第14話 ことわり

 レグルスには、これから先の彼の人生がある。



 去っていったレグルスの背中を思い出して、これから一体彼がどうするのか。ただそれだけを考えた。遠い道を歩いてきたけれど、南の村に帰るのだろうか。家族が欲しい。そう言っていたから、もしかするとお嫁さんを貰うのかもしれない。おじいちゃん、とからかっていたけれど、本当は彼はまだ子供だから、もう少し先のことなのかもしれないけれど。



 レグルスの服を着ていたから、と真っ赤な炎のように、怒った女の子の名前はなんだったか。彼はちっとも気づいていなかったけれど、考えてみると、ひどくお似合いなような気がした。



(ほんとに、レグルスは違う世界の人だったんだな)



 ちょっと前まで、彼は隣にいてくれた。姿が見えなくなると、今までの旅も、全部が嘘のように感じた。残っているのは、最後に彼がくれた水筒の水くらいで、肩掛けするにはもう似合わない姿だ。



「そなたを喚んでから3年。すでに竜の年から3年が過ぎている。我らにしてみれば一瞬の時間であるはずが、とても長く、辛く感じたものだよ」



 レグルスなんかよりも、ずっと本物のおじいちゃんである錫杖を持ったエルフは、少ない歯を動かしながらゆるゆると言葉を告げた。消えてしまった見えない姿を追って後ろばかりを見つめていたものだから、慌てて顔を前に向けた。優しげな瞳だ。



「“糸”はつながっていた。だというのに、何かに邪魔をされているように、そなたの場所を探すことができなんだ。けれども姿を見た今となっては、しっかりと結ばれた。もう見失いはしない」

「糸って……あなたとつながっているこの、“紐”のことですか?」



 たしかに、いつもはもっとぼんやりしていたはずなのに、少しおかしい。細くて、ふよふよしていて、もしかすると間違えて切れてしまいそうな。そんな頼りげない紐だった。相変わらず、ちょっと間違えば切れてしまいそうだけれど、姿ばかりははっきりと見えている。これがなければ、ここまでたどり着くことはできなかった。



 私がそういうと、おじいちゃんはほんの少し僅かに、驚いたように瞳を大きくさせた。それから、「ああ、そなたは、魔法の瞳を持っていたのだなあ」「まほうの、ひとみ……?」



 さよう、とおじいちゃんは頷く。



「わしには、そなたとわしが、一本の糸で結ばれていることがわかる。けれどもそれは決して、はっきりと視認できるものではない。ただ、自身の魔力の片割れを感じているだけだ。そなたの瞳は特別なのだよ」



 私にも、魔法を使うことができるかな、とレグルスに聞いてみると、使えたらいいなぁ、とまるで馬鹿にされたみたいなぬるい笑みを向けられたことがあるけれど、まさかこの紐がそうだったなんて考えもしなかった。



 そうなんだ、とびっくりしたりとか、そんなことよりも、もっと目立つものだったらよかったのにとか、こんなときでも、レグルスに伝えたい驚かせてみたいとか、子供みたいなことを考えている間に、広い部屋の中にいるエルフたちはこれは竜の思し召しなのだろうと声を震わせながら、誰も彼もが上を仰ぎ見た。両手を合わせて握りしめ、ぽろりと涙をこぼすエルフまでいて、なんだか気まずい。



「あ、あの」



 厳かな雰囲気だった。そんな中で、声を出していいものか少しだけ迷ったけれど、いや気にしている場合じゃない、と両手を握りしめた。なんて言ったって、私はこのために来たんだから。



「“喚び人”って、一体なんなんですか。私はなんのために呼ばれたんですか。ちゃんと、家に帰してくれるんですか!」



 最後は少しばかり、腹の立つ気持ちがにじみ出た。震えた唇を必死で抑え込んだ。たくさんの気持ちを飲み込んで、ここまで来た。けれどもきっと、この目の前のエルフ達は、そんなことはわかりもしない。ただおっとりと、こちらを見つめて微笑んでいるだけだ。なぜだかひどく不気味に感じた。レグルスとはまた違う。何か透明な壁が、目の前に立ち憚っているみたいだ。



 おじいちゃんのエルフの周囲には、若いエルフが立っていた。食いつかんばかりの私を見て、彼は一歩踏み出した。そんな姿に、「よいよい」 おじいちゃんである“大神官さま”はゆっくりと片手を振って静止する。



「異界の子よ。そなたにはしてもらうべきことがある。それさえ終われば、もちろんもとの世界に返すとも」



 拍子抜けするような言葉だ。


 そのまま座り込んでしまいそうになった。すっかり力が抜けてしまった足を、慌ててしっかり踏みしめた。まだ話は終わってない。「そ、それで、私は何をしたらいいんですか」 彼らは私とレグルスが旅する間、3年を待ったという。なるべく簡単なことならいいけれど。今度こそ私は、レグルスに頼ることなく一人きりで戦って、やりきらなければいけないのだから。



 大神官様は、ぴくりとも微笑みを崩すことなく、口元を柔らかくさせて続きを語った。「喚び人とは、予備人。我らの代わりだ」 なぜだろうか。ひたりと冷たい何かが首元に当たったような、そんな気がした。



「我らは竜に食われるために産まれた。人は短く生きて、たくさんの子を残す。エルフは長く生きて、理を忘れぬように管理する。これは世界の決まりだ」



 ――――エルフなら喜んでこの身を差し出さなくちゃいけないはずだって知ったのは、今の村に来てからだよ




 レグルスの村、アルデナユタは竜に襲われてなくなった。幼い頃に家族をなくしたレグルスは、エルフの常識を、長く知ることがなかった。



「我らの数だけでは足りんのだ。異界の人間は、竜にとって、とびきり旨い存在なのだよ。以前ならば、いくらでも好きなだけ予備人を喚ぶことができた。けれども今は、たった100年に一度きり。過去よりも竜の数が減ったとは言え、食われていく同胞たちを見る度に、ひどく胸が重たくなった」



 後ずさった。けれどもすぐに一人のエルフに捕らえられた。背後から腕を持ち上げられて、ぴくりとも動けない。



「その髪一本、その爪のかけら。指一本、足一本。ほんの少しをわけてくれるだけでいい。お前の体一つで、多くの同胞が救われる」



 レグルスと泥だらけになって飛び立つ竜の姿を見上げた。赤子のような泣き声で遠い空を通り抜けた。あれは今から人やエルフを食らおうと里を探しているのだと、竜が消えたあとに、レグルスは教えてくれた。



 予備人の目玉は、100人を集めても足りない。内臓は、骨は、血は……。私の価値を、大神官はとくとくと語る。



「か、帰して、くれるって……!」



 確かに、そう言っていた。きっと言葉なんて通じるわけもない相手だ。なのに私ができることはただ叫ぶくらいで、何もできない。じたばたと暴れた。その度に腕を高くあげられる。とうとう、つま先から持ち上がった。痛くて痛くてたまらない。



「これこれ、乱暴するでない。それに嘘なども言っておらん」



 足元まで届くような長いひげをなでて、大神官さまはひどく当たり前のことのように、私に告げた。



「予備人の魂は異界に戻る。どうか我らのために、きっちりと、綺麗に死んでくれ」




 ――――きっと丁重に扱われるに違いない、とたくさんの想像をしてみた。ふわふわのベッドをくれて、美味しいお菓子だって、お腹いっぱいにくれるに決まっている。



(馬鹿だな)



 自分自身で笑ってしまった。レグルスと二人で語ったことがある。


 今よりも旅に慣れてはいなくて、帰りたいと泣いたり、色んなことを諦めたり、なんにもできなかった。でも、力の限り笑っていた。レグルスのおかげだった。



 子供だった。



 泣いているのか、笑っているのか、自分でもよくわからなかった。ただ、私が目指したゴールは、ここだった。耳元で囁かれた言葉は、きっと魔法の言葉に違いない。どんどん意識が遠くなる。それから、ぷつりと私の意識は事切れた。


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