第14話 妖精と童唄

 昨年同様、剣術大会直前に襲撃事件が発生した。被害者三名は昏睡状態にされているだけという状況は大きく違えど、同じように剣術大会で好成績が期待されていた平民の生徒が襲われた。


 今年は新年度が始まって間もなくフェルから撃ち倒されたマクシミールが学院から追放されて、平民を躊躇い無く害した者達の首魁は居なくなった。それなのに、また同じことが起きているのか。そう考えた生徒は少なくなかった。


「既に幾人もの生徒が、マクシミールの取り巻きだったデュランセン伯爵領の連中を疑い始めている。明白な証拠がある訳じゃなくても。中には、こんなことをするのはどうせあいつらだ。やられる前にやってしまえと考えている生徒も居る」


 その時フェルは、授業中以外の常で開いたままになっている教室の扉の方に。一瞬だけチラリと目を向けるが、すぐにオリベイラの方にその視線を戻した。


「……昨年のこと。そして先輩の懸念は良く分かりました。そんなことがあったのなら、デュランセンの人達を疑ってしまうのも仕方ないなと私も思いますけど。それでも粛清・私刑みたいなことはダメだ、という話ですね」


「そういうこと。糾弾の声を上げ始めた生徒には僕たちが説得を続ける。そうしているうちに大会が始まって少なくとも予選まで終わってしまえば、一旦は機会を失くした格好になって鎮まると思うんだ。そして、説得と並行して生徒達の大会への関心を正しい方向へ戻したいと思っている」


 何らかの実力行使でも真犯人を見つけようという話でもなく、説得。そして大会への関心云々と聴いても、首を傾げてピンと来ない様子のフェル。そんなフェルに対してオリベイラは、今日この教室にやってきて以来初めて満面の笑みを見せた。


「僕たちは、学院生だからね。その立場で僕たちが出来ること為すべきことに取り組むべきだと思う。だから、フェル。大会に出て欲しいんだ。参加しないと思われている君が大会に出ると知れば、剣術を志している者は誰もが目の色を変える。二年生、三年生も何とか学年代表の枠に入って決勝リーグでフェルと対戦したいと本気で考えるはずだ。妙な事件なんかより、そのことに専念するはず」


「……」


 そういう話だったのかと。フェルはやっとオリベイラの考えと今日ここに来た理由を理解出来てきた。そして意外にも割と納得してしまったが故に、渋い顔でフェルが黙り込んでしまうと、次に口を開いたのはロイスだった。

「フェル。俺はオリベイラ先輩の考えに賛成だ。お前が人前で戦うことが好きじゃないのは良く分かってる。でも…」


 物理的にロイスが身を乗り出してきたせいもあるが、精神的にも思わず引いてしまいそうなほど真剣な顔つきのロイスを見て、今度は苦笑いに変わったフェルがその言葉を途中で遮る。

「ロイス、ストーップ…。なんか、たまに熱いよねロイスって…」


 と、ロイスを茶化すのはすぐに止めてフェルは三人の顔を順に見た。そして自分の右隣の窓際の方にも顔を傾けると言った。

「先輩が言ってること。その狙いもいろいろちゃんと理解は出来たと思うから、大会参加については少し考えさせてください…。バーゼル先生もそれでいいですか?」


 えっ? という顔に変わったロイスとレミィが、フェルの視線が向いている方を凝視し始める傍ら、オリベイラは割と平然とした表情だ。


 オリベイラ先輩は、やっぱりバーゼル先生が来ること知ってたのか…。と言うか、バーゼル先生にも同じように説明して前もって相談済みなんだろうな。


 フェルがそう思い至った時には、バーゼルの声が聞こえ始める。


「……フェルが自分で考えて決めればいいことだからね。私からは特にどうしろとは言わないよ」

 魔法の帳を消して姿を現したバーゼルは、ニッコリと微笑んでいた。

 しかしすぐに真顔に戻ったバーゼルは、それはそうと…、と話を続ける。

「それはそうと、皆、忘れてるみたいだから言っておくけど。今日から生徒は日没以降外出禁止」

「「「あっ、そうだ(そうだった!)」」」


「まあでも、教師が一緒なら大丈夫じゃないかと私は思っているよ」

「いや、先生。そこは大丈夫だと言い切ってください」

 悪戯っ子のような笑みを見せているバーゼルは、そう言ってきたレミィに向けて、うんうんと頷いた。

 予めそのことも知っていたようにオリベイラも笑顔だ。

 そして、そんなオリベイラの方に向き直るとバーゼルは全く別の話を始めた。


「……そうだオリベイラ君。君が気になると言ってた妖精の件、少し調べてみたんだがここで話してもいいかな?」

「あ、はい。全然問題ないです。フェル達にも話そうと思ってましたから」


「へ?」

「妖精?」

「……って何?」



 ◇◇◇



 放課後に騎士科三年のオリベイラがフェル達の教室に突然やって来て、教師のバーゼルも加わっての長話をしたという、そんなことがあった日の翌々日。


 フェルが剣術大会にエントリーしたことが騎士科の教師から一部の生徒に語られると、その話は瞬くうちに学院中に広まった。


 このニュースは一年生に限らず、二年・三年の生徒達からも様々に非常に強い関心を呼び起こす形で受け止められたが、予選で同じカテゴリーに属する一年生にとっては、やはり自分達の前に立ち塞がって来るのかと頭を悩ませる深刻な話題となった。

 更にはフェルと共にレミィもエントリーしていたことが続いて知れ渡ると、それは学年別の代表枠で一年生には二名の枠しかないことを彼らに改めて思い出させ、同時に、彼らの心中に強い焦りと危機感を抱かせた。

 いくら一年生は代表の枠が少ないとはいえ、剣術において騎士科の生徒が一人も学年代表に入れない事態は何が何でも避けたい。そう考える騎士科の生徒と教師たち。授業そして放課後の課外の活動時間においても、そんな生徒と教師たちの訓練・指導はこれまでなかった程の熱いものになっていった。



 さて、剣術大会前最後の週末という、今こそみっちりと訓練・調整したいと考える生徒にとっては特別な意味を持つ週末を迎えようとしているこの日。クラスの終礼が終わるや脱兎のごとく教室から出て走り続けたフェルとレミィは、乗合馬車に駆け込むように飛び乗った。


 走り始めた乗合馬車の窓から顔を出さんばかりに前方を見詰めて、そわそわと落ち着かない様子のフェルと肩の上で同じく首を傾げて前を見ているモルヴィ。


「約束の時間に間に合わない~ 御者のおじさん急いで~」

 ミュミュー…

 そんなフェルとモルヴィを見てレミィは笑ってしまう。

「フェルも、モルヴィも。定時運行の循環馬車で無理言っちゃダメだよ」

「え~、レミィは気にならない? ミレディさんが妖精のことについてフレイヤさん交えて話しましょうって言ってるんだよ?」

「そりゃもちろん、私だって気になってるよ」

「でしょ。レデルエ先生の終礼、珍しく長かったし…」

 レミィは再び笑い始める。

「そこに文句言っても仕方ないよ」



 という訳で、フェル達は冒険者ギルドに行こうとしているが、学院が通達した夜間外出禁止はまだ解除されていない。その措置と剣術大会を控えた週末であることを考慮して学院がこの日の授業を全て短縮授業としたおかげで、今はまだ日没までにはかなり余裕がある。とは言え、二人が考えたこの日の行動予定にはいささか心許ない。


 昏睡事件については、連続した三件の事件発生直後に学院が通達した夜間外出禁止と複数名での行動の呼びかけが功を奏したか、その後は発生していない。

 三名の生徒は公営の治癒院への入院という措置に変わっていて、治癒院による完全看護に加えてミレディによる治癒も続けられている。


 そのミレディが居る冒険者ギルドに到着したフェルとレミィは、受付の女子職員に挨拶をしてすぐにギルドマスター室へ向かった。


「すみません…、遅くなり…」

「おそ、く…?」


 ドアを開けて入った二人の言葉が止まってしまったのは、そこにフレイヤとミレディの他にもう一人。フェル達のクラスの副担任教師バーゼルがソファに座っていたからだ。


「そんなに遅れてないわ。二人とも座って…」

 フレイヤが、フェルとレミィに座りなさいと身振りで示しながら笑い掛ける中、フェルはバーゼルをじっと見て。

「バーゼル先生、どうしてここに?」

 フェルは、て言うか自分達より早く来てるのは何故? とも思っているがそれは口にしない。


「うん。私も、ミレディ先生に呼ばれたんだよ。この件はフレイヤさんの知見を頼りたいし、それに君たちも来るから詳しい話はここでしましょうって感じでね」


 そう言うとバーゼルは、フェルとレミィにニッコリ微笑んだ。



 応接のソファとチェアに全員が着いて、お茶も行き渡るとミレディが話を始めた。


「それでは…。フレイヤさんに話すのは初めてですから最初から説明しますね。フェルちゃんから聞いたネズミのような姿をした妖精の話です。元々は騎士科三年のオリベイラ君の故郷で語り継がれている伝承・逸話のうちの一つだそうですが…」


 ……この世界で言い伝えられている妖精という存在は、ほぼ想像の産物の扱いだ。

 但し一部の書物では、魔核を持たない動物がその生涯を終えようとする間際に精霊を宿して再生した半精霊だと記されているが、もちろんその真偽は定かではない。

 それらの書物でも、妖精には動物並みの知能しかないという扱われ方は共通していて、他の生物との接点が無い場所で精霊の恩寵を授かった自然を愛でるばかりの生活を送っているものだとされている。

 人との関わりを記したものでは、人の乱れた心情を落ち着かせて癒しと安らぎを与えてくれる存在として描かれているものが多い。中には、見た目が手のひらに載るほどの小さな人型のように描写され、人と会話をする情景が書かれた書も在るが、それらは伝承に基づいた創作であり、寓話・童話の類だとされている。


 ところがオリベイラの故郷の伝承に在る特異な妖精は、ネズミに似た姿をしていて、それは子どもに憑りついて子どもの悪意のある願いを叶えてしまう。

 例えば友達の誰かについて、大事な用がある場所に行けなければいいのにとか、約束を果たせなければいいのにとか。そういった嫉妬や妬みなどに起因しているような、ふとした悪意を現実に叶えてしまう。



 一旦話を区切ったミレディに、フレイヤはうんうんと頷いた。

「妖精に関しては、いろいろとね…。いいわ、興味深いわね。ミレディ続けて」


「はい…。問題はその悪意ある願いの叶え方なんです」


 妖精に憑りつかれた子が抱いてしまった、ふとした悪意の対象となった友達は、妖精によって眠らされてしまうことで、結果として用があったはずの目的の場所に行けなかったり。または約束を果たすことが出来なかったということになる。その後は、数日経つと自然と目覚めて身体の不調などもない。


「突然眠らされて数日の間、目覚めなかった…。オリベイラ君は今回学院で起きた昏睡事件の概要を聞いて、すぐにこの妖精の話を思い出したそうです。私にも確かに類似している点は在るように感じられました…」


 フレイヤはミレディが言いたいことを察しているかのように、ふむふむと頷いた。

 ミレディも、その仕草に応じて話を続ける。


「そして、ここからが今日の本題です…。本日、最初の被害者のフランツ君が私の治癒の直後に目覚めました。少し事件の時のことについて話が聞けたのですが、彼は気を失ってしまう直前、ネズミのような生き物を見たと私にそう話してくれました」


「……っ!」

「フランツが?」


 驚きの絶句と声はレミィとフェルから。

 バーゼルは、黙ったまま。思索を巡らせ始めた様子だ。



 ◇◇◇



 沈黙はそれほど長くは続かず。ネズミのような姿という点に着目しての推測などが、主にフェルとレミィの口から語られている。

 そして、伝承と同じようなことが…。という言いだしでバーゼルが口を開いた。

「仮に伝承と同じようなことが起きているとした場合、学院の誰かがその悪意を叶える妖精に憑りつかれているという話になってしまうね」


「ですね…」

「そういうことになりますね」


 しかしミレディは、三人とは少し違う方向の話を始める。

「バーゼル先生。この話はまだまだ曖昧なことばかりですし、真偽も定かではありません。こんな突拍子もない話が広く知れてしまうと、学院全体に無用の混乱を招きかねません」


「ええ。私も今、それを考えていました…。ただ、学院長は妖精の話は全く耳にしていないはずですが、フランツ君が目覚めたことはすぐには公表しないと言ってました。フランツ君は体調的には大きな問題はないと言っても授業に出れる程には万全では無く、まだしばらく入院させていた方が良いという話ですから」


「……なるほど。学院長のそれは、万が一の剣術大会との関連を憂慮しての含みがありそうな判断ですね。ですが、それならばネズミの話が学院の中で広まるタイミングは遅らせることが出来ます」


「私も同感です。そして妖精のことは、いずれにしてももう少し情報が必要ですね」


「ミレディさん、他の二人はどうなんですか? もう少しで目覚めそうですか?」

 そう尋ねたフェルに向けて、ミレディは微笑みを見せる。

「ええ、おそらくは明日か明後日には…。フランツ君の目覚めが早かったのは、一番最初に襲われたからではなく、彼が元々耐性の高い体質を持っているからだと思っています。そういった個人差はありますが、他の二人の目覚めもそう遠くないと見ていますよ」



 するとその時。唐突にフレイヤの声が響き渡った。


 鈴々と、鈴の音が鳴る。ディスプドゥ…。

 眠りを誘うディスプドゥ。

 いたずら妖精、子どもの眠りを長引かせ。

 願いを叶えるディスプドゥ。

 いつでも声聞くディスプドゥ。

 お前の背中にディスプドゥ…。


 しばらく前から、座っている自分のデスクで何やら書きものを始めていたフレイヤが、ペンを持っていた手を止めて紙片を持って読み上げた。詩のような文章。


 フェルもレミィも、そしてミレディも少しギョッとした顔つきに変わって、詩を読み上げたフレイヤの方を静かに見つめた。


「……昔ね、もう100年以上前のこと。イゼルア帝国のとある地方で耳にした童唄わらべうたの一節よ…。妖精ディスプドゥのことを唄ったもの。古代エルフ語の唄だったから、現代語に訳してみたの。だいたいニュアンス的にもこんな感じだと思うわ」


「ディスプドゥ…」

 バーゼルは、苦渋と言ってもいい程の表情に変わると、腕を組み目を閉じて額に拳を押し付けるような姿勢で考え込んだ。

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