第7話 バーゼル先生

「事情があって着任が遅くなっていた先生を、皆に紹介するよ」

 担任教師のカタリナが総合学科1年、フェル達のクラスの朝のホームルームでそう言った。その先生はこれから教室に入ってくるのかと思った生徒達は、キョロキョロと教室の入り口がある後ろの方を振り返ったり周囲を見渡す。


 スーッと暗くなっていく教室。

 天井に幾つもある照明の魔道具の灯りは点いているのに、なぜか生徒達の周囲の明るさだけが失われていく。

「なんだ」

「どうなってるの」

 生徒達にどよめきと戸惑いが広がる。不安の表情を見せる女子生徒も居る。

「何これ」

 隣のレミィのそんな声に、フェルは何も言わずに教室の前方の片隅を指差した。レミィはその方向を見る。それに釣られてロイスも同じ所を見る。


 暗くなった時と同様に生徒の周囲にゆっくりと明るさが戻って来る。

 そしてフェルが指差した場所に人の姿が浮かび上がってきた。

「気が付いたのは一人だけだったね」

 そう言ってニッコリ微笑んだのは、長身痩躯の男性。少し長めの金髪に白い肌。青い瞳。年の頃は30歳程だろうか。

「私の名は、ディクリート・バーゼル。魔法が専門だが剣も嗜んでいるので、皆よろしく。今年度受け持つ授業は魔法基礎と総合実技だ」

「バーゼル先生は、王国と帝国の学術交流の一環として帝国から来てくれたとても優秀な先生だよ。このクラスの副担任もしてくれる」

 バーゼルの自己紹介に続いてカタリナがそう補足した。


 レミィは席からすっくと立ち上がると、バーゼルを半ば睨むように見て言う。

「今の魔法はバーゼル先生ですか?」

「うん、自己紹介の意味もあったんだが、皆が知らない魔法で驚かせてみたいと思ったんだ。でも、少し悪ふざけが過ぎたようだね」

「いえ…。確かに驚きましたけど。先生、その魔法は…?」

 実際、レミィは驚いたし少し怒ってもいる。だがそれ以上に興味も沸いている。

 魔法を使う者は魔法による事象改変には敏感だ。光が遮られるような改変が自分を含めたごく近い周囲に起きてそれを感じないはずは無い。

 しかし事象が改変されたことに、その予兆はおろか改変されている最中にもそれを魔法的に感じなかったというのはどういうことだろう。彼女の怒りはその魔法を行使したバーゼルへ向けたものではなく、自分の未熟さへの腹立たしさであり、悔しさの発露だ。


 バーゼルはニッコリ微笑んだ。

「じゃあ、今日の2時間目が魔法基礎の時間だから、その時、初めにその話をしよう。皆も、それまで考えておいてくれ」



 ◇◇◇



 1時間目の授業の間も、その後の休み時間もレミィはフェルに話を聞きたくて仕方なかった。フェル以外の生徒全員が判らなかった魔法をフェルただ一人だけ見切っていたのはどうしてなのか。フェルには何が見えていたのか、それは同時に自分は何が見えなかったのかということ。

 そんな気持ちが顔に出ていたのだろう、フェルが溜息をつきながらレミィの顔を覗き込んで言う。

「レミィ…。属性の相性の問題が大きいと思うよ」

「え? 属性? って、フェル突然何を?」

「私にバーゼル先生の隠蔽が効いてなかった理由のこと。レミィさっきからその事ばかり考えてるでしょ」

「…あ、うん」

 見透かされてなんだか少し恥ずかしい気持ちになってしまい、レミィは思わず顔を赤らめる。しかし、レミィとフェルの話に聞き耳を立てているクラスメイトは多い。ロイスもその一人である。

 ただじっと聞き耳を立てているだけのクラスメイト達と違って、ロイスは話の続きが聞きたくて躊躇いなくフェルに尋ねる。

「フェル、相性っていうのは?」

「え? 私が光属性持ちだってのは知ってるでしょ?」

「そりゃ知ってるけど…。光球撃ち出すのも、光系の治癒とか使ってるのも見たことあるし…」

「闇魔法の一つの隠蔽魔法は、人や物を隠すだけじゃなくて魔法そのものも隠せるの。皆が先生の魔法を感知できなかった理由はそれだよ」

 すっかりフェルとロイスの会話に変わってしまって、ロイスはまた尋ねる。

「光持ちだと、それが効かないってことなのか?」

「それだけじゃないとは思うよ。私はお姉ちゃん達の魔法の訓練に付き合うことも多かったから慣れてるというのはあると思うし…。でも隠蔽魔法は光属性持ちには効きにくいというのは確かだよ」


「確かに相性はある。けれど私の隠蔽を看破できたのは、魔法の感知の熟練度がかなり高いからだということも間違いないね」

 いつの間にか教壇に立っていたバーゼルからそんな言葉が響くと、生徒達は揃って驚く。

 そんな生徒達を見渡してニッコリ微笑むとバーゼルは言う。

「今日から魔法基礎はカタリナ・レデルエ先生に変わって私が担当だ。レデルエ先生は担当している科目が多いのに私が着任するまで代わりにこの授業を受け持ってくれていたんだ。とても感謝している。皆もレデルエ先生に感謝しないと駄目だよ」


 そして、バーゼルは魔法の感知について説明を始める。



「……さて、繰り返しになるが、人が魔法を発動する為には魔力が必要だ。一般的に魔力と言うが、人のそれはマナと呼ばれる体内魔素の事を指している。人はこのマナ、即ち魔素で魔法の構築を行い、そしてイメージ的にはそこに魔素を積み重ねるようにして厚みを持たせることで魔力を込めて、結果として魔法の効果を高めたり発動が持続する時間を長くしているということが言える」


 生徒達をもう一度見渡してから、バーゼルは掌を上に向け胸の高さまで上げると、その掌の上に黒い闇の玉を作った。

「これは闇魔法で作った単なるボールだ。皆はこの魔力を感じ取れるかな? 今は隠蔽はしていないよ」


 いつしかクラスの担任教師のカタリナが教室の後ろの入り口から入って来ていて、生徒達と同様に熱心にバーゼルの話に聞き入っていた。


「感じています」

「判ります」

「判る」

「もやもやっとしてるのが、そうだよな」

「先生これはさすがに判り易いです」


 生徒達が口々にそう言った。


 バーゼルは笑いながら言う。

「うん、これが感じ取れなかったら中等科からやり直しだね。じゃあ、次はこれだ」

 一旦消した闇の玉をバーゼルはもう一度出した。しかし今度はさっきまでの黒い球では無くかなり透明度が高い。


「感じるべきは魔素なんだよ。今、このボールの為に作用している魔素は皆の目の前にある。違うんだよ、世界のどこにでも在る他の魔素とは。魔法を発動した者の意志が込められている特別な魔素なんだ」


 フェルはバーゼルの掌の上とは別に頭上にある球を見ている。その視線に気が付いたバーゼルがフェルにニッコリ微笑む。

「フェルは判ってるね。さすがだ。他の人にも探してもらおうかな」


 もう視線をそこに向けるなという意味だと理解したフェルは、目を閉じた。レミィはチラッとフェルを見るが、すぐにバーゼルの方に真剣な目を向け直す。


「うん、ロイスも見えてきたみたいだね。よし、分かりやすくしようか」

 そう言ったバーゼルは掌の上の玉は消してしまい、頭上の物を左右にゆっくりと動かし始めた。ロイスは安心したような表情で深く息を吐いている。


「分かった人はしっかり追いかけて感じ続けてくれ」



 いつしか魔力感知の訓練の時間のようになった魔法基礎の時間も半分ほどが過ぎた。バーゼルはひと区切りつけるように言う。

「さて、この訓練は次回もまたやっていくことにするけど…。実は皆に覚えてもらいたいことは感じるだけじゃなくて、魔法を防ぐことなんだ」

「魔法防御ですか?」

 ロイスがそう言った。

「そう。魔法発動の兆候を感知できて魔法の発動を妨害出来るならそれはそれでいい。しかしその妨害が出来なかったら? 不意打ちをされた時はどうだろう…? 既に発動してしまっている。でも逃げるのも間に合わない」

「結界か相殺する魔法を撃つ?」

 生徒の一人がそう言うと、バーゼルはニッコリ微笑んだ。

「それも一つの方法。だけどそんなに素早く結界魔法や相殺魔法を構築して発動できるかな。撃たれたのは何の魔法が見極めないと駄目だよね」


 生徒達がみんな頭を悩ませ始めたのを見て、バーゼルはフェルに向かって言う。

「フェルは、そういう場合どうする?」


 フェルは、ヴォルメイスの盾やガスランのガンドゥーリルは別格だとしても、ニーナが使うようなほぼ万能と呼べる重力防壁やエリーゼが使う風の障壁を思い出していたが、シュンだったら自分だったらと思ったことを口にする。

「私は防壁に出来るような魔法はまだ使えないので、斬るか殴ります」

 生徒達からどっと笑いが起きる。


 フェルは、あれ? 間違ってないはずだけど。と少し不服な顔。

 バーゼルは真面目な顔で頷いてフェルに問う。

「フェルは体内魔力操作が出来るんだね?」

「はい、冒険者仲間に教えて貰ってずっと毎日訓練しています」

「もしかして魔力循環も?」

 バーゼルがそう問い返すとフェルは少し困った顔で言う。

「先生、私は魔力循環しか知りません。その延長が操作だと教わっているので」


 その頃には生徒達の笑いはとっくに治まっていて、二人のやり取りを静かに聴いていた。


「うん、解った。フェルは凄くいい先生に教わって来たんだね。それでいいと思うよ」

 フェルはパッと笑顔になって言う。

「そう言って貰えると私も嬉しいです。ありがとうございます、先生」

 うんうんと頷いてバーゼルはにこやかに微笑んだ。


「さて、何の話か分からなかった者も多いと思うが、魔力で作る魔法を防ぐ盾と思って貰った方がいいね。フェルは斬ると言ったけど、皆はまず盾からだよ…。この盾は決して頑丈じゃない、魔法を受ければ壊れてしまう。そうなれば当然、君達も怪我を負うだろう。しかし生身で受けるよりはかなりいい。そういう物なんだ」

 レミィが立ち上がって問う。

「先生、それはダメージを軽減するという意味ですか?」

「そうだね。結果はそうなるのが望ましいね。うん、言い方を変えようか。相手の魔法による事象改変を弱めるということだよ。皆の力量が上がってくれば、相手の魔法をほぼ無効化できるようになることも不可能じゃない」


 その後バーゼルは、総合学科1年のクラスの生徒全員に魔力操作の基礎的な訓練方法を教え始めた。少し補助をしてあげるだけで魔力を集めることが出来るようになった生徒が何人か出てくる。


「あー、そろそろ時間だね。今日の復習を皆しっかりやっておくように。次の授業の時はもう少し進めるつもりだからね。しっかりこの訓練を続けていけば、皆が総合実技でいい結果が出せるようになると思うよ」



 バーゼルの初めての授業が終わり、次の時間は受け持ちの授業があるので職員室へ急ぎ戻りながらもカタリナは内心とても動揺していた。一体これのどこが魔法基礎だと文句を言いたくなるような内容だったからだ。魔法をいかに察知して防御するかは軍人にとっては永遠の課題のようなものである。それだけ魔法というものは、どうかすると理不尽に一方的に相手を傷つけていくものなのだ。先に撃った者が勝つということが既に常識に近く、このスウェーガルニ学院の魔法実技でも発動スピードをいかに速くできるかということが最優先となっていたりもする。


 動揺が少し鎮まって来ると、それにしてもとカタリナは改めて思う。

 フェルは、今日バーゼルが教えていたことは既にかなり知っていたことのようだったが、それでも得る部分が在ったのだろう。他の生徒同様にとても充実した表情をしていた。フェルはいつもどんな授業でもそうなのだが、更にやる気を見せていた。


 冒険者パーティー・アルヴィースの名を知らぬ者はこの公爵領には居ないと言っていい。全員が規格外の実力、それは魔法も武術も。

 幼少の頃から魔法剣士としての才能を開花させていたユリスニーナ殿下は騎士になるよりもアルヴィースに加入することにこだわったと言われている。

 そんなアルヴィースが、あのフレイヤとミレディが居る冒険者ギルドスウェーガルニ支部が、更には第一騎士団、もちろん学院の教師達も。そんな面々が揃ってフェルを手塩にかけて育てている。

 ここに新たにバーゼルという教師も加わって来た。


「とにかく、楽しみだわ。フェルも皆も、どんな成長を見せてくれるか」

 カタリナは、思わずそう独り言を呟いてニヤニヤと微笑んでしまっていた。

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