第16話 テキーラサンライズ
最初からそう言う男だと思っていた、そう言った凪子の顔を直樹はもう一度思い浮かべていた。
様々な報道で妻の不倫に激昂した夫が妻を殺害した事件として取り上げられていた臣吾の事件は注目を集めていた。ネットには考察するようなサイトも散見されているくらいだった。
しかし、『血の繋がらない娘がいた』という件について報道しているメディアは今のところなかった。臣吾から『ひなとの血が繋がっていなかった』という報告は受けたが、その後連絡が途切れてから直樹はその件についても、また、彼らの今後についても知らぬままだったのである。
ただ一つ、DNA鑑定の件について、直樹には気になる点があった。
それについて気が付かなかったことに、直樹は後悔していた。あるいはそれに直樹がもっと早く気が付いていれば、このようなことにはなっていなかったのかもしれない、と後悔する念すらあった。
「マスター、DNA鑑定ってしたことある?」
行きつけのバーカウンターでスコッチをちびちびと飲みながら直樹は尋ねた。
狭い入口から想像されるよりはやや広く薄暗い店内には、ドライフラワーがところどころに飾ってあった。臣吾との面会をしてからまっすぐ家に帰るつもりになれなかった直樹は何となくここに足を運んだのだった。
「いやあないねえ。ある人なんてそうそういないんじゃないですかねえ。」
直樹よりも少し若いマスターは、カクテルを作りながらそう答える。
「そうだよなあ。」
カウンターの端に座った直樹は、逆の端に座っているカップルに目を向ける。二人とも二十代くらいか、楽しそうにカクテルを楽しんでいるようだった。一つ席を空けて隣に座っている男女もまた楽しそうに話を弾ませている。
直樹自身、結婚はまだしていなかった。人並みの付き合いはしてきたが、フリーのライターの身で誰かと結婚するということはまだ考えられないし、なにより自分に結婚が向いている気もしなかったためだった。
ふと、隣の席に座るカップルに出されたカクテルに目が留まる。オレンジのグラデーションが何とも綺麗だ。
テキーラサンライズ…テキーラをベースとした、朝焼けをイメージしたそのカクテルを見ながら、直樹は、なぜだか夕焼けと夜の間の色をしたクリームソーダとその色に染まった美月の弟である純の唇を思い出していた。
なぜ今純のことを思い出すのか、直樹は自分で自分を理解することができなかった。
マナーモードにしていたスマートフォンが着信を知らせていることに気が付いたのもその時だった。
知らない番号からの着信だった。しかし、直樹にはそれが誰からの連絡なのか容易に想像がついていた。
「もしもし。」
少し低い、耳に優しく響く声がした。
「話したいことがあるの。もしかするともう気が付いていることかもしれないけれど。」
「俺も」
直樹は食い気味に返した。
「確かめたいことがあるんだ。」
奇遇ね、と純は笑った。
煙草の煙を吐き出しながら、直樹はぼんやりと空を見上げていた。
都会の空には星が見えない。真っ暗な闇を見つめながら、直樹はぼんやりと様々なことに思いを巡らせる。
「おまたせ。」
そう言って現れた純は、あの日とは違うワンピースを身にまとっていた。黒い、袖の部分がシアー素材で透けている、細かなキラキラの入ったワンピース。
「また会うとは思わなかったな。」
直樹はそう言って煙草を携帯灰皿にねじ込んだ。
「そうね。でも私もあなたに聞きたいことがあるの。海までドライブしましょうよ。そこに車を停めてきたわ。」
純は直樹の返事も待たず歩き始めた。
待ち合わせ場所にした公園の正面に、赤いマツダロードスターが停めてあるのが見えた。
「ずいぶんいい車に乗ってるんだな。」
「独身だと貯金ばかり増えるから、こうやって経済を回してあげているのよ。」
純はこともなげにそう言った。
同じ独身のわりに全く金の貯まらない直樹には耳が痛かった。
純の車に二人で乗り込み、直樹はすぐに口を開いた。
「あのとき、俺の勘は外れてたんだ。」
純は何も言わなかった。ただ、ゆっくりと車を発進させただけだった。
週刊誌やテレビ、新聞が最後までひなの存在について報道しなかった理由について直樹はずっと考えていた。
いや、娘がいることは報道している媒体もあった。その娘と臣吾との血縁関係について言及しているものはなかったというところが、直樹が不思議でならなかったことだった。
「たぶん、ひなちゃんと臣吾の血は繋がっていたんだ。きちんと。あの娘は、臣吾の娘だったんだ。」
焚きつけてしまった一年ほど前の自分の発言を苦々しく思い出しながら直樹は言った。
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