第12話 学院内昏睡事件②
更衣室内で昏睡状態で発見されたのは、先に演習場で発見・保護されたフランツと同じ騎士科の一年生だった。但し、今度は女子生徒。当然ながら更衣室は男子と女子で別になっている。
この女子生徒の為に、学院の本棟で最も奥まった場所に在る会議室で隔離されているフランツのベッドの隣にもう一つベッドが並べられた。
騎士科の教師達が女子生徒を運び込みそのベッドに横たえてからは、その教師達を加えた複数名の教師がボソボソと、何が起こっているのかという疑念や不安、対応策への考えをぶつけ合う会話を始める一方で、治癒科の教師とバーゼルとフェル、そしてレミィも運び込まれた女子生徒の状態をベッドのすぐ横で診ていた。
「バーゼル先生。さっき小耳に挟んだんですけど、この二人って騎士科の成績上位者なんですか?」
レミィが囁くようなごく近くにしか届かない声量でそう尋ねると、問われたバーゼルは視線をレミィに向けて、その次にはフェルにも視線を配しながらやはり小さな声で応じた。
「うん。どうやらそうらしい。特に剣術の成績は二人ともいいみたいだね」
「やっぱり剣術大会と関係が…?」
と、疑惑の表情でそんなことを囁いたのはレミィ。
対してフェルは、その推理には少し懐疑的な意見を口にする。
「学院内の生徒同士の大会の為に、こんなことまでするかな?」
「普通ないよね。でもタイミングといい、ほらフランツもかなり真剣だったでしょ。なんか騎士科の人は大会にかける思い入れが強いって言うのかな…」
ここで、フェル達の話を遮るようにバーゼルが人差し指を自分の口の前に立てて囁いた。
「続きは場所を変えてからにしようか。私達がここで出来ることはもう無さそうだ。何にせよ、今はこの二人の回復を図ることが最優先だね」
レミィは大きく頷いてその言葉に従う仕草を見せるが、フェルはまだこの部屋に残るつもりだった。
「……バーゼル先生。私はミレディさんが来るのをここで待ちます。いつもギルドでやってるように、何か私に手伝えることがあるかもしれません」
「なるほど…、そうだね。解った。他の先生方には私から説明しておくよ」
◇◇◇
結局フェルが教室に戻ったのは、この日の授業の最後のひとコマの、それももう終わろうかという頃合いだった。
そして今は、授業が終わるや視線だけは熱烈な質問攻めの様相を呈しているロイスとレミィからの無言の問いに対して、フェルは彼らに聞かせても良さそうな話か吟味しながら少しずつ応え始めたところだ。
早い段階で教室に戻っていたレミィとは別に、昏睡状態の生徒二人が隔離された部屋に残ったフェルは、その後間もなく学院に駆け付けて来たミレディの診察と処置を手伝った。フェル自身もミレディから指示を受けて渾身のキュアを幾度も掛けたが、状態に芳しい方向への変化はなく。今日の時点の結論としては、経過を見守るしかないという状況だ。
しかも、ミレディとフェルがそうやって診察と処置をしている間に三人目の犠牲者が同じ部屋に運び込まれてきたという、事態は最悪な方向へと推移している。
既にこの連続昏睡事件の噂は生徒の間でも急速に広まっていて、誰もが詳しい情報を欲している。が、フェルがミレディを手伝って被害に遭った生徒達を診ていたことは、教師以外では今のところレミィとロイスまでしか知らない。
そして、今すぐに命の危険があるものでは無いが状態異常をもたらす呪いに近い魔法的な何かではないか。そんなミレディの現時点での見立てに続けて、レミィも知らなかった三人目の犠牲者のことをフェルが二人にこそこそと話し始めた時、教室の扉が開いて担任教師のレデルエと副担任のバーゼルが入って来る。
妙に静まり返ったクラスの生徒全員が説明を求める視線を教師二人に向ける中、
「ちゃんと説明するから、全員席に着け」
という、低いが通りの良いレデルエの声が教室に響いた。
教壇に立ってからのレデルエの語りは簡潔で、最初に、流行り病のような伝染性のものでは無さそうだという説明が為された。
そしてフェルにしてみれば意外と包み隠さずなんだなと思ってしまう程ストレートに、正体についてもどういう意図なのかも不明だが何者かの行為によって起こされた昏睡だろうという学院側の推測までが語られた。
「……現時点では騎士科の一年生以外の生徒に被害は出ていないが、学院は全学科・全学年の寮生・通学生を問わず全ての生徒に日没以降の外出禁止と日中は学院内外どちらであっても必ず複数人で行動するよう通達を出すことになった。これは今日この時点から開始だ。全員厳守すること。通学生で周囲の人の目も少なくやむを得ず一人になる場合がある者は個別に保護者とも相談したうえで対応を考えるから、この後、私かバーゼル先生に申し出て欲しい」
という感じでひと通り話を終えたレデルエは、最後に言い添えるように追加の言葉を口にする。実はこれこそが生徒達が聞きたかったことの一番だったかも知れない。
「今回の騒動は剣術大会が関係しているのではないかという意見があることは学院も承知している。但し、それも含めて事態を見極めようとしている段階だ。来週予定通り開催かもしくは延期か中止か、申し訳ないが今は何とも言えない。エントリーしている生徒はモチベーション維持が大変だとは思うが、惑わされず努力は続けていて貰いたい…。私からは以上だ」
レデルエの話の間ずっと、ほとんど身動きもせずに静かに耳を傾けていた生徒達が一斉に大きく息を吐いたり身体を動かし近くの生徒同士で喋り始めると、いつものクラスのざわめきが教室に戻って来る。
そんな中、ロイスは自分の席に着いたまま身体を伸ばすように背伸びをし、そのまま挙げた手を頭の後ろで組んで頭を左右にゆっくりと揺らしている。そうして難しい顔で何ごとかを考え込んでいる様子だ。
しかし直後にはそんな表情を一変させていつもの顔つきに戻ると、ロイスはフェルとレミィの方にグッと近付いて話し始めた。双子の姉弟ならではのその振る舞いは、フェルの方に視線は向いていても背後からレミィの肩を抱き顔はレミィの顔のほぼ真横にまで接近しているという構図。
「なあ、変だと思わないか…?」
「……?」
「そりゃ…、こんな事件だもの。十分に変よ」
フェルは首を少し傾けて続きを促しただけ。レミィの方はと言えば、「近い」と言ってるように人差し指でロイスのほっぺたをグイッと突いて自分から遠ざけながらそう返した。
レミィのこういう仕打ちは慣れっこで、ロイスは全く気にしていない。
「さっきフェルが言った呪いのことと昏睡状態になっている生徒達のことは心配だがミレディ先生達に任せるしか無いし、俺達にはどうしようもない。けれど犯人に辿り着ければ、目的とどんな手段でやったのかは判るはずだと思う」
「ちょっとロイス、安易な探偵気分で首突っ込んで危ないことは無しよ。私達はあくまでも学院生という立場なんだよ」
レミィはすかさず苦言を呈することは忘れていない。
「解ってる」とロイスは頷きと口の動きだけで応じながらレミィからは少し離れて、今は無人のフェルの後ろの席の生徒の机に半分腰掛けるように寄り掛かった。
「……で、ロイス。変だと思わないかって言ってたのは?」
半身で後ろを振り向いて見上げるようにロイスの顔を見たフェルが話を戻すと、すぐにロイスはフェルの顔を真っ直ぐに見つめて語り始める。
「まず犯人の動機…。犯人は剣術大会で上位に入る為に優秀な生徒を出場できないようにしたんだと、そんな見方が多いが。俺はそうじゃないと思う」
「だね。その見方は単純すぎる。大会は中止になるかもしれないんだし」
「そう。俺がなんか変だなと思ったのもそこの違和感からだ…。仮にそんなことの為だとしても、俺達が卒業間近の三年で騎士団の目に留まる時期の大会ならまだしも、一年のこの時期に一時的に上位に入っても意味が無い。俺も、犯人は大会のことなんか何も考えていないか、大会が中止になっても構わないと考えてるような気がする」
それで…? まだ続きが有るんでしょ? と尚もフェルがロイスを見ると、
「フェル、さっき話してた三人目の被害者になった生徒の名前を教えてくれるか?」
ロイスはそう言って制服の胸ポケットから一枚の紙片を取り出した。
フェルが三人目の生徒の名を告げると、ロイスは紙片に目を通し始めた。
すぐに目的のものを見つけたように指差して、紙片をそのままフェルの机の上に広げた。
レミィと二人その紙を覗き込んだフェルは、生徒の名前が一覧として並び、そのうちの数箇所にインクの色を変えて幾つか印が付けられていることに気付く。
そして、赤インクのペンを持ったロイスがフェル達の目の前で印を一つ追加した時には、その赤い色の印は被害に遭った生徒三人の名前の箇所に付けられていることにも気付いていた。
「これは騎士科一年の剣術ランキング。今回の剣術大会の為に有志が作成したという触れ込みだが、一応そこそこ当てにできるランキングだと評価されている」
「「……」」
「最初の被害者フランツはランキングの三位。そして二人目の女子は五位。今フェルが教えてくれた三人目は六位」
赤インクとは別に黒いインクで付けられている印はこの三人にも付いていて、三人の他はランキングを下に辿って行くともう何人かの箇所にも付いている。
それが妙に気になって来たフェルはロイスに尋ねる。
「ねえロイス、先に付いてた黒い色の方の印の意味は?」
ふぅ…、と突然溜め息を吐いたロイスが一層の小さな声に転じて答えた。
「……大きな声では言いたくないんだが、こっちの印は平民を意味してる。ランキングの一位や二位でもない二人が被害に遭った理由を考えていて、二人の共通点として気になって俺が調べて付けた印だ」
それは、ランキングからまずは平民の生徒だけが抽出されて、今日はその上から順に三人が被害に遭ったことを示していた。
◇◇◇
フェルの総合学科一年クラスの教室では、教師二人の周囲と他に幾つか集団を為していた生徒達も、教師二人が教室を後にしてからは次々とその数を減らしていた。
そんな中、今は黙って考え込んでいるフェルは、ロイスと話していて事件解決の為の手掛かりが少しは掴めたようで、その実、結局はほとんど何も判明していないことを改めて痛感している。
平民ばかりが襲われている。どうして、何の為に? 犯人にはどんなメリットがあるのか? 結局はここで納得のいく答えを導き出せず行き止まりだ。
今回の事件を単純な悪意からの平民差別の発露だったり私怨や復讐行為だと考えた方がしっくり来てしまうことには、フェルにしてみれば昏睡状態の三人を見てきたからこそ逆に違和感を覚えている。
ミレディと二人でいろんな話をしながらずっと生徒の状態を診続けた印象として、犯人は被害者をおそらくはあっという間に昏倒させながらも、それでいてちゃんと手加減はしていたように感じているのだ。
『……フェルちゃん、これはおそらく期限設定された呪いのようなものですね。心身に障害が残る類ではなく、ただ眠り続けているだけのようです。そして、そう遠くない時期に自然に解除されるもののように感じます』
『じゃあ、少し寝てれば自然に目が覚めるってことですか?』
『そうですね。但し最低でも一週間程度はこのままだと思いますから、その間のケアは重要です。もちろん、少しでも早く目覚めさせる為の処置は引き続き検討しましょう。フェルちゃんも手伝ってくださいね…』
ミレディとのそんなやり取りを思い出したフェルは、ロイスが置いたままの机の上のリストを指でトントンと叩きながら何かブツブツと独り言を呟き始めるが、それは途中で飲み込んでしまって首を傾げ、そしておもむろに二人の方へ顔を上げた。
「いや…、これまで襲われたのが平民ばかりだということぐらい、おそらく先生達だってもう気が付いてるよね。それでも、学院としては全生徒に警戒を呼び掛けるのは当然だし、そもそも偶然ということも有り得る訳で不確実なんだからそうすべき」
ロイスは少し考える素振りを見せるが、すぐに首を縦に振って同意を示した。
「ああ、少なくとも騎士科の教師は気が付いてないとおかしいな」
この事件の重要な要素は、やはり被害者が全て平民という事実。そこにあるのだろうと考えを絞り込み始めたフェルは、ふと学院に入学したばかりの頃にいきなり決闘をする羽目になった出来事を思い出していた。
フェルは自分のすぐ隣に居る、あの決闘の際にもう一人の当事者だったロイスに問い掛けた。
「ロイス。こんな風に平民だけを害することって、やっぱりマクシミールみたいな感じだと思う?」
「んん? マクシミール・デュランセンのことか?」
フェルはそう、それとばかりに頷いた。
「そう、アイツとその取り巻き連中。貴族の家格に凄くこだわってた。ましてや平民は虫けら扱いで、何やっても構わないんだって感じだったでしょ」
「ふむ…。確かに彼らはそうだったが、でもその後マクシミールと父親の連名で反省と謝罪の書簡が送られてきたと言ってなかったか?」
「あー、うん。来たよ。私のとこじゃないけどね。アトランセルに届いたってのと大まかな内容を私は話として聞いただけ。どうやら、私がウェルハイゼスの庇護下に在ることを後になって知ったみたいで、私に謝罪する気はさらさらないんだけど、さすがに公爵家は怒らせちゃまずいと考えたんだろうなって。ラルフさんはそんな感じで言ってた」
「何それ」
と、レミィは呆れている口ぶり。
呆れかえってしまったレミィには少し苦笑いを見せて、フェルは話を続ける。
「……って、話が逸れちゃったね。ちょっと長くなるけどレミィも聴いて。今回の事件の犯人が貴族だという根拠は何も無いよ。だけど、平然と平民に向けられる加害感情。そして決闘の時にマクシミールが私に対して殺意をむき出しにしてきたように、貴族が平民に負けることなんか絶対に許容できないという、マクシミール達に在った貴族特有のそんな歪んだ選民思想のことが頭に浮かんで来たんだ」
……その時。
「その決闘は僕も観ていたけど、マクシミールは確かに異常なほどフェルに
と、男子生徒の声がフェルのすぐ背後から発せられた。
フェルは思わず吹き出しそうになりながら、
「オリベイラ先輩、盗み聞きは良くないです」
そう言って振り向くと、声の主を見てニッコリ微笑んだ。
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