第13話 北の神殿


「最初に出会った村って、エルフの村って言っていたよね」

「言ってたな」

「神殿のことは、大神殿って言ってるだけだし、もしかしてエルフって、村とか街に名前なんてつけないの?」



 ふと、不思議に思ったことを聞いてみた。最初はとにかく勢いよく追い出されて泣いているばかりだったから気にもとめる暇がなかったのだけれど、考えてみればなんだか変だ。エルフっていう種族は、そんなにシンプルに生きているの? と宿屋のベッドで首を傾げて見ると、「いやいや」 レグルスは片手を振った。



「もちろん名前はある。でも、エルフは基本的に互いの村の場所も知らないし、あんまり使わないだけだよ」

「へえ、そうなの」

「エルフってやつは、引きこもって生きたがるんだ」



 苦笑したようなレグルスのセリフに、ふうん、と何の気なしにうなずいた。「俺が生まれた村にも、もちろん名前はあったよ。アルデナユタ。まあ、もうどこにもないけどな」 レグルスは幼い頃、竜に襲われて、色んな人間の街を歩いた。だから色々知っている。



「……ナユタ?」



 聞き覚えのある言葉を、思わず繰り返してしまった。「ん? どうした」「ううん、なんでも」 ただのこっちの話だ。わざわざレグルスにいうことではない。「じゃあ、今から行く大神殿も、レグルスは名前を知らないの?」「まあ、そうだな」「人間も、知らないんだね」「だろうな」



 こんなに近くにあるのにね、と宿の窓から外を見つめた。大きな、大きなお城が建っていた。なのにその姿は、私以外には見えないのだという。人間の目をくらます魔法がかけられているとレグルスは言っていて、私がそれに気づいたのは、きっと、いつも細く見える“紐”のおかげだ。それはしゅるしゅると伸びてお城につながっている。まるで、赤い糸みたいだった。




 私とレグルスの旅はここで終わる。ただ静かに、互いにベッドの端に座った。私はすっかり小さくなったレグルスを見下ろして、言葉に困った。レグルスがどう思っているのかはわからない。ただ彼は、「おつかれ」と言ってくれた。





 ***





 カナとの旅が終わってしまう。それはいつか来ることのはずで、俺達はただそれを目指して、まっすぐに進んでいた。少しでも早く、カナが泣いてしまわないように。そう考えて、とにかく必死に進んでいった。嘘じゃない。とにかく、俺にできるだけのことをしたつもりだった。なのに。



 ベッドの端には、自分の拳を見つめて、ただ顔を俯かせるカナがいた。そんな彼女を見て、不意に飛び出してしまいそうになる言葉を、ただ必死で飲み込んだ。





 行くな。





 そう言えたら、どんなにいいだろう。なあ、カナ、行くな。


 行かないでくれ。傍にいてくれ。そう伝えようとして、ちっぽけな自分の手のひらを思い出した。ちっとも成長なんてしてくれなくて、子供みたいな弱々しい手だ。ただの子供だ。そんな俺が、彼女に伝えられることなんてなにもない。悔しかった。だからただ、唇を噛み締めた。





 ***






 行きたくない。





 思わず叫んでしまいそうな、そんな言葉を飲み込んだ。帰りたい。家族に会いたい。その気持ちは嘘じゃない。玄関の扉を開いて、ただいま。そう言って、家族を驚かせてやりたい。けれども、旅の間にすっかり変わってしまった姿が怖くて、それでも何かの奇跡があるのではないかと期待して、私は神殿に向かった。でもやっぱり行きたくなかった。



“レグルスと、ずっと旅を続けたい”



 馬鹿みたいなこの考えは、本当に幼くて吐き捨ててしまいたかった。レグルスの顔を見ることなんてできなかった。幼稚な自分の考えを、知られたくなんてなかった。お願いだから、気づかないでほしかった。



 だから、ありがとうと告げた。レグルスはおう、とただ返事をした。私達の旅はここで終わった。神殿の門をくぐり、尖った耳のエルフ達の前に、私達二人は棒のように突っ立って帰りたいと言葉を告げた。まるで玉座みたいな立派な椅子に座って、レグルスと出会った村にいた村長なんか目じゃないくらい、長い長い、真っ白なひげを持つ長い耳のエルフは「そうか」とゆっくりと頷いた。


 老人のエルフは、ヒビの入った宝石がついた錫杖を持って、ゆっくりと優しげに声を落とした。



「よく来た、喚び人。そして南のエルフよ。貴重な喚び人を、長い道のりの中、よくぞ送り届けてくれたものだ」



 私と糸のような紐でつながるそのエルフは、しわしわの口を動かして金色瞳を緩やかに弧を描かせた。





 レグルスは、たっぷりと報奨をもらって、神殿を去った。そのとき私は、彼にもう一度ばかり感謝の言葉を告げたけれど、すこしばかり後悔した。




 最後に、少しだけ。


 手をつなぎたかったな、と。ただ、それだけ。

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