第2話 喫煙所の女

 講義と講義の間に空いた一コマほど時間を持て余すものは無いだろう。


 90分という時間は少し早いランチと洒落込むにはやや長く、ガッツリと趣味に打ち込むには足りない、いささか中途半端な空き時間なのである。

 世の中の学生諸君は一体どうしているのか、甚だ疑問である。


 こういう時に頼れる総一郎は2限の講義を取っていて不在。健二は昼明けの3限まで出てこないだろう。


 ――端的に言うとぼっちなのである。


 仕方ない、とりあえず一限で課された製図の課題――当然90分程度で終わるものではない――にでも手をつけるかと立ち上がり、


「うーーー……ん」


 体をほぐす感覚が気持ちいい。が、先程の動揺が収まることはなかった。

 こんな状況で製図のような細かい作業に集中できるはずもなく、向かった先は――

 


※※※



(こういう時は一服するに限るよなあ……)


 向かった先は校内でも随分少なくなった喫煙所。この時間は講義中の学生も居るからかそう混み合うことは無いのだ。


 果たして目的地の方を見てみると、座り込んでスマホゲームに勤しんでる2人組と一人の女性。

 喫煙所に入った瞬間に目が合った2人組は、気まずそうに撤収していった……またか。


 このヤンキー紛いのツリ目と煙草という組み合わせはどうやらビジュアル的に最悪なようで、目が合った瞬間そそくさと火を消して喫煙所を去っていく学生を見たのは一度や二度どころの話ではない。


 目が合ったところで動じないのはこの様子をニヤニヤと笑いながら見ている黒髪の女……佐伯結花さえきゆいかくらいのものだろう。


 佐伯結花はひとつ上の学年に在籍する女生徒で、所謂工学部の「姫」である。


 圧倒的に男子が多い工学部の中で女子――それも長い黒髪の正統的な美少女――が居るのだ。それはさぞかし持て囃されるだろう。

 清楚な見た目とは裏腹に愛嬌があり人懐っこい彼女の性格もあってか、一つ下であるはずのうちの学年にまでその名を轟かしているのである。大したもんだ。


「あら、誰かと思ったら大瀬崎くんじゃない。眼力は相変わらずのお手並みね」


 優雅に手にしていたマールボロ・メンソールマルメンから口を離して最初の一言がこれである。

 こいつ…………。


 同学年の中でも腫れ物扱いされている俺と、ひとつ上の「姫」。

 我ながら住む世界が違うとは思うが、ひょんなことから姫――佐伯先輩と知り合い、こうして顔を突き合わせる度に軽口を叩き合える関係となってしまった。

 傍から見ると奇妙な光景なのかもしれない。尤も――


「笑えないお世辞ありがとうございます、佐伯先輩。今日は「お供」の皆さんはお休みなんですか?」

「お生憎様、喫煙所に入り浸るようなガラの悪い友人は持ち合わせていないのよ」


 ……一体どの口が言うのだと問い詰めたい。


 佐伯結花は男子に囲まれた自身の立ち位置を「理解している」。

 数少ない女子生徒である彼女自身がいかに快適に学生生活を謳歌するか……その答えが長く美しい黒髪であり、愛嬌のある性格であり、その結果が常に隣にいる「お供」の男子生徒達なのだろう。


 だが、ここで出会う佐伯先輩は無表情でタバコを咥え、口を開けば一転生き生きと人をおちょくり……別人が憑依したのかと疑うほど豹変する。


 それはまるで「お前は着飾った自分を見せる必要のないどうでもいい他人だ」とでも言わんばかりに。

けれども同時に、彼女は決して他人を見た目だけで評価したりはしない人間である。


「なるほど、でもガラの悪い先輩が言うと説得力がありませんね」


 憎まれ口を叩きながらも、俺はそんな佐伯先輩のことを嫌いにはなれなかった。



※※※



「ところで大瀬崎くん」

「……なんでしょう佐伯先輩」


 交わす言葉もなくなり、手元のスマホで時事ニュースを調べていた俺に佐伯先輩が声をかけてきた。

 ……大概こういう時はろくな話ではないので少し身構える。


「あなた、1限は製図の授業取ってるのよね。山県やまがた教授の」

「そうですね。先輩の時から変わっていないなら、課題重視の割にとんでもない図面を書かせる山県教授です」


 製図の授業で教鞭を執る山県教授は、かつて某重工業系企業で設計を担当していた技師だったと聞く。

 相当量の知識や経験があるようだが、如何せん癖のある人でその課題の難易度は凄まじい。しかも定期テストが無く課題評価100%である製図の授業において、だ。


「だったら話は早いわね。その山県教授の出す課題の解答……欲しいと思わない?」


 佐伯先輩の提案につい言葉が詰まる。

 この人が俺に対して一方的にメリットのある話を持ちかけてくるだろうか。

 ……答えは否。しかも山県教授のレポートとくれば、何かしらとんでもない対価を要求してくるはず――


「そんな引きつった顔しないでよ」


 ちょっと拗ねたように頬を膨らまして佐伯先輩が言う。


「……要求はなんですか?」

「最近電子タバコって流行りじゃない?駅前にショップがあるらしいから試してみたいなーって」

「いつも一緒に居る先輩方にお願いしてくださいよ」

「ガラの悪い友人は持ち合わせていないと言ったはずだけど?」

「俺と一緒に居ると変な目で見られますよ」

「変な男に絡まれるよりはよっぽど良いわね」

「……電子タバコの旬にはちょっと乗り遅れてる気がしますが」

「細かいことを気にしない――それともレポートの写しは不要……ということでいいかしら?」

「滅相もございません」


 課題の存在をチラつかされたので即座に従順の意を表明。せっかくの機会を逃してなるものか。


「じゃあ交渉成立ってことで〜。時間と集合場所はまた追って連絡するわね」


 と言うが否やさっさと喫煙所から出ていく佐伯先輩。……追って連絡も何もお互いに連絡先を知らないはずなのだが。

 どうしたもんかとため息をついたあと、灰を捨てようと灰皿に目線を下げる。


「…………してやられた」


そこには、佐伯先輩のメッセージアプリのIDと思われる文字が書かれたタバコの空き箱。

 こんなものが用意されているということは……最初から先輩の掌の上で踊らされていたようだ。



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