第52話 首相官邸にて
東京永田町 国家安全保障局 ――
「それで、宇宙人のメールアドレスはわかったのか?」
しかめ面をして福田が訊いた。国家安全保障局のビルの一室では、参事官の福田を中心に、数人の男女が会議用机を囲んでいた。
ひとりの事務官が、辺りを見回してから言った。
「米当局に問い合わせてみましたが、『こちらが教えてもらいたいくらいだ』とのことです。英国情報筋からは『ハリウッドに訊いてほしい』とのことで……」
「馬鹿にしおって。では、携帯電話の方はどうだ? 何かわかったか?」
森下が言った。「契約者は〈ジェームズ・スターシップ〉。そのまんまです。住所は都内港区六本木の雑居ビル、五階の一室です。六本木ならガイジンでも目立たないですね。昨日
「どうやって借りたんだ? いったい……。で、空飛ぶゴキブリはどうなった?」
別の事務官が答えた。「航空自衛隊、国交省航空管制とも、当該時刻・空域のレーダー記録に機影はなく、確認できないとのことです」
「押しかけようにも居住実態ナシでは、どうにもならん。UFO研究家に訊くしかないか?」
「班長、相手は相当に周到です。本格的な追跡には組織の拡充が必要かと……」
「わかっている。だが、相手はテロリストではない……。実在を納得させられれば話は早いのだが……。とにかく、この男の我が国における活動について、徹底的に調べてもらいたい。経産省、外務省、警察庁、歳入庁、東京都、そのほか思い当たるところ全てだ――」
その時だった。ほかに音もない会議室に、ふいにスパイ映画のテーマ曲が鳴り響いた。着信音らしきその音は、福田のスーツからだった。彼は動じる風もなく、内ポケットからスマートフォンを取り出すと、さも手慣れていると言いたげな手つきで画面をタップして、耳に当てた。
「福田です……」 と、そのとたん、にわかに表情が変った。「……今ですか? 官房長官に? ……わかりました。すぐに参ります……」
「官邸ですか?」と、森下が訊いた。
福田は頷いた。「そうだ。ようやく信じる気になったらしい……」 そして彼は、女性事務官に目をやって言った。「君、その資料パソコンを持って、ついてきてくれ。今すぐだ――」
首相官邸・四階大会議室 ――
そこは、集成材を積み上げた壁が三方を囲み、毛足の短い絨毯が敷き詰められた、広々とした会議室だった。残りひとつの壁は一面のガラス張りで、薄手のロールカーテンを通して、柔らかな白い光が差し込んでいた。重厚な会議用テーブルが長四角形に組まれて、その中には六台の大型液晶ディスプレイが、四方を向いて置かれている。日頃は大臣・政務官や政府高官の集うこの部屋に、今日は珍しく、技術系とおぼしき若手・中堅の技官が集められていた。
「……それで、そのX線というのが、通信であるというわけか?」と、ダークグレーのスーツを着た初老の男が尋ねた。政権与党の中で、実務派の実力者として誰もが認める、内閣官房長官の武藤だった。
「その可能性が高いと考えられます」と、スタッフブルゾンを着たエンジニア風の男が答えた。手元のタブレットを見ながら、いつもと変らない様子で彼は続けた。「X線観測衛星で、偶然発見されました。指向性が高く、デジタル信号特有のパターンが検出されています。自然界には存在しないものですが、通信用として利用されているという話は聞いたことがありません」
「地球へ向けたものかね?」と、どこか遠くを見つめるまなざしで官房長官は訊いた。
「そのように考えられますが、ただ、X線は大気に吸収されるため、地上では観測できません」
「大気に吸収されるなら、なんのために地球へ送るのかね?」
技官の男は、困惑の表情で答えた。「それは、まだわかっていません」
「内容は解読できるのかね?」
「それが……観測できるのは、発信源と地球を結ぶ直線上を、衛星が横切った時だけです。そのため、観測の機会は限られていて、解析は緒に就いたばかりです……」
「これからというわけか……」 長官は、紺のスーツを着た別の男に訊いた。「それで、ハワイの天文台の件は、どういうことか? 宇宙空間が
書類から目を上げて、男は答えた。
「はい。国立天文台・すばる望遠鏡です。見かけ上、火星の近くにへこみのようなゆがみが観測されるということです」
「火星が近づいていると、孫が話していたが、そのことと関係があるのかね?」
「火星は今、地球からおよそ六千万キロの位置まで接近しています。ただ、理論上、空間のゆがみが惑星の影響によるものとは考えにくいと思われます」
「重力波の件はどうなった? なにか関係があるのかね?」
「はい、こちらは東大宇宙研究所のKAGURAです。通常中性子星などから観測されるとされている重力波が問題の方向から来ているらしく、ただ今観測中です」
「どういうことかね?」
「NASAの見解では、ゆがみは重力の影響によるものと考えられ、原因としてブラックホールが存在する可能性があるとしています。ただし、当該方向にブラックホールは観測されておらず、原因は調査中とのことです」
「ブラックホールとは穏やかじゃないな。それはいつ頃からの話かね?」
「それは直近のことでして、今のところどの国の天文機関からもコメントはありません……」
どの事案も、結論もなければ見通しも立たないものばかりだった。苛立ちを滲ませながら、官房長官の武藤は向かいの席へ目をやった。
「さて、安保局の諸君、聞いてもらいたい。これら一連の現象は、君たちからの報告と、どこか符合するように思えてならないのだ。そこで、わざわざ来てもらったようなわけだが……」
その場にいたのは、国家安全保障局参事官の福田と若手の女性事務官だった。困惑もあらわに、福田は言った。
「はぁ……。文部科学省や天文台の皆さんの前で、このような話をすることになろうとは、思ってもみなかったものですから……」
苦笑して、「いいから話したまえ」と、武藤は促した。
「それでは……。え~、まずは、この動画をご覧いただきます」
長机に囲まれた中、四方を向いて設置された大型液晶ディスプレイに、森の中とおぼしき映像が浮かび上がった。
「先日、ある交渉ごとのため訪れたときのものです。場所は、とある関東の山奥で、小さな遊園地施設の裏山になります。当方の職員が撮影しました」
動き始めた映像は、歩きながらの撮影らしく、画面がゆらゆら揺れていた。と、ふいに、ゴルフコースのような芝の広場が、木々の間に現れた。ところがそこに、小山のような何かが、うずくまっていた。見たこともない、大きな影だった。
会議室の誰もが、思わず身を乗り出し、目をこらした。そこに映っていたのは、昆虫にも似た形の、飛行機材らしきものだった。身の危険を感じてか、撮影者はなかなか広場へ出ようとしない。被写体も定まらない不鮮明な画像だったが、それでも、緑色の迷彩柄を纏った機体の全容が、少しずつ明らかになっていった。
「ゴキブリ……ですか?」と、文科省の担当者が訊いた。一同、どっと笑った。
「そうですよ。今から飛びますから……」と、苦笑交じりに福田は応じた。
「珍しい色ですな。新種ですか?」と、誰かが冗談を言った、その時だった。撮影者が森を抜けて、広場の全容が明らかになった。皆が一瞬、黙り込んだ。
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