第17話 美月と凪子
初めて美月を見たのは、夏休みのラジオ体操の時だった。
周囲の同級生たちが小麦色に肌を焼いている中、真っ白な肌をした美月は凪子の目を引いた。
とてもおとなしそうに見える彼女は、ひどくつまらなさそうにラジオ体操をこなしており、凪子にはその姿がとても新鮮に、まるで知らない世界の生き物のように思えた。
「ねえ、どうしてそんなに楽しくなさそうなの?」
ラジオ体操が終わってから早々に帰ろうとする美月の腕を凪子は無理やりつかんでそう尋ねた。夏だというのに、メロン色をしたポロシャツから伸びた腕はひんやりとしていて、凪子は危うく手を引っ込めそうになったくらいだった。
凪子に話しかけられた美月はきょとんとして、首をかしげていたが、
「あっ、ナギコちゃんでしょ。」
と言った。
空気が少しだけゆれるような、鈴のような声だった。
「隣のクラスだけど、元気な子だから知ってた。」
そう言って笑った美月は先ほどまでのつまらなさそうさとは打って変わった表情で、凪子は思わず心惹かれてしまったのだった。
それから凪子は美月とよく遊ぶようになった。というより、凪子は周囲となじめていない美月に対して、私が遊んであげなければならないという責任感を感じていた。近所でも友達が多く姉御肌であった凪子にはそうすることがごく自然のように感じられたのだった。
美月は本を読むのが好きだった。凪子は全く本を読むタイプではなかったが、美月が聞かせてくれる本の世界は好きだった。家からしばらく歩いたスーパーの裏は海に面しており、殺風景な遊歩道が設けられていた。そこから海を眺めながら、美月の話を聞くのが凪子はお気に入りだった。
「凪子と美月って、仲良いの意外だよね。」
中学生に入り、ソフトボール部に入った凪子と部活に入らず図書委員として毎日放課後を図書室で過ごしていた美月が一緒に食事をしているのを見た他の友人に凪子はよくそういう風に言われていた。
それを言われるたびに凪子は少しムッとした。
中学生になってから、美月は眼鏡をかけ始めた。ただでさえおとなしい印象を与える美月は、眼鏡をかけてさらに地味に見えた。
美月が見た目通りの女の子ではないということを凪子だけが知っていた。眼鏡をはずし、後ろで結っている髪の毛をおろし、楽しそうに話す美月に凪子は年頃になると妙にどぎまぎしていた。眼鏡をはずした美月の眼が薄いグレーで綺麗なこと、さらさらとした髪の毛が夕陽を受けてキラキラと輝くこと、美月の話す凪子の知らない世界の話を誰にも知らせたくないような気がしていた。
それはおそらく思春期の、一過性のものだった。
一過性のものにさせてくれなかったのは美月だ、と凪子は常々思っている。それは中学二年生の秋のことで、その日は十月にしては暑く、凪子は歩きながら少し汗ばんでいたことを覚えている。
「私、凪子のこと好きよ。」
美月は突然そう言った。
二人で一緒に帰るときに、分かれ道になる大きな長い坂の前だった。夕方で、暗くなろうと空が準備しているくらいの時間だった。
ちょうどその頃は、クラスで男子同士が仲がいいとあいつらホモだ!と囃し立てられるような時期だった。
あの人たちホモなんだって、と凪子が軽口を言った時に、美月が、それでも認めている国もあるくらいなんだから世界的に見ればそんなにめずらしいことでもないのかもね、と返していたのを思い出していた。
認められている国なんてあるのか、相変わらず美月は物知りだなあ、と凪子は思っていたが、きっとその時の美月の心中はかなり微妙な感情で満ちていたのだろう。そういった様子をおくびにも出さないのが美月らしくもあった。
「好きって…。」
凪子はすぐにその言葉に反応することができなかった。女の子同士で好きなんておかしいよ、と言い切ることができなかったのだった。なぜなら凪子も、美月のことを独り占めしたいという感情を抱えていたから。
「まあ、どうにかしようとか思ってるわけじゃないんだけど。別に、たまたま好きになった人が女だっただけで。」
そういって美月は、とても自然に、触れるか触れないかくらいのキスを凪子にした。
ふわりと風がかすめるくらいのキス。それでも、地面が上にあるのか下にあるのか分からなくなるくらい、ぐるぐると世界が回るような、そんな激しい気持ちになるようなキス。
帰り道、凪子は初めて美月の腕に触れたときのことを思い出していた。
あのひんやりとした腕の感触と、唇のかすかに温かかった感触を交互に思い出していた。最初からきっと、美月を拒否することができるなんて選択肢はなかったのだろう。
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