第13話 怒り

 紫色のクリームソーダを飲みながら、

 「聞きたいことがあれば、どうぞ。」

 と言った純に、何を問うべきか、直樹は考えあぐねていた。まずは、と最も知りたいことを問うことにした。

 「美月さんの不倫相手に心当たりはありますか。もしくは、ひなちゃんの父親、とでもいうのかな。」

 核心をいきなりついた。まどろっこしいやり取りは、純を相手にするべきではないと感じていた。

 二人の間の空気が明確に変わったのを、直樹は感じていた。

 ある週刊誌では、この純本人を不倫相手とするような記事もあった。それが本当であれば、この質問に正直に答えてくれるとは限らないが、聞かないわけにもいかなかった。

 その質問に、純はこう答えた。

 「不倫相手は知っている。でも、父親は知らない。」

 直樹は鳥肌が立つのを感じていた。その鳥肌が、この発言によるものなのか、効きすぎた冷房によるものなのかは考えないようにすることにした。

 「それは誰なんですか?」

 興奮してすぐに次を聞こうとする直樹に、落ち着けというように純はジェスチャーした。

 「臣吾さんも不倫相手を探し当てるまでにかなり時間がかかったと思うわ。そして、大抵の週刊誌に乗っている予想は外れ。」

 純は、直樹をからかっているようだった。

 「きちんと会話をしてくれ。答えになってない。」

 やはり明確な答えをしてくれない純に対して少し憤慨して、直樹は純を責めた。

 「私はあなたのためを思っているのよ。あなたがこの事件を追っているのは、友人を救いたいとかいう大義名分じゃなくて実際は野次馬根性でしょう。全部ここで教えてもらったら楽しさも半減するんじゃない?」

 肩をすくめて純は言う。

 たしかに、はたからみれば直樹がしていることはおせっかいで野次馬でしかない。

 「それは…。」

 返す言葉もない。

 「確かに臣吾さんはクラミジア感染症で妻の不倫を疑い、一年間をかけて証拠を集めようとしたけれど結局相手が分からずむしゃくしゃして殺した、なんていう無茶苦茶な証言をしている。これが嘘であることくらい明確よね。」

 直樹はうなずいた。臣吾が警察で話したらしい内容は、内容のないものだった。そんな理由で人を一人殺すような人間がいるのか?というような。そこが世間の興味を駆り立ててもいた。

 だからこそ直樹は真実を明らかにしたいと考えたのだった。

 「話を変えていい?私と姉の話。」

 一応断ったものの、直樹に拒否権がないことは明らかだった。

 「性別に違和感を覚えたのは、中学生のころだったの。制服、あれがものすごくストレスだった。型に押しはめられて、自分が男であることを自覚させられた。」

 純は遠い目をしている。

 「二つ上の、姉の着ているセーラー服が着たくて、しょうがなかった。だから、着てやったの。姉が休日に遊びに行っている時に。何度も。」

 直樹は、中学生の男子がセーラー服を何度も着る姿を想像する。それは切なく、悲しい情景のように思えた。

 「すぐにばれたみたいだけど、姉は何も言わなかった。何か声を掛けられるよりずっと気が楽だったことを覚えているわ。うちは、両親が厳しかったから、そんなことがばれたら放り出されていたと思うし。」

 結婚式で見た美月の父親は、確か中学の教頭をしていると言っていた気がする。お堅そうな顔をしていた。

 「大学生になるときに、女の子になりたい、っていう相談を初めてしたのも姉だった。姉は費用面だとかこれからの社会で生きていくうえでの法律なんかを調べてくれた。」

 そこまでしてくれた姉が死んでしまった、というのに純は冷静に話を進めていくことに、直樹は違和感を感じた。

 「私が今、この姿でここにいることができるのは姉のおかげ。」

 純はそう言って目を伏せた。長いまつげが、影を落とす。

 美月はなぜ弟に対してそんなに親身になっていたのか?直樹は必死に思考を巡らせるが、なかなか納得する答えは出てこない。

 美月は、弟を愛していたのか?

 「不倫相手は、君じゃないのか。」

 直樹は純にストレートな疑問をぶつけた。これが失礼に当たる、だなんてことはどうでもよかった。うっとりした顔で美月のことを話す目の前の女に、この疑問をぶつけるのはごく自然のことのように思えた。

 「…びっくりした。あなた、何も見えてないのね。」

 純は薄い微笑みを浮かべながら、そう言った。

 ひなの父親、移された性病、そして性転換した弟に対する親身すぎる対応。殺されてしまった美月。不倫相手を知っている風なのに、明言しない弟。紫色のクリームソーダ。

 「結婚式で見かけたとき、タイプだと思ったんだけど…見込み違いだったみたいね。」

 クリームソーダの上にチェリーを残したまま去った純に、直樹はしばらく気が付かなかった。純に対しての怒りが直樹を支配してしまっていたためだった。

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