第12話 弟
純と会うことになった土曜日、直樹は少し緊張していた。結婚式で見た純の顔を、直樹は覚えていたからだ。
色が白く、中性的な雰囲気が特徴的だった。
見た目は美月に似ていなかったが、どこか儚げなその雰囲気は共通するものがあった、と記憶している。
待ち合わせ場所である喫茶店は、田舎の海沿いにあった。
車を持っていない直樹は、電車を乗り継いでここまで来た。さびれた無人駅には人の姿はなく、そこから歩いてくる間も、すれ違った人間よりも猫の方が数が多かったのではないかと思うほどだった。
ガラス窓に金色で店名が描いてあるその喫茶店の、暗い色の木でできた入り口を直樹は押した。やや重みのあるその戸を開けると、冷気が直樹の顔に吹き込んできた。
汗で張り付いた半袖のシャツが冷えて少し体を震わせる。
「いらっしゃいませ。」
その喫茶店の主人と思われる男が、軽く頭を下げた。直樹は頭を下げ、純らしき人物がいないことを確認してから入り口から一番近いテーブル席に腰を下ろした。
姉を殺害した男の友人に、純はどうして会う気になったのか、理由が分からない以上、迂闊なことはできなかった。
カラン、と入り口の鐘が音を鳴らした。
振り返ると、黒い髪の毛を鎖骨あたりまで伸ばした女が店に入ってきたところだった。白いノースリーブのワンピースを着て、赤い口紅を引いたその女は、どこか妖艶な雰囲気を醸しており、なぜか直樹はまっすぐに見ることができなかった。
「立石さん。」
そう言った女の声は、直樹が予想するよりもずっと低かった。
しかし、その低い声でさえも彼女の魅力となっているように直樹には感じられていた。
「浜野純です。」
そう言って女は直樹の向かいに腰を下ろした。
美月の弟であるはずの浜野純が、なぜ女性の恰好をしているのか、理由は見当もつかないが、なぜか直樹はそれをあっさりと受け入れてしまっていた。
「立石直樹です。」
直樹はそう言って名刺を机の上に置いた。
「何か頼みましょうか。私は、クリームソーダをいただこうかしら。おいしいのよ。」
純はそう言って右手を静かに上げた。
ノースリーブからのぞく華奢な腕は、たしかに以前見たその印象と一致していた。
「俺は、コーヒーをブラックで。」
白いエプロンをつけた大学生らしいウェイトレスの女の子に、直樹は注文する。
「クリームソーダと、コーヒーブラックですね。クリームソーダは、いつものお味でいいですか?」
女の子は純にそう確認し、純が頷くのを確認すると、カウンターの中へと戻っていった。
直樹は、直感で、この浜野純という人物が美月が死んでしまった件について何かを知っていることを感じ取っていた。
「…お姉さんのことは、本当に残念で…。」
何とか絞り出した直樹の言葉を、純は表情を変えず会釈をして受け取った。
「結婚式で、一度お会いしましたよね。」
そう言ってから純は運ばれてきた水を口に含み、飲み込んだ。飲み込むまでというなんでもない一連の流れに思わず目を奪われる。
「ああ、覚えてくれていたんですね。俺もよく覚えています。」
今の姿にはびっくりしましたけど、と心の中で付け足す。そのことについてどう問えばいいのか、あるいはどうするのが正解なのか直樹にはわからないために、迂闊に口に出すことがはばかられた。
「ふふ。びっくりしたでしょう、久しぶりに見たら性別が変わっているなんて。」
純はいたずらっぽく言った。
「ずっと性別に違和感があったの。性転換手術を受けた次の日に姉が死んだっていう知らせを受けたんです。」
返す言葉のない直樹のこわばった顔にはお構いなしに、純は話し続けた。
「姉は私のいい理解者でした。一部の週刊誌では、姉の不倫相手が私なんじゃないかという話もあるでしょう。まあ、違うことは今見てわかっていただけたとは思うのだけれど…今日はそれを知ってもらいたくてここに来たの。」
そこまで話したところで、ウェイトレスが飲み物を運んでくる。
「ごゆっくりどうぞ。」
そういっておかれたクリームソーダの色を見て、直樹は少し驚く。
夕焼けから夜へと移り変わるときの、あの絶妙な紫色のクリームソーダ。透き通るような、それでいて深い紫色の液体を純は吸った。
「グレープ味なの。珍しいでしょ。」
そう言った純の唇は、やや紫色に染まっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます