第7話 よってらっしゃい


 レグルスの耳がない。





 いや、実際にはある。あるけれども、あんまりにも普通で、見覚えがありすぎるものだ。私の耳と同じ形だ。森を抜けて、草原を歩いてと、ずっとその目にしていたものがないものだから、ちょっと待った、なにかの間違いかと慌てて両目をこすったものの、変わらない。「はは」 いたずらが成功した子供みたいに彼は笑っていたけれども、そんな場合じゃない。



「ど、どういうこと?」



 この世界のエルフとしては変わっているに違いない、と思っていたのは勘違いで、まさか本当は、レグルスはエルフじゃなくってただの人間だったのだろうか。ええっと、ええっと、と考えて、えい、と手を伸ばして確認をしたくなったけれど、まさかそんなことをするわけにもいかず、逆に後ずさった。そうすると、壁にぴたりと背中が当たる。「う、ううん……?」「驚かせて悪かったよ」



 わるいわるい、とレグルスはさして悪いと思っていないような口調で口元を緩めて、自分の両耳をちょいちょいといじった。すると瞬き一つの間に、すっかり元のレグルスに戻っている。思わずじっと観察した。そんな私を見て、彼は誇ったようにくるくると指先を動かした。するとまた耳の形が変わってしまう。つまりこれは。



「……魔法?」

「そうそう」

「便利だね!?」



 これならローブで耳を隠す必要なんてどこにもない。「エルフの基本の魔法だよ。最初に覚えるのはこれだな」 それだけ姿を変えなければいけないときも多いということなのだろうか。



「じゃあ、気にせず街を歩けるね」



 よかったよかった、両手を合わせると、「それはどうかな?」 ふむ、とレグルスが頷いた瞬間だ。特になんの仕草をしていたというわけでもないのに、ぽふりと耳から小さな煙が出たかと思えば、すっかり元に戻っている。「……レグルス?」「俺は、魔法が苦手だって言ったろ?」 いや言ったけど。



「こういう変化の魔法は、常にケツに力を入れてるようなもんだ。カナだって想像してみろよ、中々難しいだろ?」

「言い方が最低すぎて頭の中に入ってこないよ」



 確かにそれは難しいねと言ってあげたい気持ちと例えがおかしいという気持ちでぐるぐるする。「とにかく、俺は魔法が下手くそなんだ。フードを下ろしていて、いきなり耳が長くなったらまずいだろ。 というわけで、俺は基本はこうさせてもらう」 と、言いながら、レグルスは先程と同じく耳を隠した。まあ、魔法は万一のためなのだろう。



「それで? これから何をするの? ご飯を買うとか?」



 考えられることと言えばそれくらいで、私の言葉をきいて、レグルスは「うはは」と笑った。やっぱり違ったのだろうか。正直、自分の無知に恥ずかしくなったところで、「ちがうちがう」 レグルスが片手を振った。「それ以前だ」「以前って?」 眉をひそめる。





「まずは買い物以前の話。俺たちには、金がないんだ」





 ***




 悲しいことにも、旅をするのにお金だって必要だ。レグルスだけならまだしも、私を連れるとなると自給自足をするにも限界がある。



「えー、えー……えー……」



 広場の噴水の前で、小さく呟いて両手で水筒を握りしめる。「カナ。もうちょい、大きく」 後ろではまるで黒子のようにフードをかぶったレグルスが、ぽしょぽしょと告げてくる。「えー、えー、ええーー!!! よってらっしゃい、見てらっしゃい!?」 ベタか、と自分では呆れたのに、背後のレグルスは親指を突き出していた。そのジェスチャーは異世界共通だったのか。



「おいしい、お水がありますよーーー!?」




 ***




 魔法で作った水を売る。話だけきくと、まるで詐欺みたい、と伝えた私の感覚に間違いはないはずだ。けれども、この世界からしてみれば一般的なことらしい。



 ――――魔法でできた水は、長く喉を潤すし、滋養にもいい



 確かにレグルスからもらった水はおいしかったし、不思議と一口で満足した。けれどもそんなものを売ってしまえば、自分からエルフだと宣伝しているようなものなのでは、と尋ねてみると、人間でも魔法を使うことができる人は僅かにだけれども存在するし、これくらいのものならエルフが人間のふりをして魔法を使うことも多々あるそうで、実際よりも、ずっと多くの人間が魔法を使うことができる、と街の人たちは勘違いしているそうだ。



 俺も昔は水を売って荒稼ぎしたものだな、と照れたように鼻の下をこするレグルスはさておき、エルフの村は人口の割にしっかりと物が揃っていて、村長の椅子の下には立派な敷物があった。嫌っているのに、互いを利用していると思うと、なんとも不思議な関係だった。




 そんなことよりも「お水がありますよ!」と叫んでしばらく、私とレグルスの周りにはわらわらと人が集まってきて、口元が勝手にひきつる。ちょっと逃げたい。でも逃げるわけにはいかない。



「珍しいな。昔はよく売りに来てたものだけど」



 一人の髭面のおじさんの言葉に、レグルスはおれおれ、と言う風に頷いている。耳以外にも、顔を隠すためにフードを被っていたようだ。「じゃあ、銅貨1枚でいいか?」「えーっと……」 もごついたところで、レグルスを確認する。問題ないようなので、「大丈夫です、どうぞ」 水筒にたっぷり入れた水を、おじさんが家から持ってきてくれたらしいコップに、ちょろりと少量を注いだ。すぐさまおじさんはその場で飲み込む。



「やっぱりうまいなあ。懐かしい味だ。お嬢ちゃんが作ったのか?」

「いえ、その、これは」

「そっちの子か。嬢ちゃんの兄ちゃんか」



 片方は本当はおじいちゃんだとしても、はたから見れば見覚えのない子供二人だ。兄妹と勘違いされてしまったらしい。


 はは、と頭の後ろをひっかいた。そうこうしているうちに、水筒の水が、どんどん少なくなっていく。からっぽだ。それと一緒に、まるで10円玉のようなお金で布袋がいっぱいになっている。「十分だなあ」 レグルスが嬉しげに呟いて、「はいはい、これで終わり、さあ終わり!」 私の前に飛び出して手のひらを叩くと、列に並んでいた人たちが不満げに声をあげた。



「……そんなら仕方ないな、ちょっと待っててくれよ。また作って持ってくるから」



 接客は念の為私が行うことになっていたはずなのに、どんどん増える銅貨に嬉しくなってきたのか、いつの間にかレグルスが中心になっている。また作って、と言うには今この場でするにはレグルス曰く、“うっかり”が出てしまったら困ってしまうからだろう。



 けれども、いつの間にやら、彼はうっかりしてしまっていたらしく、ひゅう、と拭いた風にフードがひっかかると、彼の長い耳が表に出た。



 僅かの間のあと、「いけね」 レグルスは慌ててフードを被ったものの、すでに遅い。「……エルフ?」「エルフだったか?」「エルフだ」「エルフか!?」 小さな声がどんどん重なり、彼らの瞳がギラついてくる。「ひえ」 レグルスはすぐさま私の首根っこをひっつかんだ。



「逃げるか!」

「え、ええ、えーーーー!」



 最初に出会ったときと同じように、小さな体なくせに私を横抱きにして、ぴょんぴょん跳ねた。「落とさないでね!?」「もちろん努力する!」 ただし結果が伴わない可能性もあるらしい。



 わあわあ集まる人達から二人で一緒に逃げて、手に入れたものはたくさんの銅貨だ。ただし、相変わらず魔力の制御が苦手なレグルスがうっかり気を抜けた瞬間、やっぱりどしりと落とされてしまったので、私のお尻が3つに割れる日も近いかもしれない。絶対嫌だ。

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