第5話 いただきもの
空が真っ赤に燃え上がっていた。
聞き覚えのある声が聞こえる。悲鳴だ。怖くて、苦しい。その記憶を、今もはっきりと覚えている。悲鳴が聞こえているうちは、まだよかった。少しずつ、少しずつ少なくなる。消えていく。告げられた言葉が、幾度も頭の中で回っている。どうかお願い、生き延びて。死んでしまったらお終いよ。
あなたの無事を、祈っている。
***
「そ、その、魔物を……さ、さば……く」
思わず固唾をのみこんだ。レグルスの片手には、額に長い角が生えた一匹のうさぎが、ぷらぷらと揺れている。「おう。そりゃもちろん」 あっけらかん、と声を出すレグルスを見ると、一瞬意識が遠のいた。荷物を少なくして、すっかり身軽になって進むスピードも速くなったところで、レグルスはぴくりと耳を震わせた。
またあの狼だか犬だかわからないようなやつでもやってきたかと、ぎくりと体を固くしたとき、いやいや、とレグルスは言葉には出さずに片手を振った。それから道を逸れたかと思えば、ひょいひょいとどこかに向かっていく。いつの間にか片手にはナイフを持っていて、ぽっかりと地面に開いた穴を見つめていた。
「……なにそれ」
「まあまあ」
レグルスが、また一歩近づいた。瞬間、小さな影が飛び出した。長い角にあらん限りの殺気を乗せた小さなうさぎを、レグルスはさらりと避けて腹をさばいた。ひっくり返して持った魔物からは、ぼたぼたと血がこぼれている。
「あの、それ、その、もしかして」
「食うけど」
「いーーーーやーーーーー……」
さっきまで、なんのかんのと言いながらエルフの村からもらった干し肉やらなんやらを噛んで、幾度かの夜を越えた。顎が痛いし、味だってよくもないけれど、食べられるだけマシだと思っていたところで、ぴくぴくと震えるうさぎである。額から角がはえていようがなかろうが、私にとってはただのうさぎだ。怪我をしていようと、未だに生きているのだ。
「何だお前、異世界人ってのは肉を食わないのか? 干し肉は食ってたからいけると思ったんだが」
「た、食べるよ。食べるけど、自分で、こういうことはしないっていうか」
自分でも矛盾があることを言っているのはよくわかる。足りないのは覚悟だけだ。瞳をつむると、眉間にしわが寄っていく。「いや、違う、ごめん」 ゆっくりと目を開けた。「食べる」 端的な私の言葉に、レグルスは少しだけ片眉を動かした。それから驚くほどの速さでうさぎの息の根を止めた。ぴくりと震えて、事切れた体を見ると、ひどく心臓が痛くて拳を握りしめた。ぎくりとした。
少しだけ残しておいたノートを破いて燃やして、肉を焼いた。じゅうじゅうにしたお肉を口にふくむと、喉を通って、お腹の中までしっかりとたどり着く。その感覚を、なんと言えばいいのかもわからなかったけれど、レグルスは、「食うってのは、仕方のないことだ」となぜだかぽつりと呟いた。
「それにしてもカナ、お前なんだか甘い匂いがすんだよな。はちみつとか隠し持ってないか?」
「持ってるわけないでしょ、どんだけ食いしん坊なのよ……!!?」
***
森を抜けた。そうすると、びっくりするほど広大な草原が広がっていた。その中にも、薄れかけた細い道がずうっとまっすぐ伸びていて、お日様が暖かい。なぜだろうか。「こっちな気がする」 道が伸びているから。そんな、ただそれだけの理由なのかもしれないけれど、私はまっすぐ指差した。「この先に、何かがあるような気がする」
森の中だとぼわぼわしてわからなかったけれど、私と何かがつながっている。けれどもその感覚も、たどり寄せなければすぐに薄れて消えてしまう。
「そっちには一番近い街だ。でも、そのもっと先には神殿がある」
俺も行ったことはねぇけどな、とレグルスは太陽の中でうーんと一つ、伸びをした。彼のキラキラした髪の色がよくわかる。「カナと神殿は、つながってるのかもしれない」 召喚した神官と、喚び人はつながってるって聞くぜ、ときいた日常会話に、なんだか胸がもやもやした。
(私のことを、召喚した人……)
何をどうしてこの世界に喚んだのかわからないけれど、もとの世界に帰してください。そうお願いするために進んでいる。本当のところを言うと、不安しかない。腹が立つ気持ちだってたくさんある。けれどもそんなことも忘れてしまうくらい、私は目の前の光景に夢中になった。草原を抜けると、一つの大きな街があった。堅牢な壁で周囲をぐるりと包んでいて、あんまりにも壮大だ。
その壁に、今も幾人もへばりついて、何かをしている。
「み、みんな何してるの?」
「新しい壁なんだろ。上から紐を垂らして調節してんだ」
「新しく!? どういうこと、何回も壁って作るの!?」
「そりゃあな。人が増えれば街を大きくしなきゃなんねぇからな。外に溢れたらまた壁を作るんだ」
「なんなのそれ、大変じゃない!?」
「そりゃ大変だよ」
ありゃ三枚目の壁だな、とレグルスが片手で日陰を作って瞳をすがめている。外から見ているだけでも活気が溢れている。色んな髪の色の人たちが怒声をとばしてとにかく忙しそうにしている。「大変でも、南の人間にとっちゃ、壁は重要だからな」 よくわからないけど、そうなんだろう。はあ、へえ、とバカみたいな言葉を繰り返しているうちに、どんどん街が近くなる。
レグルスはフードをかぶった。私もそれに倣おうとしたけれど、「カナはいいよ」と苦笑した。それから、門をくぐり抜けた。
てっきり、漫画か何かのように衛兵に止められてしまったり、色々聞かれるのではと体を小さくしていたのに、そんなこともなく賑やかな通りを抜けていく。
「……あの、レグルス、勝手に入っちゃっていいの?」
「いいのいいの」
そんなものなのだろうか。「南はとにかく人の入れ替わりが激しいから。特殊なんだ。人出が欲しいし、過ごしやすい気候だから人間が溢れてくる。確認なんてしている暇もない」 これまたへえ、としょうもない返事をしてしまった。
道の端にうずくまって眠っている人もいるし、小銭を求める人もいる。とにかくしっちゃかめっちゃかで目の前が白黒する。「はは、気をつけろよ。ここらへんは治安だってよくないぞ。自分のことは自分で守れ、とまでは言わねえけど、気合は入れとけ」 そんなことを言われても、とすっかりしょぼくれてしまった。そんな私を見て、レグルスは小さな手のひらで、思いっきり私の背中を叩いた。
「死んじまったらお終いだからな。まあ、何かあったら、一目散に逃げようぜ」
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