第54話 異空間の彼方より
スターシード号 舞衣の部屋 ――
「それじゃ、シアターオープンですね。これをどうぞ」と言って、ジョンは黒いゴーグルのようなものを舞衣の膝の上に置いた。それは軍用機用ヘルメットの透明シールド部分だけを取り外したようなフォルムで、全体に湾曲してストラップなどはなく、どちらかと言えばクッション付きの分厚いアイマスクのような形をしていた。なんだか自慢げに、ジョンは言った。「視野角が、横240度、縦150度あります。人間の視野角を越えるワイドビジョンです。臨場感満点の高級機なんですよ」
「ふ~ん……、これもBMI(ブレイン・マシン・インターフェース)デバイスなの?」と、舞衣。
「いいえ。脳の視覚中枢へのダイレクトアクセスは禁止されています。ゴーグル型のディスプレイ……、地球にもありますよね? あれです」
「なんでBMIじゃないの?」と言って、その黒いデバイスを彼女は手に取った。そして、しげしげ眺めながら訊いた。「味覚を伝える〈官能イメージファイル〉はあったよね? あれは脳に直接アクセスするんじゃなかったっけ?」
「テイスティング・リプロダクターですね。その通りです……」
「わかった……」 クイズの答えを見つけたように、舞衣は目を輝かせた。「正常な認知を妨げて記憶を混濁させるから、じゃない?」
「当たりです」と、頷いてジョン。新製品の取扱方法を説明する電気店員のように言った。
「BMIデバイスには厳しい制約があるのです。視覚、触覚の知覚領域と、記憶領域へのアクセスは禁止ですね。視覚、触覚からの不正な情報は、確度の高い情報としてヒトの記憶形成に深刻な影響を与えます。だから視覚情報は、目を通したものに限るわけです。もちろん、視覚障碍の方は別ですけれど……。さらに記憶中枢へのダイレクトアクセスは、書き込み洗脳やプライバシー盗出に利用されかねません。だから、医療機関などを除き絶対禁止です。それに対して、聴覚・嗅覚・味覚は、自覚的であれば大丈夫とされていますね」
「やっぱり、脳への影響を考えると、慎重にならざるを得ないよね」と言いながら、舞衣は黒いゴーグルを顔に押し当てた。それはストラップなどなくても、吸い付くように顔に密着した。
「昔は惚れ薬の代わりに使われて、問題になったこともあったみたいです……」と、可笑しそうにジョン。禁止されてなければ何でもアリは、地球に限らないようである。
「すごいね、圧迫感がない。でも、真っ暗……」と、舞衣はつぶやいた。
「どうですか? 違和感があればいってください」
「違和感はないけど……」と言いかけた、その時だった。
「はぁ!」
舞衣は声を上げた。突然目の前に、曇りない宇宙の景色が広がった。無数に輝く星の海に、思わず息が止まる――
「すごい……。こんなの初めて……」 それは隙間ひとつない全天の高精細映像だった。そのリアリティに彼女は目を奪われ、あまりの臨場感に言葉をなくした。
「分散開口式撮像システム対応の超高精細VRディスプレイです。全天球高規格映像を再生できるデバイスなんですよ。上も下も全部、360度カバーしてますから、自分の体も透過して見えるはずです」
「あれ、何で? タマちゃんがいるよ」と、舞衣。
「エヘヘ。気になる人は、中に映り込むんですよ~」
「う~~ん? 誰のこと?」と、やぶにらみ。
これは合成画像なのだろう。彼女の視界の中で、まん丸のサポートロイドが照れくさそうに笑っていた。知らぬ顔で、ジョンは言った。
「見てください。これは〈向こう側の宇宙〉の映像です。あれ、あそこに点滅して見える粒々が軍艦です。前衛軍の艦隊ですよ」
見ると、濃紺の宇宙空間に無数の光点が、環状となってゆっくり点滅していた。それはあたかも、ドローンの編隊が繰り広げる夜空のエアショーだった。それが幾重にも重なって、チューブ状に進路エリアを示していたのである。その時、ジョンを照らす淡い明かりに気づいて、舞衣は後ろを振り向いた。
「ハァッ!」
振り向いて、ジョンは言った。
「ビックリしました? これが船団です」
―― くすんだ青黒い宇宙を背にした、金色に輝くおびただしい数の葉巻の群れ――
大洋を回遊する魚の群れにも似た宇宙船の大群が、舞衣の背後に迫っていた。右の後ろから近づく一隻の船が、撮影中のカメラを追い越そうとしている。それは近づいてもなお大きくなり、やがて画面の右半分を覆うほどになった。
「ワームホール突入に備えて、密集隊形を組んでいるんです」と、ジョンが言った。「こんなに近くで見ることって、普段はないんですけどね」
舞衣は目をこらした。葉巻型の船の表面はツルンとしていたが、それでもゆっくりと時計回りに回転していることがわかる。この自転による遠心力が、人工的な重力となるのだろう。
「あ、こっち。前衛軍のスクラム・シップですよ」
「スクラム・シップ?」と言って、舞衣は左側へ目をやった。
よく見ると、濃紺の宇宙迷彩色を施された飛翔体が近づいてきていた。
「アストロゲートの水先案内人ですよ、きっと」
その船は、一見すると柵のように見えた。先の尖った三角柱型の細長い船体が、鉛筆を並べたように十数本並び、それぞれが前後二カ所で繋がって横に広がっている。中央の船体が一番長く大きく、外側へ行くにつれて小型になった。よく見ると、これら戦闘艦の船体には、無数の
「普段はあのように
「そうなの……ねぇ、居住船は断面がまぁるくて、軍艦は三角おむすびなんだ」
「そうですね、大体そんな感じです」
「表面はツルンとしてるのね。映画だと、ものすごくゴチャゴチャしてるのに……」
「映画だとゴチャゴチャしてるんですか?」と言って、ジョンは不思議そうに眉をひねった。
ブーモが言った。「センサーも機材も、表に出しておく必要がないのです」と、ブーモが言った。「実際、外宇宙航行する時は、宇宙放射線が猛烈に強いとか、微少な
「ふ~ん……。あっ! なにあれ?」と、舞衣は指さした。「丸でも三角でもない……」
それはカメラの真正面から徐々に近づいて来ていた。否、カメラが徐々に近づいているのだった。すぐに舞衣は、その巨大さに気づいた。周囲に展開するスクラム・シップが、まるで水中遺跡の周りを泳ぐ小魚のように見えたからだった。
ジョンが言った。「十六角形です。あれだけですよ。丸や三角じゃないのは……」
「なにかの船なの?」
「あれは〈アストロゲート〉です」と、ブーモが言った。「強力な引力を使って
「もしかして、ワームホール? もう繋がっているの?」
「真ん中に鉛筆の芯のように見える場所がありますが、あの部分は軍艦が通り抜ける程度のワームホールを作ります。我々も、あのチャネルを通って太陽系まで来ました」
「でも、あれだと、ほかの船には狭いんじゃない?」
自慢げに、ブーモは言った。「まぁ、ご覧になっていて下さい。地球には他にも異星人が訪れているようですが、円盤型の探査機しか送れないとしたら、それはワームホール生成技術が我々に比べて未熟だからです。我々の異空間航行技術は、私たちの知る限り、ほかの誰の
その巨大な構造物は、ゆっくりと回転しながら、やがて外周部から青白い光を放ち始めた。
「始まりますよ」と、ジョンが言った。
舞衣はぐっと息を飲んだ。青白い光が増し、ふいに日輪のようなまぶしさが広がった。と同時に、まるで冷えた岩を押し破る溶岩のような赤い光が、シルエットとなった十六角形の断面から漏れ出した。
「たいへん。壊れる……」と、舞衣はつぶやいた。
「大丈夫です。あの船は、16のピースに分離するように出来ているんです」と、ブーモ。
「分離?」
「はい。同心円状に広がって、真ん中に形成される邂逅点の
その形はまさに、良く切れるチーズナイフによって切り分けられた、十六片のブリーチーズだった。それがあたかも輪舞するように、ゆっくり円を描きながら徐々に離れて広がってゆく。そのメカニズムを、ブーモは改めて補足説明した。
「はじめに、アストロゲートの内側に向けて、強力な人工引力をかけます。そうすると、内側の空間が引力でこじ開けられて、入り口となる〈
「信じられない……」と、舞衣はつぶやいた。
青白い光を引きながら、アストロゲートはゆっくりと広がっていった。それはまるで、稲妻を受けて走る車輪であり、光る魔方陣のようでもあった。濃紺の宇宙に神々しい光を放ちながら、その光輪は視界をはみ出すほどの大きさになった。
ジョンが声を上げた。
「ほら! マイさん、見えた。あの恒星、きっと太陽ですよ!」
「ええっ?」
地球人の舞衣にとって太陽は見慣れた星だが、意表を突かれて驚いてしまった。ハッとなって、思わずジョンをやぶにらみの舞衣。
「あれがそうなの?」
「え?……」
それでも彼女は身を乗り出した。なんと言おうと、別の宇宙からの光景である。アストロゲートに囲まれた空間が放射状に押しやられ、その中央に開いた漆黒の太陽系宇宙が、ゲートの回転と共に徐々に広がってゆく。その先で小豆ほどの大きさの星が、ひときわ明るい金色の光を放っていた。
「そ、そうですよ、きっと」と、なぜか動揺のジョン。「なにもなかったのに、突然現れました。あの明るさですし、火星からの見かけからすると、間違いないと思います。ね、ブーモ、そうだよね?」
「間違いありません」と、知らぬふりでブーモは言った。「太陽です。ワームホールが太陽系へと開かれたのです」
「……これが、ワームホール……」
オーロラのように波打つ虹色のトンネルと、ちりばめられたおびただしい数の星々――。この世のものとは思えない美しい光景を、彼女は言葉を忘れて見つめ続けた。
辺りを埋め尽くす船群を見回して舞衣は言った。
「実感、湧かなかったけど、いよいよ来るのね……」
彼女の表情は、いつしかこわばったものに変わっていた。宇宙船団の威容を目の当たりにしたことで、強い重圧が押し寄せてきたからだった。
「すぐそこまで、来ています」と、ブーモ。彼らの尺度では、二千万キロの彼方も『すぐそこ』だった。
「ねぇ、ブーモ。気になっていたんだけど」と、舞衣。これまで漠然とそのままにしていた疑問を、彼女は突かれたように口にした。「議長さん、私のことを『資料』と呼んでいたけど、その意味、教えてくれない? なんとなくわかった気でいたけど、ちゃんと知っておきたいのよ」
ふいに事務的な口調に変わって、ブーモは答えた。
「それは、これまでの説明と変りません」
「それだけじゃないでしょう?」と舞衣。重ねて訊いた。「スポークスマン、地球からの使節、公聴会の証人……、そういうのでなくなった地球人が、それでも船団へ行こうとすれば、あとは『資料』として行くしかないって……。それくらいのことしか聞いてないよ。けど、議長はあの時、『処分するには……』みたいなこと、いってた。それって、どういうことなの?」
即答するのが常のAIには珍しく、言葉を選びながらブーモは言った。
「お答えします。――つまり、一般的にそれは、『資料には人格が存在しない』ということであって、『人権が認められず法的に保護されることもない』ことを意味します。『スポークスマン』であるうちは、外国の使節あるいは外交官と同じ位置づけで、特恵的な地位と待遇が与えられるはずでした。しかし『資料』となると、それもないことになります」
「それじゃ、どうなるの? 例えば、調査が終わったあと……」
「調査それ自体は事情聴取が主となるでしょう。利用後の資料は、通常、〈保存〉、〈廃棄〉、または〈
不思議そうに、彼女は訊いた。
「記憶抹消? 記憶を消すの? ジェームズと会ってからこれまでの?」
「地球へ戻される場合はそうですが、そうはならないでしょう。船団内への放出となると、それ以前の記憶となるはずです」
「生まれてから、これまで?」
「地球での全記憶が、対象となる怖れがあります……」
人権が保障された国・日本の国民として、これまで暮らしてきた舞衣だった。人権が保障されないということが、どういうことなのか。彼女は今も、実感をもって理解できずにいた。
「それじゃ、『廃棄』は? もしかして、殺されるとか?」
「有害生命体と認定されればそうなります。けれども、マイさんがそうなることはあり得ません。ご安心下さい」
「それじゃ、動物園の
「法解釈をそのまま当てはめれば、そうなるリスクがあるということです。しかし、議長の発言から、別の可能性が想定されます」
「『高レベルな漂白をしておけ』という、あのこと? 秘密の秘書にしてくれるみたいだけど、つまり資料のあとは、〈奴隷〉ということなの? でもそれじゃ、純一さんのところへ戻れないんじゃない?」
いずれにせよ、その時点で純一が生きている保証はなかった。答えにくそうに、ブーモは言った。
「秘書云々は放出後のことでしょう。しかし、実際にどうなるかは、私たちにはわかりません」
「タマちゃん……」
舞衣の膝の上で、それまで黙って聞いていたジョンだった。目を合わせることもなく、彼は言った。
「隊長がマイさんを解放しようとしたのは、つまり、議長の話を
突き放したようなAIたちの反応だった。しかしそれ以上に、『スポークスマン』を外されたことで、これまで彼女が漠然と思い描いてきた外交的な
―― これが、運命に翻弄されるということなのか ――
『資料』、その言葉がもたらす足がすくむほどの恐怖を、彼女は初めて実感した。自ら望んだ結果とは言え、それを認識が甘かったからと一蹴するのは酷というほかない。
おびただしい数の宇宙船の群れは、金色に輝く恒星に向かいながら、隊形を維持したまま隊列を散開しつつあった。その神々しいばかりの映像を見つめていた舞衣だったが、彼女の瞳には、もはや何も映っていなかった。想像もしなかった不安が忍び寄ってくるのを、どうすることもできずにいたのである。
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