第15話 対話

 「久しぶり。」

 震える声でそう言いながら、直樹は臣吾を恐る恐る見つめる。

 思ったよりもこざっぱりしている臣吾を見て、少しだけほっとする。まともに話もできそうだった。

 しかし、その期待は次の一言によって一瞬にして崩れ去った。

 「確かに久しぶりね…みんなで花火を見て以来、かしら?」

 臣吾はにこりと笑った。心神喪失状態、と書かれていた新聞の記事が頭をよぎる。心神喪失状態とは、こういうことだったのか?そんなことどこも報道していなかったのに。

 目の前にいる臣吾は、臣吾であり、臣吾ではなかった。

 直樹はすぐに美月に対して話しかけるようにシフトした。

 美月であれ臣吾であれ、真実を知っていることには違いない。もし今目の前にいるのが臣吾の皮をかぶった美月だとしても、彼女はきっと真実を知っているはずなのだからうまく誘導すればいいだけの話だ。

 「ああ、そうだね。あの時は無礼なことを言ってごめんな。」

 直樹はそう言った。もちろん、ひなが臣吾に似ていないという指摘をした時の話だ。

 「本当よ。びっくりしたわ。」

 臣吾は少し怒ったように言う。演技なのかもしれないという可能性も捨てきれないが、どちらかというと臣吾の心がここまで壊れてしまったと考える方が自然ではあった。

 「でもさ、あながち間違いでもないんじゃないの?」

 直樹は挑発するように言った。これが美月なら、こんな挑発には乗ってこない。美月は、穏やかで、そして強かだった。

 「またそんなこと言ってる。だから私、直樹さんって苦手。」

 肩をすくめて臣吾、いや、美月は言った。

 美月を殺してしまったばかりに、彼女がいないことを自分が彼女になり切ることで補おうとでもしているのか、あるいは、狂言者を演じているのか、直樹にはやはり判断が付きかねていた。

 「そんなこと言って、不倫してたんだろ?ひなちゃんの父親は誰なんだよ。」

 「また、その話。みーんな、そればっかり。ひなは臣吾さんの子よ。ほら、鼻の形なんてそっくりだったでしょ。」

 とぼけているのか、何なのか。しかし、今目の前にした臣吾は今まで見た中で一番魅力的な雰囲気をまとっているのが、直樹には不思議で仕方なかった。

 「そうかな。DNA鑑定の結果だってあったんでしょ?」

 直樹はさらに挑発するように言った。

 「何を知っているのよ。」

 いらだった声で臣吾はそう言った。

 「お前が相談してきたんじゃないか。忘れたのか?」

 何とかして『臣吾』を引き出さなければならない、と直樹は考えていた。

 「何のこと?」

 とぼけるように『美月』は言った。

 らちが明かない…直樹の心の中には焦りも生じていた。

 話を変えよう、と直樹は考える。美月を動揺させる必要があった。とぼけることもできないであろう、彼女の何か痛いところを突かなければ…。

 「純くんに、会ったよ。」

 直樹は苦し紛れに純の名前を出した。

 「あら。あの子、元気だった?最近会ってなかったし、心配だったのよね。」

 「すっかり女性だったよ。最初は分からなかった。」

 「そうなの。」

 さして興味のなさそうな顔を彼女はした。

 ああ、ハズレだ。直樹は残念な気持ちがしていた。こうなれば、手当たり次第に名前を出していくしかなかった。

 「あとは、凪子さんにも会ったけど…。」

 「凪子?」

 直樹は、『美月』の声色が変わるのを感じた。

 「ああ。きみの同級生の。」

 「凪子に、会ったの。」

 純の時とは明らかに違う雰囲気を直樹は感じ取っていた。

 「そろそろ時間です。」

 隣にいた男が声をかける。

 「凪子は、元気だったの?」

 なおも『美月』はそう問いかけてくる。

 連れて行かれる美月は話したりないという雰囲気だった。先ほどとは全く違う彼女に、直樹は戸惑っていた。

 あのただのおばちゃんに見えたあの女が鍵を握っていたのか…直樹は悔しさで唇を噛んでいた。

 あるいはそれは、『臣吾』からのメッセージなのかもしれなかった。

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