第8話 異性の先輩と煙草を買いに行くだけの話
香澄に「プロトタイプ」の曲データを送ってから一週間。ようやく通知音が落ち着いた携帯が久しぶりに震えた。
講義の合間を縫って画面を確認すると、LINEの新着通知が一件。差出人は――佐伯結花
「今日、15時丁度、金時計の下で待つ」
※※※
「時間丁度ね、大瀬崎君。出来ればデートの15分前には着いているのがマナーだと思うのだけれど」
「じ、自分で指定しておいて、よく言えたもんですね……」
佐伯先輩に呼び出されたのは、街の中心部にあるターミナル駅の定番の待ち合わせスポット。
待ち合わせ場所としてはありきたりで、日時を問わずに混雑する場所ではある。しかし佐伯先輩の佇まいは周囲の空気と一線を画し、すぐにその姿を見つけることができた。
待ち人の相手としては若干の優越感すら覚えるものだ……口さえ開かなければ、であるが。
「そもそも佐伯先輩、俺たちの講義のスケジュールは知ってるでしょうに。これでも3限終わった後に直行してきたんですから」
「そうだったかしら?だとしてもあまり言い訳する男は好きじゃないかもー」
「……そうっすか」
あまり興味なさげに投げやりな返事を寄越しながら歩き出した佐伯先輩の後を追い、荒れた呼吸を整えながら肩を並べる。
「……で。わざわざ多忙な後輩を呼びつけた要件は一体なんです?」
講義後に即学校を出て急ぎ足でここへ向かったというのに開口一番がいつも通りの嫌味だったことに抗議の含みを持たせつつ、隣を歩く佐伯先輩に問いかける。
しかし、当の本人はスマホを見ながら「んーー?」とやる気のない返事をしただけ。
かと思いきや、急に立ち止まった目線の先にあったのは――
「あ、電子タバコ」
「忘れてた……のかしら」
「滅相もございません」
そもそも佐伯先輩と連絡先を交換した――というかさせられた――そもそものきっかけは先輩が「電子タバコを見に行きたい」と言ったからだった。
ここ最近の忙しさのせいで完全に忘れていたが、それを口にして彼女の機嫌を悪くしても仕方がないだろう。かろうじて取り繕い、店内へ入る。
佐伯先輩はにこやかに対応してくれた店員さんに対して、一式購入したいとの旨を伝え、淡々と購入手続きに進んでいく。
お連れ様もいかがですか?――と勧められたが、そもそも電子タバコに興味がなかった俺は首を横に振るだけだった。
※※※
「上にカフェラウンジがあるみたいだから、ちょっと寄ってみましょう」
手続きを終え、iQOSを手にした佐伯先輩はそう言うや否やエレベーターの方向へ歩き出した。
電子タバコの販売店にラウンジ……?と疑問を覚える俺だったが、エレベーターの扉が開き目に飛び込んできたのは、街中にあってもおかしくないようなモダンなカフェ。
「電子タバコ屋、とは一体……」
「驚いたでしょ?さあ、ここはお姉さんの奢りだから好きなものを注文していいのよ?」
「店員さんの受け売りでしょうが……しかも奢りって言っても『会員様とお連れ様は無料』って書かれてますし」
バレたか――とお茶目な顔をしてカウンターでコーヒーとお茶請けを受け取る佐伯先輩に続き、空きテーブルに座る。
「しかしこれ、完全にカフェとしてやっていけるレベルですよね……夜はアルコールまで無料みたいですし」
「今のご時世『タバコは悪』って風潮すらあるから、じゃないかしら?シェアを広げるためにここまでの投資をする価値がある、ということよね」
「業界も大変なんだなあ……」
向かいに座る佐伯先輩の手には買ったばかりのiQOS。
いつの間にやら加熱を行っていたようで、早速煙――人体に無害な水蒸気を燻ぶらせる。美人がやるとなかなか様になる仕草だ。口には出さないが。
「ちなみに紙巻は禁止だからね。ここ」
「そりゃそうでしょうよ」
……とはいえコーヒーを飲んでいる目の前でタバコのようなものをふかされると、どうにも吸いたくなってしまうのが喫煙者というものだ。
かといって、この場の勢いだけで決して安くもない電子タバコを買うという訳にもいかない。
つい佐伯先輩の手元に目線が寄せられるのを無心で逸らしていたら、向かいから笑い声が聞こえた。
「そんなに気になるんだったら貸してあげるわよ」
「いや、そもそも俺はメンソールはあんまり……」
「知ってるわよ……ほら」
佐伯先輩が指さした先には、小さな入れ物に並べられたヒートスティックの数々。「試飲用」……なるほど。
「至れり尽くせりってやつですねえ」
試飲用として陳列されているヒートスティックの中から、レギュラー味のスティックを手に取る。
メンソールがダメな人間はこの手の選択肢が狭まるのだ。致し方ない。
ヒートスティックを差し込み、加熱。温まるまで暫く待って早速一口。
あーー、うん。
まあ、電子タバコってこんなもんだわな。
つい得心がいかない微妙な顔をしてしまった俺を見て、まるで想像通りの反応だと言わんばかりに得意気な佐伯先輩が言った。
「大瀬崎君、この後まだ時間……あるかしら?」
※※※
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