第54話 異空間の彼方より

 スターシード号・舞衣の部屋 ――

 

「それじゃ、シアターオープンですね」と言って、ジョンは舞衣の膝の上にちょこんと座った。

「ディスプレイを展開します。動かないで下さい」と、ブーモの声。

 とたんに壁のディスプレイが横に広がり、円を描くように舞衣の周囲を取り巻いた。と同時に、球体を形作るように、上へ下へとパネルがせり出した。一瞬にして辺りは真っ暗になり、満天の夜空もかくやと、内壁に無数の星々がきらめいた。

「すごい……。こんなの初めて……」 隙間ひとつない高精細映像に舞衣は目を奪われ、余りのリアリティに言葉をなくした。


「分散開口式撮像システム対応の全球型ディスプレイです。画像にひずみが少ない高規格映像ですけど、これって、それほどないんですよ。地球でいえば、IMAXシアターみたいなものかもしれませんね」

「タマちゃん、地球の映画、見たことあるの?」

「エヘヘ、ないです~」

 ジョンは照れくさそうに笑い、知らぬ顔の風で言った。

「見てください。これは〈向こう側の宇宙〉の映像です。あれ、あそこに点滅して見える粒々が軍艦です。前衛軍の艦隊ですよ」

 見ると、濃紺の宇宙空間に無数の光点が、環状となってゆっくり点滅していた。それはあたかも、ドローンの編隊が繰り広げる夜空のエアショーだった。それが幾重にも重なって、進路エリアを示していたのである。その時、舞衣はふと、後ろを振り向いた。

「ハァッ!」

 振り向いてジョンは言った。「ビックリしました? これが船団です」


―― くすんだ青黒い宇宙を背にした、金色に輝くおびただしい数の葉巻の群れ――


 大洋を回遊する魚の群れにも似た宇宙船の大群が、舞衣の背後に迫っていた。右の後ろから近づく一隻の船が、撮影中のカメラを追い越そうとしている。それは、近づいても近づいてもなお大きくなり、やがて画面の右半分を覆うほどになった。

「ワームホール突入に備えて、密集隊形を組んでいるんです。こんなに近くで見ることって、普段はないんですけどね」と、ジョンが言った。

 舞衣は目をこらした。葉巻型の船の表面はツルンとしていたが、それでもゆっくりと時計回りに回転していることがわかる。この自転による遠心力が、人工的な重力となるのだろう。


「あ、こっち。前衛軍のスクラム・シップですよ」

「スクラム・シップ?」と言って、舞衣は左側へ目をやった。

 よく見ると、濃紺の宇宙迷彩色を施された飛翔体が近づいてきていた。

「アストロゲートの水先案内人ですよ、きっと」

 その船は、一見すると柵のように見えた。丸みを帯びた三角断面の細長い船体が、鉛筆を並べたように十数本並び、それぞれが前後二カ所で繋がって横に広がっている。中央の船体が一番長く大きく、外側へ行くにつれて小型になった。よく見ると、これら戦闘艦の船体には、無数の小型戦闘艦コルベットがコバンザメのようにへばり付いていた。


「普段はあのように結合ドッキングしてますけど、いざ戦闘となると、バラバラに離れて艦隊を組むんです。あれひとかたまりで〈一戦闘群せんとうぐん〉というんですけど、隊長は以前、あれの指揮官を務めていたんです」

「そうなの……ねぇ、居住船は断面がまぁるくて、軍艦は三角おむすびなんだ」

「そうですね、大体そんな感じです」

「表面はツルンとしてるのね。映画だと、ものすごくゴチャゴチャしてるのに……」

「映画だとゴチャゴチャしてるんですか?」と言って、ジョンは不思議そうに眉をひねった。

 ブーモが言った。「センサーも機材も、表に出しておく必要がないのです。実際、外宇宙航行するときは、宇宙放射線が猛烈に強いとか、微少な塵の中を高速で突っ切るとか、いろいろと過酷な状況に遭遇そうぐうすることがあります。そのため、機器類は突起していなくても機能を果たせるように出来ているのです」


「ふ~ん……。あっ! なにあれ?」と、舞衣は指さした。「丸でも三角でもない……」

 それはカメラの真正面から徐々に近づいて来ていた。否、カメラが徐々に近づいているのだった。すぐに舞衣は、その巨大さに気づいた。周囲に展開するスクラム・シップが、まるで水中遺跡の周りを泳ぐ小魚のように見えたからだった。

 ジョンが言った。「十六角形です。あれだけですよ。丸や三角じゃないのは……」

「なにかの船なの?」

「あれは〈アストロゲート〉です」と、ブーモが言った。「邂逅点かいこうてんを強力な引力を使ってこじ開ける魔法の扉です」

「もしかして、ワームホール? もう繋がっているの?」

「真ん中に鉛筆の芯のように見える場所がありますが、あの部分は軍艦が通り抜ける程度のワームホールを作ります。我々もあのチャネルを通って太陽系まで来ました」

「でも、あれだと、ほかの船には狭いんじゃない?」

 自慢げに、ブーモは言った。「まぁ、ご覧になっていて下さい。地球には他にも異星人が訪れているようですが、円盤型の探査機しか送れないとしたら、それはワームホール生成技術が我々に比べて未熟だからです。我々の異空間航行技術は、私たちの知る限り、ほかの誰の追随ついずいも許さない規模と安定性を有しているのです――」


 その巨大な構造物は、ゆっくりと回転しながら、やがて外周部から青白い光を放ち始めた。

「始まりますよ」と、ジョンが言った。

 舞衣はぐっと息を飲んだ。青白い光が増し、ふいに日輪のようなまぶしさが広がった。と同時に、まるで冷えた岩を押し破る溶岩のような赤い光が、シルエットとなった十六角形の断面から漏れ出した。

「たいへん。壊れる……」と、舞衣はつぶやいた。

「大丈夫です。あの船は16のピースに分離するように出来ているんです」と、ブーモ。

「分離?」

「はい。同心円状に広がって、真ん中に形成される邂逅点の離界が、太陽系側に繋がるワームホールとなるのです」

 その形はまさに、良く切れるチーズナイフによって切り分けられた、十六片のブリーチーズだった。それがあたかも輪舞するように、ゆっくり円を描きながら徐々に離れて広がってゆく。そのメカニズムを、ブーモは改めて補足説明した。

「はじめに、アストロゲートの内側に向けて、強力な人工引力をかけます。そうすると、内側の空間が引力でこじ開けられて、入り口となる〈離界〉が作られ、コア・チャネルと呼ばれるパイロット・ホールが形成されます。あとは分離して、分子運動制御ベクタートラクション コントロール推進によって外側へ広がりながら、トンネルの向こう側までホールを拡大します。このようにして、船団規模の大規模ワームホールを完成させるのです」

「信じられない……」と、舞衣はつぶやいた。


 青白い光を引きながら、アストロゲートはゆっくりと広がっていった。それはまるで、稲妻を受けて走る車輪であり、光る魔方陣のようでもあった。濃紺の宇宙に神々しい光を放ちながら、その光輪は視界をはみ出すほどの大きさになった。

 ジョンが声を上げた。

「ほら! マイさん、見えた。あの恒星、きっと太陽ですよ!」

「ええ?」

 舞衣は身を乗り出した。アストロゲートに囲まれた空間の星々が、押しやられるように広がっていった。その中央に穴のように開いた漆黒の空間が、ゲートの回転と共に徐々に広がってゆく。その先で小豆ほどの大きさの星が、ひときわ明るい金色の光を放っていた。

「あれがそうなの?」

「そうですよ、きっと。なにもなかったのに、突然現れました。あの明るさですし、火星からの見かけからすると、間違いないと思います。ね、ブーモ、そうだよね?」

「間違いありません。太陽です。ワームホールが太陽系へと開かれたのです」

「……これが、ワームホール……」

 オーロラのように流れる虹色の光と、おびただしい数の星々が織りなす美しい光景を、舞衣は言葉を忘れて見つめていた。



 辺りを埋め尽くす船群を見回して舞衣は言った。

「実感、湧かなかったけど、いよいよ来るのね……」

 彼女の表情は、いつしかこわばったものに変わっていた。宇宙船団の威容を目の当たりにしたことで、強い重圧が忍び寄ってきたのだった。

「すぐそこまで、来ています」と、ブーモ。彼らの尺度では、二千万キロの彼方も『すぐそこ』だった。


「ねぇ、ブーモ。気になっていたんだけど」と、舞衣。これまで漠然とそのままにしていた疑問を、彼女は突かれたように口にした。「議長さん、私のことを『資料』と呼んでいたけど、その意味、教えてくれない? なんとなく分かった気でいたけど、ちゃんと知っておきたいのよ」

 ふいに事務的な口調に変わって、ブーモは答えた。

「それは、これまでの説明と変りません」

「それだけじゃないでしょう?」と舞衣。重ねて訊いた。「地球のスポークスマンじゃなくなった人が、それでも船団へ行こうとすれば、あとは『資料』として行くしかないって……。それくらいのことしか聞いてないよ。けど、議長はあの時、『処分するには……』みたいなこと言ってた。それって、どういうことなの?」


 即答するのが常のAIには珍しく、言葉を選びながらブーモは言った。

「お答えします。――つまり、一般的にそれは、『資料には人格が存在しない』ということであって、『人権が認められず法的に保護されることもない』ことを意味します。『スポークスマン』であるうちは、外国の使節あるいは外交官と同じ位置づけで、特恵的な地位と待遇が与えられるはずでした。しかし『資料』となると、それもないということになります」

「それじゃ、どうなるの? 例えば、調査が終わったあと……」

「調査それ自体は事情聴取が主となるでしょう。利用後の資料は、通常、〈保存〉、〈廃棄〉、または〈放出ほうしゅつ〉となります。それが異種生命体の場合は、生物資料館で終身拘束となりますが、同じ人類であるマイさんの場合は、早々に放出となるはずです。とはいえ、放出の前に、ブレイン・マイニングや記憶抹消の処置を受ける怖れもあって、それを危惧しているのです」


 不思議そうに、彼女は訊いた。

「記憶抹消? 記憶を消すの? ジェームズと会ってからこれまでの?」

「地球へ戻される場合はそうですが、そうはならないでしょう。船団内への放出となると、それ以前の記憶となるはずです」

「生まれてから、これまで?」

「地球での全記憶が、対象となる怖れがあります……」

 人権が保障された国・日本の国民として、これまで暮らしてきた舞衣だった。人権が保障されないということが、どういうことなのか。彼女は今も、実感をもって理解できずにいた。


「それじゃ、『廃棄』は? もしかして、殺されるとか?」

「有害生命体と認定されればそうなります。けれども、マイさんがそうなることはあり得ません。ご安心下さい」

「それじゃ、動物園のおりの中か、記憶を消されて生きて行くか、どっちかしかないということ?」

「法解釈をそのまま当てはめれば、そうなるリスクがあるということです。しかし、議長の発言から、別の可能性が想定されます」

「『高レベルな漂白をしておけ』という、あのこと? 秘密の秘書にしてくれるみたいだけど、つまり資料のあとは、〈奴隷〉ということなの? でもそれじゃ、純一さんのところへ戻れないんじゃない?」

 いずれにせよ、その時点で純一が生きている保証はなかった。答えにくそうに、ブーモは言った。

「秘書云々は放出後のことでしょう。しかし、実際にどうなるかは、私たちにはわかりません」

「タマちゃん……」

 舞衣の膝の上で、それまで黙って聞いていたジョンだった。目を合わせることもなく、彼は言った。

「隊長がマイさんを解放しようとしたのは、つまり、議長の話をじかに聞いたことで、こうなる危険があると思ったからでしょう。けれど、不確定要素が多すぎます。仮定の質問にお答えするのは、我々には難しいです……」


 突き放したようなAIたちの反応だった。しかしそれ以上に、『スポークスマン』を外されたことで、これまで彼女が漠然と思い描いてきた外交的な折衝せっしょうが、難しくなったことが衝撃だった。つまり、テラ・リフォーミング阻止の説得も、純一のもとへの帰還も、もはや不可能かもしれないのだ。


―― 運命に翻弄されるとは、こういうことなのか――


『資料』、その言葉がもたらす足がすくむほどの恐怖を、彼女は初めて実感した。それを認識が甘かったからと一蹴するなら、それは酷というほかない。


 おびただしい数の宇宙船の群れは、金色に輝く恒星に向かいながら、隊形を維持したまま隊列を散開しつつあった。その神々しいばかりに美しい映像を見つめていた舞衣だったが、彼女の瞳には、もはや何も映っていなかった。想像もしなかった不安が押し寄せてくるのを、どうすることもできずにいたのである。

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