うジルに、ミーリャは「弱虫」とだけ言って笑った。
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