第3話 斜陽のアイドル
佐伯先輩とのやり取りですっかり忘れてしまっていたが、荒れ狂うスマホのバイブが否応なしに俺を現実へ引き戻す。
止まらない通知はTwitterのものだ。昨晩した曲の宣伝が徐々に拡散されているらしい。迂闊だった。
反応を貰えるのはありがたいことだが、今はとてもゆっくりと返信できる状態ではない。通知を切ってポケットへ。
すっかり時間を使ってしまったので、昼休みで混む前に食堂に行っておこうか……と喫煙所を出たところでスマホが震えた。
Twitterでもなく、LINEでもない、あまり覚えのないパターンのバイブが示していたのは――
「メール…………?」
※※※
昼休み前で人がまばらな食堂の席につき、受信したメールを確認する。
連絡手段と言えばメッセージが主流になり、長らく触っていなかったメールアプリを立ちあげると通知の通り1件のメールが。
その中身は、あまりにも馴染みのない恐ろしく事務的な長文。そして何よりも、差出人の名前があまりにも――
「おはよう、有名人」
不意に声をかけられ、つい反射的にスマホを隠す。
「健二かよ……驚かすな。それにもうおはようというには遅いぞ」
「まだ起き上がってから30分も経ってないからな。誤差だ……エロサイトか?」
熊のような巨体で目の前に座ったのは遅刻魔の友人、
やれ新作グッズだ、やれイベントで遠征だととにかくアグレッシブなオタク友達ではあるが、その無尽蔵な活動資金の代償としてバイトの三重掛け持ちを強いられている社畜学生である。
「まさか……ネットの拡散力ってのに打ちひしがてれただけだよ」
なんだ面白くない、とでも言いたげに自分のスマホに目を落とし、食堂最安値の具なしラーメンを啜る健二。
「想像以上だったみたいじゃないか。トレンドランキングでもちょくちょく名前が上がっているぞ?イブキ大先生?」
顔を上げ、おちょくるような顔で言うが、こちらとしては天狗になるどころか実感もなく困惑しているというのが正直なところだ。
そして『イブキ』というのは俺のペンネームである。現実でその名で呼ぶのはやめてくれ。
――などと非難めいた視線を送っていると、健二の箸が止まってスマホの画面に釘付けになっていることに気づいた。
「……どした?」
「『
―――――ッッッ!!!
つい吹き出しそうになった味噌汁をなんとか胃の中に押し流す。
大丈夫だ大瀬崎悠斗。平常心だ。お前なら出来る。
白鳥香澄――つい2年くらい前に大ブレイクして一世を風靡した元アイドル。
俺はアイドルについて詳しくないからよく知らないのだが、契約のいざこざやら彼女自身の事情やら噂がまことしやかに囁かれる中アイドルを電撃引退。不定期にソロ活動を行っていたようだが人気も随分下火となり、最近はめっきり名前も聞かなくなってしまった……ついさっきまでは。
突然届いた身に覚えのないビジネスメール。
げんなりしながら読み進めると、目を引いたのは「楽曲提供」の4文字。信じられないことに、作曲の依頼が来たのだ。
そして更に信じられないことに――その末尾に記されてた差出人の名前こそが「白鳥香澄」だったのである。
※※※
落ち目とはいえ、正に雲の上の存在を名乗るメール……当然イタズラだと思った。だがイタズラにしては手が込みすぎているのだ。
メールアドレスは曲を投稿したアカウントのプロフィール欄の下の方に小さく――書いた自分でさえ忘れていたほどに目立たない書き方をしていた。
それにいくらイタズラにしても、あの「白鳥香澄」を名乗るのは流石に無理があるだろう。
そのうえ連絡先だと書かれていた携帯の番号はごく一般的なケータイ番号である。電話詐欺と断定することも出来ない。
そして極めつけは、ついさっきもたらされた『白鳥香澄活動再開』の一報。
あの元トップアイドルが活動の場をYouTubeに移し、ユーチューバーとして再出発するというのだ。
そのために作曲の依頼先を探す、という可能性は……都合のいい話とはいえ、不思議ではないだろう。
「悠斗くん〜?……心ここに在らずって感じだね」
「昼からずっとこんな感じだ。放っておいてやれ」
昼の講義が始まる前、総一郎が様子を気にかけてくれたようだが申し訳ないがそれに返答できる気力は無かった。
自分の曲が予想もしないくらい大々的に拡散――いわゆる「バズってる」状態になった上に白鳥香澄を名乗る人物からの作曲の依頼メール。
まるで都合のいい妄想かのような出来事に立て続けに遭遇した俺の身に思考能力が追いつかないのは、致し方ないと思う。
この日一日は考えても考えても内心の逡巡は止まることはなく、ただただ時間だけが過ぎていった。
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