第13話 北原沙耶と「もう一人の私」
…………
……
暫しの間硬直していた俺たちだが、それも仕方のないことだろう。
ここから電車で30分以上離れた所にあるバイト先の後輩、北原沙耶――まさかこんな所で会うとは思いもしていなかった。
「北原……奇遇だな。すまん、怪我はなかったか?」
「い、いえ……こちらこそ。私は大丈夫です」
「なら良かった。北原って家、この辺りだったのか?」
「そういう訳ではないんですけど……今日はたまたま」
北原は「たまたま」と言ったが……こんな
「サヤっちー?どしたん?なんか揉めて――……お取り込み中でしたか。失礼しましたー!!」
突如現れたのは、長い金髪を1本にまとめた女の子――高校生くらいだろうか?北原に親しげに話しかけようとしたものの、俺の姿を見るや否や走り去ってしまった。
「サヤっちが……!俺様系ヤンキーを押し倒して口説いてる!あの奥手なサヤっちが!ついに!!」
「ちょっ……!!ちがっ……ああっもうっ……!悠先輩、またバイトで!」
「お、おぉ…………」
珍しいことに、北原が慌てて金髪ちゃんの後を追って行った。
北原の慌て様は初めて見たかもしれない。普段冷静沈着なあいつでも慌てることはあるのかと感心して――
「また女……悠斗、今の女……ダレ?」
存在を忘れかけていた幼なじみの機嫌が再度急転直下し、閉店ギリギリまで尋問されたのはここだけの話としておこう。
※※※
「あ、悠先輩」
「ん……北原か」
週明け、バイトの休憩時間に誰もいない喫煙所で煙草をふかしていると、シフトが被った北原が訪ねてきた。
「この間はお見苦しい所をお見せしました。りさちー……本人には強く言っておきましたので」
「あー、いや、俺の方こそ……なんだか悪かった。微妙な雰囲気にさせちゃったし」
「いえ、それは全然……悪い子ではないんですけど、ちょっと思い込みが激しいというか……」
…………
き、気まずい。
居酒屋での小っ恥ずかしい事件を思い出してしまうわ、当事者のはずの北原は相変わらず表情から感情が読み取れないわ、ややいたたまれない気持ちになってくる。
「なかなかキャラの濃い人、だったな。地元の友達か?」
「……まあ、そんな感じです」
「そうか……というか、北原の地元ってあの辺だったっけ」
「……いえ、違いますけど」
…………会話が続かない。
一瞬何か気に触るようなことを言ってしまったのかとも思ったが、相手はあの北原だ。これが平常運転だ――と思った、のだが。
「悠先輩。お詫びの意味も込めて、これ……よかったら、なんですけど」
そう言って唐突に差し出されたシール状の紙には、大きく「PASS」と印刷されていた。
そしてその時の北原の表情は――「クールビューティー」が平常運転でもなんでもない、と言わんばかりの複雑なものだった。
※※※
音楽を趣味としている以上、大小関わらず「ライブ」と呼ばれるイベントには何度か足を運んだ経験があった――当然観客側としてではある、のだが。
故に「PASS」と書かれたこのシールが何を意味しているのか、ということもある程度理解はしている。
PASS――所謂「ゲスト・パス」。つまりライブの招待券である。仕事上の関係者、家族、友人等に配布されるもので、小規模なライブであれば関係者のツテで比較的容易に入手出来るものである、のだが。
「本当にここ、なんだよな……?」
記されていた場所は、市内でも比較的有名なライブハウスだった。
決して大きな会場とは言えないが、人気アーティストのライブツアー会場として使用されることもあるし、なんなら俺も何度か来たことがある。
正直な話、昨日今日で結成したようなアマチュアバンドやアイドルにはあまりにも分不相応な会場だ。
列を成して開場を待つファンの数を見るだけでも人気が伺える。北原は一体、何者なんだ――
などと考えに耽っていると、
「いやー、久しぶりの『ライブラ』のライブ!本当に楽しみだな!」
「一時は活動停止か?ってくらい動き無かったからな。正直もうダメかと思った」
「曲のスランプとメンバーの進路で揉めたって噂だろ?しかもそれを言い出したのがあの『SAYA』だってのが信じられないんだよなあ」
「俺も。『SAYA』はどっちかって言えばグイグイ牽引してくタイプっぽいじゃん」
「ま、そこら辺もなんか情報があるなら今日公開されるっしょ。楽しみにしてようぜ!」
なるほど。どうやらSAYAなる人物がバンドの中核に居るということは分かった。
ふと、看板が目に入った。『LIGHT BRAVERY』というのはバンドの名前だろう。
雰囲気を見る感じ、ロック系の盛り上がりそうなライブのようだ。折角の機会だ。楽しませてもらおう――
※※※
「お前ら!気合い入れて、行くぞっっーーー!!」
「「「うおぉぉぉぉーーーーー!!」」」
「彼女」の声に、まるで、地響きのように、空間が震えた。箱が、揺れている――!
いや、理性では分かっているのだ。これは、アンプを介したスピーカーから増幅された音の波にすぎない……すぎない、が。
この声に、迫力に、そしてそれを後押しする演奏による一体感は、否応なしに感情を昂らせるものを感じさせられる。
――と、それよりも。北原の姿を探さないと。
一応は彼女の知り合いとして招待されている身なのだ。終演後は一言挨拶でもするのが礼儀だろう。
北原は何を担当しているのだろうか。
無口で無表情な北原――ベースとか弾いているイメージ……いや、黒髪の美人だがスラリとした高身長の別人だ。
もしくは無表情ながらも正確な演奏をするドラム……いや、これも金髪で快活そうな別人。何処かで見たことがある気がする女性だが、まあ気のせいだろう。
「お前ら!まだまだいけるか?!へばらずに着いてこい!!!」
「「「うおぉぉぉぉーーーーー!!」」」
曲の切れ目だったのだろう。不意にMCの声が耳に入ってきた。
ボーカルの女性が観客を煽り、会場の熱気は最早頂点に達しているように思える。
ボーカルは長い銀髪の女性だ。それにこの激しすぎる歌唱、どう考えても北原ではない。
――不意に、ボーカルと目が合った。この表情、何処かで…………
『自分の才能を認めてくれる人が居るなんて……嬉しいじゃないですか』
長い髪を振り乱すようなアグレッシブなパフォーマンスに、入場前の観客の雑談を思い出した。
『沙耶はどっちかって言えばグイグイ牽引してくタイプっぽいじゃん』
間違いない――
「Thank you !」
「「「うおぉぉぉぉーーーーー!!」」」
この会場を沸かせている、このボーカルこそが――
「ボーカル!SAYAでしたっ!」
クールビューティー、北原沙耶のもうひとつの姿だった。
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